パンセ(みたいなものを目指して)

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鳥居強右衛門、テレビ初登場?

2012年01月18日 21時05分13秒 | Weblog

新城市の東郷中学校区の人間なら(鳳来地区も人も)
多分誰でも知っている長篠の戦いの英雄 鳥居強右衛門


1575年火縄銃の画期的な戦術で信長が劇的な勝利をおさめた
設楽原の戦いは社会の教科書にも載っているので
全国区の知名度があるが
JR飯田線の「鳥居駅」の由来にもなったこの鳥居強右衛門は
劇的な話もあり、もっと知ってもらいたいと思っていたが
今日のTBS系列の2時間の番組でやっと紹介された

武田軍に長篠城を包囲された奥平家の家臣 鳥居強右衛門は
敵方の目を逃れ、川に潜り、泳ぎ、一人単独で65キロほど離れた
岡崎城の家康まで援軍を求めに行く
首尾よく勤めを終えたかに見えた強右衛門
しかし彼はあと少しで長篠城と言う所で
武田方に捕まってしまう

城に向かって「援軍は来ない」
と叫べば命は助けてやる
武田方は随分呑気な提案をしたものだ
130キロ近くを走り(歩き)通した男に
そんな誘惑は通じるはずもなく
彼は援軍はまもなく来るから、必死に城を守るように叫ぶ

その結果、現在国道151号線沿いの看板に見られるような
磔の姿で命を失う

この地元の英雄 鳥居強右衛門が走ったコースを
5月のゴールデンウイークに
岡崎城から長篠城まで走りきることを
続けている人達がいる(ご苦労様!)

自分は根性なしで、とてもできないから
第一回目だけ水分補給係で手伝っただけ
もっとも彼らは強右衛門よりは苦しさとの自分との戦いに
関心があるように思える

強右衛門の純粋な子孫ではないかもしれないが
その末裔は今でも豊川市に住んでいて
毎年「鳥居祭」とかいうものを親戚を集めて
行なっている(と聞いたような記憶がある)

織田信長が話題の中心になりがちな長篠・設楽原の戦い
でも地元はやっぱり強右衛門

ところで、長篠城近くの医王寺に本陣を構えた勝頼
そこで武田の四天王はこの戦は止めるべきと勝頼に進言した
しかし、それは聞き入れられなかった
彼らは自覚していて最後の盃を交わしたという
(このエピソードが医王寺の看板に書いてある)

強右衛門の強さ、勝頼の意固地さ、家臣の覚悟
このあたりをテーマにして誰か小説なんかを書いてくれれば
新城市の観光はもう少し活発になりそうな気がするが、、

とりあえず、今回の番組の効果は果たしてどんなものだろう?

それにしても、強右衛門がこれほどの全国区で
知られることになったのは、何故か嬉しい感じがしてならない

コメント
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