徳川家康のお母さんの於大の方が、男の子が生まれるように祈った鳳来寺山は
その縁か東照宮があるが、また徳川四天王の井伊直政が今川の手から逃れるために隠れた場所
そして小学生の頃、遠足で千何段もの階段を登ったところだ
鳳来寺パークウェイができてからは、当然のように車でお参りすることが多くなったが
2年ほど前に久しぶりに正式な参道を少しだけ歩いた
すると、しばらくするとイライラが募ってきた
上手く歩けないのだ(歳のせいか?)
体が左右に揺れるようでバランスが取れず、まっすぐ歩きにくいのだ
階段にはなっているが、階段の周りの土は削げ落ちて階段の石だけが
まるで浮いているかのようになっている
歩いていくにつれてますますイライラは募る
遠足にでかけた頃は階段は平らな面が多く、そこで2歩要して次の段に移ったのに、、
自分の体幹が情けないことになっているのを感じながら、この階段の惨状に腹が立ってきた
「この階段を登りやすくメンテナンスすることはしないのだろうか?」
思いついたのはこのことだった
この後しばらくしてから、鳳来寺山の近くに住む方と話す機会があって
階段のメンテナンスを提案したところ
昔は地元の有志が自発的に手入れしていたが、徐々に高齢の人が多くなって
それもできなくなってきたとのこと
そうか、こんなところにも高齢化の影響が!と実感した
またしばらくして、今度は観光関係の人に話してみると
鳳来寺山は国定公園に指定されているので、無闇矢鱈と手入れはできない
とにかく法的な規制があれこれあって、簡単にはできない、、との諦めたような口ぶり
それでも何とかならないのかなと思い
国定公園の管理をしている組織を調べて電話をかけてみた
管轄は環境省になるが、そこから細かく分かれていて、最初は新城の出先機関へ
次に名古屋の出先機関、そこでも担当部署へは2回ほど電話は回されてやっと通じた
こうした機関に電話してお願いするときは
「石がグラグラして怪我をするひとが出るかもしれないから、なんとかしてほしい」
といったお願い口調で伝えたほうが効果的かもしれない
とアドバイスを貰っていたので、困ったな、、という感じで話してみた
公務員の方々は親方日の丸で庶民には評判が悪いことが多いが
自分が電話をかけていろいろ聞いたり相談したときは
とても丁寧な対応でいつも好印象をもったまま電話を切ることができる
それは今回もそうだった
「そうですか!一度、現地調査をしてみないとなんとも言えませんね
おっしゃることはわかりますし、想像もできます
まずは、調査してからとなりますのでしばらく時間をください」
ということで、もしかしたら何らかの変化が生まれるかもしれない
(何も変わらないかもしれない)
声を届けるということは、何もしないこととは全然違う
言い方に工夫が必要かもしれないが(正論でゴリ押しは効果ないように思える)
声を届けることは少しづつでも変化を呼び起こす
最近では新城市の外国をルーツに持つ子どもたち向けに
プレ教育をしてほしいと市に要望したところ、今年度後半からそれが叶うようになった
やはり声を届ける(発する)のは大事なことだと思う
ただし、それには多少の勇気と度胸と訓練などが必要かもしれないが
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