パンセ(みたいなものを目指して)

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「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」を読書中

2024年01月22日 16時21分41秒 | 

読み終わっていない本を紹介するのは気がひけるが
今、夢中になっているのが「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」
ナンシー・フレイザー

時々、ワクワクしてページを進めるのがもったいないような気がする
本があるが、この本もそのような本の一つ
とても面白い

面白いというのは軽い表現すぎるかもしれない
だが間違いなくワクワクする
とても重要なことが書かれていて、それらは自分が薄々感じていたことを
見事に言語化とその実例を示しているからだ

本の最初の方に「資本主義」の新しい考え方を紹介している
利益第一の経済が機能するためには非経済的な支援が必要であり、その支援を捕食する
権限が経済に与えられた社会秩序である。
たとえば自然と非支配民から収奪した富、たとえその価値を認められたとしても
常に過小評価されるケア労働(育児や介護など)。
資本が必要としながらも削減しようとする公共財と公的権力。労働者の活力や創造力など。
これらの富はどれも企業のバランスシートには表れないが、企業の利益を追求するための前提条件だ。
資本の蓄積を支える需要な基盤であり、資本主義秩序の本質的な構成要素でもある。
したがって「資本主義」とは経済の種類ではなく、社会の問題として捉えるようにしている

つまりは、なんとなく理解している(?)資本論の考え方の商品とか価格に内蔵する労働が
持つものによる持たざるものへの(搾取)によって不公平な社会を作り出しているだけではなくて
貿易等の原料輸出国への先進国の勝手な仕切り、女性一般への不当な扱い(収奪)等こそが
資本主義という社会システムを可能にしているとしている

ここで気になったのは(搾取)と(収奪)という言葉
「搾取」は本来もらえる分を誤魔化されたりかすめ取られる状況
労働力に対する不均衡な支払いなどだが、
「収奪」はもっと酷いもので、権利も何もなく否応なく奪い取られるもので
昔の植民地における原住民との貿易の不公平さなどがある
植民地主義者の経済を回していたのはこうした収奪であったとして
つまりは社会の問題として扱わないと物事の理解は不十分としている

資本主義は社会の問題、これは当たり前のようだが
こうして真正面から扱われることはなかったようなので
これらの事例がいくつでも紹介され、自分が思っていたのは(気になっていたのは)
このことだったのか!とスッキリする場面も多い

どうも人間の作るものはどこか不完全だ
資本主義も共産主義も、、
そこに、自然法における正義感とか倫理観が存在しないと
人の世界は不毛な戦いの場だけになってしまいそう

この本はまだ3分の1くらい読んだだけ、
この先を読んで自分は何を感じるのだろうか

上手く紹介できなかったこの本、読む価値は絶対あると断言できる



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