パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

品格

2016年06月17日 08時26分25秒 | あれこれ考えること

舛添さんが辞職を表明して、この騒ぎはいったん次の段階へ

それにしても、相変わらずのメディアのバッシングは
呆れるほどだ
自分たちでストーリーを作り上げて、それに乗らない話は
取り上げない、無視する、反論を挟む余地を与えない空気を作る
これは一見、民意を反映したかかのように見えるが
一歩間違えると大衆迎合主義に陥る

性懲りもなくひどいな!と思いつつ
今回はあのSTAP細胞の時ほどマスコミに対して怒りを覚えていない自分がいる

それは何故なんだろう?
と、どうでもいいことだけど考えてみる

小保方さんと舛添さん
無意識にこの人物の好き嫌いを言えば
舛添さんは好きじゃないが、小保方さんは(男だから仕方ない?)
嫌いじゃない
冷静な意識と言っても実は無意識にコントロールされていると
「意識は傍観者である」と脳神経学者のデイヴィッド・グルマンは本の中で述べている

こんな大袈裟なことを持ちださなくても、
人にはよくある事の一言で済む

たまたまある人の文章を読んでいたら、
「これだ!」と思い当たった事があった
それは「品格のない知性」という言葉

舛添さんの「違法ではないが不適切」でのり切ろうとした姿勢は
違法でないことを拠り所にしているが、庶民感情は(常識)は
それではNOと判断している
これは感情的な盛り上がり・怒りというよりは
「このような考え方をする人は、いつかもっと重要な問題で間違いを起こす」
と無意識に判断しているのではないか

法は人々の常識をベースに考えられるものと思われるが、その常識から見ても
違法ではないとするならば、そもそもその法自体が不十分ものとして考えられる

今回のマスコミ、もっと自分的には大声を出して欲しかったのは
政治資金規正法についての変更と、第三者というのが客観的に正しかったのか
という点(もっとも佐々木善三弁護士は随分評判を下げたが)

何年か前「国家の品格」という本がベストセラーになった
新渡戸稲造の「武士道」も話題になったことがあった
自分を律するものの存在や根拠・必要性を説いたものだが
最近はこれらが希薄になっていないか

その代わりに「法的に、、、」という言葉が使われるようになっている
法に書かれていないから、法の解釈によれば、、、
そしてその法は、素人が読んで解釈するのは極めて難しく
解釈はほとんど専門家の仕事になっている
この専門家が「品格ある常識人」であればいいのだが
単なる詭弁の能力があるだけとしたら、それは不幸なことになる
(法は本来なら常識を反映すべきなのに、どうもそうなっていない傾向にある?) 

品格、誰にそれがあって誰にない、と判断するのは独断に過ぎないが
安倍さん、この人に「品格」あるのだろうか
安倍さんに限らず今の政治屋さんに品格のある人を見つけ出せるか、、

国連の緒方貞子さんは、よく知らないが画面を通してみただけでも
品があったな 
人に必要なのは、損得の瞬間的な判断力だけでなく
にじみ出る人間性(教養をベースとした)と思いたいが、夢想家すぎるか 

 

コメント
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