パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

東アジア選手権 対韓国戦

2008年02月23日 22時54分22秒 | Weblog
日本1-1韓国

ギリギリの緊迫感のある状況ではなかったけれど
ライバル国、韓国にはなかなか勝たせてもらえないようだ

一頃のスピードと力強さの圧倒されていた時期からすれば
最近は全て想定内のことで、あたふたとしなくなった日本だが
肝心なところでまだまだ韓国に学ぶところがたくさんある

全体的には日本のほうが上手いかな
と感じるところがあったが
何しろ前に行く迫力、点を取ろうとする意欲
そしてその技術は残念ながら負けていたような気がする

韓国の、枠にいくシュートの多いこと
いや、枠にいかないシュートの日本の多いこと

どうもいつも感じることなのだが
この国のサッカーは点を取るという最終目的よりは
それ以外の点を重要視しすぎる傾向がある

1点差で終わった前半戦
中村の惜しいシュートがゴールに嫌われていたので
今日はそんな日かな、と思いつつ
得点の感じがしなかったが
山瀬のワンチャンスのシュートは見事だった

しかし韓国ディフェンスの
人数をかけた、そして縦をきった守りに
チャンスが少なかったのも事実
そしてこれは毎度見られるシーン

日本のFWの点を取るという時点での
ひ弱さをつくづく感じてしまう
前線からの守りでの貢献でなく
少ないチャンスを冷静に決める
自らシュートに持っていく力
そうしたものが決定力不足といわれるゆえんだろう

さてゲームは、安田が入って前に行く力が
増してきたようだ
基本的に日本はパスでボールを前に運ぶが
レシーバーがパスカットが狙われていて
しかもパスの精度、強さが悪いために
前に向けない状況が多い

ドルブルで突っかけて、守りのバランスを崩すことも
選択肢の中に入れないと上手くいかないと思うが
なかなか真ん中からの人をひきつけての
ドリブラーは見当たらない

それを思うと全盛期のKAZUはそれなりに
自分でシュートまで持っていけた点と
たくさんシュートを打った点で
評価に値するし、実際結果も残した

高原がやっぱり一番可能性は感じるけれど
運が悪すぎみたいな気がしてならない

岡田監督はさすがに日本人で
オシムさんよりは個々の選手の特徴を
きっちりつかんでいるようだし
現実的なサッカーをするタイプだが
それでも選手層の底上げがないと
これからはちょっと厳しいかな

とにかく韓国に対して苦手意識がなくなってきたのは
良いことだと思うが
韓国のあの熱さは正直羨ましい気がする
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いろいろ考えさせる、フルトヴェングラーの演奏

2008年02月23日 17時37分21秒 | Weblog
聞き終わった後、必ずと言っていい程
「凄いっ!」
と感想が出るのがフルトヴェングラー指揮の
ベートーヴェンの交響曲第7番

風邪気味で、する事のない土曜の昼
そして割合気兼ねせずに音を出せるのに任せて
レコードのそれを第3、4楽章だけ聴いた

久しぶりだったので頭の中に残っている印象と若干違っていた
記憶の中ではもっと煽りに煽ってもの凄いスピードで演奏していた
と思っていたのだが
今日は、案外そうでもないかな!
みたいな感じを持った
(もっとも、やはり第4楽章は前に前にの気持ちが半端じゃなかったけれど)
歳をとったせいか感じるところが違ってきて
今日は音色がドイツの重心の低い
しかし精緻なライカやベンツをつくり出すメンタリティーを
持った音のように感じられた
確かに国によって音色は違ってきている
ドイツの音、フランスの音、イタリア、イギリス、
アメリカのオーケストラは、ちょこっとずつ違う様な気がする

それにしても、この毎度、凄い!
と感じさせるものは何か?とフト考えてしまった
スピード感なら今の軽量のオケの方があったりするから
スピードだけの問題ではないだろう

そういえば実演では、ショルティ ヴィーンフィル
シノーポリとどこかのオケのを聞いたことがあったが
生にもかかわらず凄いと圧倒される様な事はなかった

それよりはショルティは もっとやれ!と途中で思ったり
シノーポリはなぜだか腹が立ってきたのを
今でも覚えている
それはフルトヴェングラーの演奏が頭の中に入っていて
知らず知らず比較していたせいなのかもしれない
なるほど、こんな演奏もあるのか!
というよりは あっちの方がいいや!みたいに

聞き終えた後、凄いっ!と思うのは熱気のせいだろう
それは演奏者の夢中になっている様子が
確かに音になって現れている
そんなのもは誰でもそうだろうが
それでも何かが違う!
演奏会会場に実際いたら、
本当に別空間のような時を過ごせただろう
(こんな経験をさせてもらえる様な人はもう出ないだろうが)

フルトヴェングラーでこのように聞き終わった後
呆れると言うか、思わず声が出てしまうのが
ブラームスのハンガリー舞曲第1番
テンポが凄まじく動いて舞曲というよりハラハラして
スリリングな演奏だ
シューマンの第4番もやはり自然に凄いっ!と出てしまう
トリスタンの2幕の終わりの音もロマンティックな雰囲気にあふれ
他では決して聴けない音色だ

それ以外でも、マタイの深い呼吸から滲み出るまるで儀式の様な音楽
それこそ全身全霊傾けた様な第9
そして予想に反してもの凄くいいマーラーの「さすらう若人の歌」

こうして思い返してみると確かにフルトヴェングラーは
音楽が音楽だけで終わっていないのかもしれない
不思議なのは、
彼は何よりも、ただ音楽家であろうとしただけにかかわらず
結果としてより大きな世界をつくり出した様な気がする

カラヤンは生前、生で聞いた事がなかったけれど
(あまりにもチケットが高くて)
残念には思わないが
フルトヴェングラーはできれば1回は聞いておきたかったな
(時代的には不可能なのだが)
いや、同じ空間を共有して、同じ経験をしてみたかった
と思う事しきりだ
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