パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

置かれている立場は、どのくらい考えられているのだろうか

2023年07月01日 09時30分09秒 | あれこれ考えること

簡単に白黒つけられない問題を取り上げて日本でも一時期流行した
マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」
その中に取り上げられたと記憶しているのが
大学入学に関する選考に黒人や中南米系を優遇する積極的差別是正措置
(アファーマティブ・アクション)

アメリカの現実世界では、黒人とか中南米の人々は裕福でない人が多く
その人達は白人たちと比べて入試に対する準備が十分で無いことが多い
それを踏まえて、この人たちに入学の人数枠を設けるようにしたのか
それとも予め試験の点数を加算しておくのか忘れてしまったが
とにかく、現実的に不公平な環境をカバーするために考えられた制度だった

これは不公平ではないか?との指摘が以前からあった(特に保守層から)
本の中でも、どのように考えたら良いか、、と問われていた
(どちらが正しいとの結論は出していない)
自分も、さてどちらの選択が良いのだろうか、、と考えてみた

入試は誰もが公平に行われるべきだ!とするものと
そもそも置かれている環境が違うので
ある程度のハンディキャップを設けるのは良い選択だ!の2つ考えのうち
あるときは前者の考えに同調したり、あるときは後者の考えに賛同したりした

ただアメリカの社会では長い間この措置は良い方法とされていたようだ
ところが最近、連邦最高裁でこの措置は違憲と判断されたとのニュースが
新聞に掲載されていた

最高裁判事の人数構成は、この制度を良きものと考えない保守派(トランプさん寄り)が
多いために、今まで45年守られてきた制度がひっくり返ったようだ

白黒つけがたい問題を、無理矢理にも決める制度が裁判というものかもしれないが
この裁判というものは、どれだけ社会的な環境を加味して判断するものなのだろうか
公平という概念は、精緻な言葉の解釈だけで終止して良いものだろうか?

裁判という制度の中では、一般人が感じ取る常識的な気持ちを
どのくらい取り上げるのだろうか
それとも、頑なに社会の空気に振り回されるのは良くない
とされるのだろうか

このように実生活とあまり関わり合いのない話題が気になったのは
現在進行している裁判のことを考えたからだ
原告側が異様に高いと感じている(市が購入した土地の)不動産鑑定結果と
その評価を出す過程での不自然さを説明すると
大概の人は「出来レース」が行われたと想像してしまう
(特に誘導したわけでなく、単に事実を列挙しているだけでも)

普通の人が思うような印象を、裁判をする人はあえて捨てて判断を行うのだろうか

時間がかかる裁判という制度、、
人が判断するものだけに、どうやら裁判官のキャラクターで
だいぶ結果が異なってくるらしい
だとしても、常識的な感性を持った人に扱ってほしいとつい思ってしまう

今日は一つの備忘録として、、

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