パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

カスハラの精神状況

2024年05月25日 09時06分10秒 | あれこれ考えること

カスハラがテレビのニュースになっている
多くのテレビ局が同じタイミングで一様に報じているのは少し違和感を覚える
今のテレビ局は視聴率以外になにか別の要素が働いて
番組づくりがなされているような気がしないでもない

それにしても取り上げられるカスハラの情けないこと
旅館のチェッイン前に着いて、掃除とか準備しているスタッフに向かって
客のいうことを聞くのが当然と態度で例外的な措置を要求する人

チェックインの時間は公表されているし、相手の都合も有るだろうから
少し待つということが何故出来ないのだろうと思えて仕方ない
自分の経験では先日車の修理のためにディーラーに時間前に着いて
そこで少しの間待つことになったが、スタッフの行動を眺めていて
なんとも思わなかった

「お客様は神様」ではないと思う
話は変わるが、スーパーのレジの担当の人が座って作業をしていていいか
ということが話題になったことがあった
自分はそれに違和感を感じないし、それが疲れない方法であるなら
それでいいじゃないか、、とも思う
確かドイツでもレジ係の人は座って作業していた記憶がある

飲食店でスタッフに「ごちそうさまでした」と声をかける客はダサい
との発言がSNS上で話題になったことがあった
なんでそんな発想をするのか?
直感的に思ったのはそのことだった
同居人は飲食店を出る時はいつも優しい声で「ごちそうさま」と言う
そしてそれが自然にできる人を自分は尊敬している

社会にはいろんな人がいろんな仕事に就いている
それらがないと上手く回っていかない
どうせなら気分良く回っていくほうが良い
「ごちそうさま」と言ったり、開店準備をしている人に
ご苦労様とは言わないにしても、各自が己の仕事を誠実に行っていることに
安心感を覚えるくらいの気持ちになれないのだろうか

人には承認欲求というものがある
弱い立場の人にあれこれ命令することで、自分が高い立場にいるような気持ちになる
先日のつばさの党の選挙妨害は表現の自由の問題ではなく
鬱積した自己承認欲求が形になって現れただけだと想像する

だが問題は、人間が完璧にコントロールしがたい承認欲求の誘惑が
社会全体に異様に蔓延していないか、、ということ

つまりはあまりにも余裕のない社会で、みんなが何かしらイライラしているような
イライラは誰かを攻撃することで解消する
それは、あまりにも幼稚だと思えてしまう

しかし何でこのような社会になってしまっているのか?
は考える必要がありそうだ

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