Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

主役はロボットではなく、母親とロシア軍・・・異色の戦争映画『オーガストウォーズ』

2013年08月19日 | 映画
巨大ロボットの映像が登場する異色の戦争映画、と一部で話題になっているロシア映画
オーガストウォーズ』を見てきました。

まず最初に断っておくと、本作は架空の世界や未来の戦争を描いたSF作品ではなく、
2008年にロシアとグルジアが実際に戦った「南オセチア紛争」を題材にしています。
(この紛争の別名が「8月戦争」と呼ばれているのが、タイトルの由来です。)

劇中では戦車や軍用車両がロボットに変形する場面が出てきますが、これは戦争に巻き込まれた少年が、
現実の脅威を架空の怪物と混同することによって起きる想像力の産物で、実在するものではありません。
この部分については、SFよりもむしろファンタジーの文脈で考えたほうがしっくりくるんじゃないかな。
だから本物のロボットが戦場で戦ってるわけではないのですが、少年の視点で受け止めるならば、
これぞ「現実」ということになるわけで、そうした現実認識をSFXで巧みに映像化したところが、
この作品のおもしろさのひとつだと思います。

ただし残念なのは、この少年の視点を物語上で終始徹底できなかったことですね。
空想上の戦いと現実の戦争が、少年の目から見て分かちがたく混在するように描写できれば、
スペイン内戦を扱ったデル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』に近い秀作になったと思いますが、
こちらの作品だと「少年の空想」は現実の前では無力なものに留まっていて、ある部分より先には
「越えがたい一線」がはっきりと引かれているように見えました。

だから戦争が始まると、少年のほうは「物語の世界に引きこもることで、世界の暴力に耐え続ける」
弱々しい姿が目に付くようになり、逆に交際相手との関係に逃避しがちだったシングルマザーの母親は
戦地へと少年を迎えに行き、「現実と向き合う」ことで、徐々に逞しさを増していきます。
この変化に伴って少年と母親の立場が逆転していき、視点人物も少年から母親へと徐々に移行。
そして進退窮まった母親は、進攻してきたロシア軍の男気あふれる隊長さんの助力を受けることに・・・。
これ以降、物語の主役は完全に母親及びロシア軍ということになってしまいます。
結局のところ、これって少年の成長よりもダメ母の成長をメインに据えた物語だったわけですねー。

そもそも本作が「少年による少年のための物語」であれば、想像力によって現実と対決し、
怪物を倒す役目を担うのは、あくまで少年であるべきだと思うんですよ。
しかし物語の山場で敵の大軍が変身した巨大ロボットを打ち倒し、少年の窮地を救うのは
母を救った隊長からの情報でロシア軍が投入した爆撃機による、対地ミサイル攻撃でした。

これでは「想像力が現実の力に打ち負かされる」という一番残念なオチにも見えてしまうし、
繰り返し見せてきた少年の心象風景も、結局は単なる「幼さ」にすぎなかったという思いを
観客に抱かせてしまうと思います。
少年の幻想が世界を変える力になるのでは・・・と期待した私にとっては、かなり残念でした。

さらに厳しい言い方をすれば、こどもの空想をダシにしてグルジア軍を怪物的存在に仕立て上げ、
敵を巨大ロボットに見立てることで爆撃シーンをエンターテインメント化しつつ、ロシア軍による
空爆の正当化を図ったようにも見えなくはない・・・。
そういう方便にこどもの想像力を持ち出したのであれば、ちょっと許しがたいと思います。

まあ救いがあるとすれば、最後にグルジア兵の人間性が少し描かれるところでしょうか。
もし戦車だけでなく兵士さえも非人間的なロボットに見せる演出があったら、さすがに
製作者の人間性を疑ったかもしれません。

実は個人的にロボットよりも意外に思えたのが、このあからさまなプロパガンダ性だったりします。
旧ソ連の時代をふりかえると、この国におけるSF作品には「体制への皮肉や批判を込めた作品を、
検閲にひっかからないように発表する手段」という側面もあったので、この『オーガストウォーズ』も
政府のやり方に批判的な作品なのかと思ってましたが、蓋を開けてみたらほとんどロシア万歳な内容。
これもまた民主化による変化なのか、それとも軍の協力を得るための苦肉の作なのか・・・。

実際は20年くらい前のハリウッドだって、こんな映画ばっかりポコポコ作ってたわけですが、
いまではちょっとマトモな映画だったら、現実の戦争をここまで自国本位には描かないと思う。
そう考えると、『オーガストウォーズ』って根本的なセンスが古臭い気もするんですよね。
まあロシアの観客向けに作った作品だから、ロシアの論理優先なのは当たり前なんだけど、
日本人がこれを見てなんにも気にならなかったとすれば、それもいかがなものかと・・・。

逆にこの作品をファンタジー視点ではなく戦争モノと割り切って見るなら、相当にリアルと言えます。
戦場の緊迫感、特に日常風景が突如として戦場へと変わり、周囲を銃弾と砲弾が飛び交うようになる
恐ろしさについては、さすが実際の戦争を題材にしているだけのことはあると思わせます。
特にすごいと思ったのは、山道でバスが突如ロケット攻撃を受けたあとの一連のシーン。
まるで本物のバス事故を見ているようで、思わず眼を覆いたくなるような迫力でした。
あとは市街地へバンバンと着弾してくるシーンとか。あれは怖い、ホントに怖い。

そういえばこれって、母親が少年を迎えに行ってから物語が終わるまで、ほぼ1日の話なんですよね。
尺が長いせいもあって、若い母親を待つ苦難の連続と、そのたびに手助けが現れるご都合主義については
ちょっと食傷気味でしたが、立て続けに起きる事件を時系列順に追っていく手法については、例えるなら
『24』のロシア版と呼べるかも。
まあ戦場の緊迫感はモロに『ブラックホーク・ダウン』なわけですが・・・。

ファンタジー映画としては不満が残るし、その他も気になる問題点は山ほどありますが、
そこを差し引いても意欲作ですし、「戦争スペクタクル」としては一級品だと思います。
私はミリタリー方面にさほど詳しくないのでよくわからなかったけど、車両や装備品も
かなり本格的らしいので、そっちのマニアにとってはたまらないんじゃないでしょうか。

空想をぶち壊すほどに生々しいロシアの現実を強く印象付ける『オーガストウォーズ』。
好みはさておき、現代ロシアの様々な実情を垣間見る上でも、見て損はないと思います。
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日本よ、これが海外オタクの底力だ!巨大ロボットvs怪獣映画『パシフィック・リム』

2013年08月11日 | 映画
『ヘルボーイ』や『パンズ・ラビリンス』といったホラー系ファンタジーで知られる
ギレルモ・デル・トロ監督が、その趣味嗜好を大爆発させた怪獣ロボット活劇映画
『パシフィック・リム』を観てきました。



さすがは生粋のオタクであるデル・トロ監督、この手の映画が好きなファンの気持ちを
恐ろしいほどよくわかってらっしゃる!と脱帽する内容に、もうお腹一杯です~。

派手な映像に個性的なロボ、生々しい怪獣の描写など、見どころはいろいろありますが
個人的にグッときたのは、目の前に巨大なものがある!という感覚を満喫させてくれる
ケレン味たっぷりの演出ですねー。

とにかく大きなバケモノが地面を踏みしだき、ビルをぶっ壊し、それを迎え撃つ巨大ロボが
敵を殴り、蹴り、締め上げ、そして切り裂く!
そうした巨大な存在同士による肉弾戦が、かつてないなめらかな動きと重量感を両立した形で
これでもかとばかりに描かれるわけですから、怪獣や巨大ロボットと共に育ってきた世代には
感無量というか、なんともいえない気持ちよさがありました。

自動型やAI制御ではなく「あくまで人が乗って操縦する」というところも、極めて重要。
やはり巨大ロボットは人間が乗って動かすことに、最大のロマンがあるわけですよ!
操縦方法がパイロットの動きをトレースする古風な仕組みだったり、攻撃を繰り出すときに
パイロットが絶叫する「お約束」も、きちんと抑えてあります。
(『トップをねらえ!』を溺愛する私にとっては、最高に燃えるシチュエーションでした。)
こういうのって、観る側にも操縦感覚や気分の高揚を伝える上でも重要な演出なんですよね。
そこを外さずに盛り込んでくれるのが、プロのオタクであるこの監督らしいところです(笑)。

リアルな映像は3Dによる効果が大きいのですが、それだけでなく、パーツのアップとか
アオリによるパースのつけ方など、日本のアニメを参考にしたと思われるレイアウトや
カメラワークが随所に見られ、新鮮な映像の中に懐かしい感じもあったりして。

しかし、アニメで見たままの映像がリアルな3Dで、眼前にドーンと出現する時代が来るとは・・・。
これは日本アニメもうかうかしてられないかもしれません。

劇中曲についても、日本の特撮で流れるような重厚な曲調のものが多く使われており、
3D映像の持つ巨大感をさらに引き立ててくれます。
ある意味、日本の特撮映像に慣れている人も「安心して」観られる作品だと思います。

さて、こんな映画を作ったデル・トロ監督に影響を与えた作品について、イギリスの映画雑誌への
監督自身の寄稿文を要約したまとめ記事「日本文化の影響を語るギレルモ・デル・トロ監督」が
実に要領よく紹介しています。

これを読むと、日本の特撮やアニメ以外にも、サンダーバードやメキシカンプロレス(ルチャ・リブレ)など、
子供時代に触れた様々なエンターテインメントから影響を受けてますが、これって日本での同世代にあたる
60年代前半の特撮映画やアニメ関係者と、かなり似通った経験なんですよね。
いわば、太平洋を挟んでほとんど同時期に「純粋培養された第1世代のオタク」が誕生していたわけで、
いわゆる「クール・ジャパン」と評される文化の担い手は、決して日本だけにいるのではないんですな。

そんなデル・トロ監督、当初は日本のメカデザイナーを招いて共同作業をしたいと考えていたようですが、
震災後の混乱や動揺を心配して今回は断念した・・・とのコメントが、先に触れた寄稿文にありました。
イェーガーのデザインについては、もっと洗練されたものを希望するファンの声もあるようですので、
今後も同様の巨大ロボ作品を作る機会があるとすれば、次こそ日本のスタッフを招いて欲しいものです。

日本の特撮ファンが大好きな細かい設定に触れないのはいかにも海外作品っぽいし、シナリオ面では
説明不足かつ荒っぽさも目立ちます。
また、なにかと自己犠牲を尊ぶ姿勢にも疑問を感じるところはありますが、多少のアラには目をつぶって、
ついに実現したハリウッド製巨大ロボ特撮の迫力を、ぜひ体験して欲しいと思います。

特に映画ファンと特撮ファンは、タイトルロールの最後まで必ず見届けること。
あの愛にあふれた献辞を目にしたら、少しくらいの不満なんて水に流せると思いますよ。
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これは必見!知的バカSF映画の傑作『アイアン・スカイ』

2012年09月30日 | 映画
「ナチスが月から攻めて来た!」というスゴイ設定のSF映画『アイアン・スカイ』を観てきました。



ちょうど先日、テレビ東京の深夜枠で『ブラジルから来た少年』を観たばっかりですが、
こちらはナチスの残党がその科学力で「ヒトラーのクローン計画」を作り出そうとする作品でした。
そしてこの映画から34年後、彼らは遂に「月面第四帝国」を作り上げてしまったのです!(笑)

…時は2018年、アメリカは50年ぶりの月面着陸を計画する一方で、月に埋蔵されている
次世代エネルギー源のひとつであるヘリウム3の独占を目論んでいた。
しかし着陸船から降り立った宇宙飛行士が目にしたのは、ヘリウムの巨大採掘現場であった。
実は超科学力によって密かに地球を脱出したナチスの残党が、月の裏側に巨大基地を建造して
地球へ帰還する機会をうかがっていたのである!

生き残りの黒人宇宙飛行士ワシントンが持っていたスマートフォンの性能に目をつけたナチスは
これをさらに入手して、秘密兵器を完成させようと画策。
ワシントンと地球研究者のレナーテ、そして副総統のアドラーが地球へと出発する。

一方、アメリカでは月面着陸で支持率アップを狙っていた女性大統領が思わぬ失敗に激昂、
彼女の選挙参謀であるワグナーは窮地に立たされていた。
そこにレナーテとアドラーが登場したことで、事態は急展開。彼らと手を組んだワグナーが
選挙運動にナチス風の演説を取り入れたのが大当たりして、大統領の人気は大きく回復する。

次期総統の座を狙うアドラー、地球の文化に触れてナチス思想の正当性に疑念を持つレナーテ、
そして地球を狙う月面第四帝国と、戦争効果でさらなる人気アップを図る大統領陣営。
様々な思惑が入り乱れる中で、いよいよナチスによる「隕石電撃作戦」が始まった…!


予告映像では「月面の巨大な鉤十字」や「ナチの超兵器による侵略」といった部分が
強調されてましたが、映画自体はむしろブラックな社会風刺ギャグがてんこもり。
特に「ナチスとアメリカの類似」や「人種差別がらみのパロディ」は、バカバカしくも
かなり鋭いところを突いていて、笑いながらも「うーん」と唸らされるところが多いです。

権力へのシビアな目線、悪趣味と紙一重のギャグセンス、怪しいテクノロジー、そして歴史からの
縦横無尽な引用は、アラン・ムーアっぽいところもあるので、そちらのファンにもオススメしたいところ。
たとえば『ウォッチメン』の原作コミックが好きな人なら、さらにこの映画を楽しめるでしょう。
また、戦争を皮肉った傑作コメディ『チャップリンの独裁者』と『博士の異常な愛情』に対する
徹底したオマージュからは、ティモ・ヴオレンソラ監督の大いなる映画愛が感じられます。

映画愛といえば、ハウニブ(ナチスが実際に設計していたとされる円盤兵器)の飛び方は、
ランディングギアの展開も含めて「ミレニアム・ファルコン」そっくりでした。
さらに『スター・ウォーズ』の帝国軍はナチスドイツ軍が元ネタで、そのナチスの円盤が
反乱軍のシンボルとそっくりな飛び方をする…と考えれば、これは二重のヒネリが入った
高度なギャグなのかもしれませんね(^^;

また、ナチス基地のセットやメカのデザインが、鋼鉄と巨大なギアのイメージで統一されていて
スチームパンク(というよりクロックパンク)風なのも、SFファンにとってはたまりません。

しかしなんといっても特筆すべきは、やはりクライマックスの大宇宙戦争!
ナチスの大宇宙艦隊に対して、地球側はいかにして反撃を行うのかという疑問に対し、
ヴオレンソラ監督はあっと驚く(そして思わず脱力する)秘策を用意しています。
え、マジ?それやっていいの?的な展開に、宇宙開発史にその名を刻む偉大なアレまで登場!
ロケットや人工衛星に興味がある人なら、バカバカしくも感動すること請け合いです!

シナリオのゆるさや時おりスベるギャグ、ベタすぎるナチス観といった気になる部分もありますが、
そういうツッコミどころも大らかさに変えて、いろんな映画のオイシイ部分を大胆に継ぎ合わせたのが
『アイアン・スカイ』という映画の良さだと思います。
オリジナリティをうんぬんするより、まずはそのリミックスのうまさを評価すべきでしょう。

そしてこの映画がリミックスする対象は、現実の社会情勢にまで及んでいます。
どこまでがウソで、どこまでが現実か。そしてどこまでがギャグで、どこからがシリアスなのか。
そういう危うさを「ナチス」という素材に託して見事に描ききった意味でも、『アイアン・スカイ』は
『博士の異常な愛情』という傑作映画の、正統な後継者だと思うのです。

B級というより、「知的なバカ映画」と呼ぶほうがふさわしい、(もしかすると)SF映画史に残る
金字塔になる(かもしれない)作品、そして何より「映画への愛」を強烈に感じられる作品です。

SF好き、映画好きなら、一刻も早く観にいくべし!いつ上映が終わっちゃうかわかりませんよ!(笑)
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ラース・フォン・トリアー監督『メランコリア』感想

2012年03月10日 | 映画
ラース・フォン・トリアー監督作品『メランコリア』を見てきました。

まずは冒頭8分間に凝縮された、地球滅亡のヴィジョンが圧巻。
ハイスピードカメラ「Phantom HD GOLD」で撮影された俳優たちの動きが、落下する鳥、
ぬかるんだゴルフコース、キルリアン写真のような放電現象、そして2つの月といった
超現実的な光景と組み合わされることによって、まるでシュルレアリスム絵画のように
魅惑的な映像を作り出しています。
それはまさに、破滅の直前にしか見ることのできない甘美な光景とも言えるでしょう。

特に屋敷の前で3人の人物が並び、天にふたつの月がかかる場面は、マグリットの代表作とされる
「光の帝国」を映像化したような美しさ、そして静謐さ。
また、花嫁が草花に囲まれて水に浮かぶ姿は、作中でも出てきたジョン・エヴァレット・ミレイの
「オフィーリア」へのオマージュですね。
(そういえばキルスティンが月光浴する小川も、ミレイの描いた構図とよく似てた気がします。)

一方で宇宙に浮かぶ惑星メランコリアと、それに隠されていく太陽による「宇宙の日の入り」は、
明らかに『2001年宇宙の旅』を意識したもの。

そして、メランコリアとの激突により粉砕される地球と、そこで朗々と鳴り渡るワーグナーの
「トリスタンとイゾルデ」は、人類のあけぼのを描いた『2001年宇宙の旅』に対して、
『メランコリア』が人類の終焉を描いた作品であることを強く印象づけます。

そしてこれだけ大きなスケールの映像をプロローグで見せておきながら、いざ本編が始まると、
狭い車内でべたべたする新郎新婦のカットから入るのには虚を突かれました(笑)。

手持ちカメラでの撮影は映像酔いするとの声も聞かれますが、私はあまり気になりませんでした。
むしろ固定カメラによるフレームの決まった映像と比べ、ドキュメンタリー調の演出を施す上では
かなり効果的だったと思います。

新郎新婦が乗るリムジンの接触事故に始まり、結婚披露パーティでの小さな衝突やヒロインの繰り返す
様々な逸脱行為、そしてカップルの破局という前半の流れを見ると、これらの人間関係そのものが
実はミクロな「宇宙」の寓意であり、やがてそれらを飲み込んで起こる、マクロな「宇宙」での衝突と
対比されていることがわかります。
そして地球とメランコリアによって演じられる「死のダンス」も、宇宙という巨大なパーティの中では、
ほんの小さな一幕に過ぎないのです。

人が通常認識できる「宇宙」の外側には、さらに巨大な「宇宙」があって、それらは人間の意志とは
何の関わりなく進行し、その果てに感慨もなく地球すら消し去ってしまうかもしれない・・・。
その不安感こそ、人間が常に感じながらも目を背け、意識から締め出している「憂鬱」ではないのか。
そして人間が、この「憂鬱」と真正面から向き合わなければならなくなったとき、どのような心理で、
どのように行動するのか。
こういったテーマをストレートに描いたのが、『メランコリア』という映画なんだと思います。

そして劇中、メランコリアが地球から見えない太陽の裏側にあった“惑星”であると説明される部分は、
「人間の認識になかっただけで、以前からそこにあったもの」という点において、人類全体が抱えている
「憂鬱」との共通性を意味するようにも思えるのです。

また、劇中に科学的考察による破壊描写や対抗策の提示がないとはいえ、かつてない悲劇に直面したときに
人間がどのように振る舞い、どのように最期を迎えるかをじっくりと考察したこの映画を、優れたSF作品として
評価しない理由はありません。
むしろ極限状況における人間の内面へと迫る描写は、ブラッドベリやマシスン、あるいはティプトリーといった
名だたるSFの名手たちが書く、優れた小説の味わいを持っていると思います。

私たちはいま、同時多発テロや東日本大震災を経験した後の、かつてない「憂鬱」の時代を
生きているように感じます。
それは戦争や災害といった極限状態とは違う、延々と引き伸ばされた息苦しさに近いもの。
その人類の絶え間ない不安の象徴こそ“メランコリア”という星であるとも解釈できる一方で、
地球の消滅という事態の前には、人類の抱える憂鬱など実に小さなものとも言えるでしょう。

・・・あるいは人間がひとつの星の運命についてあれこれ言うこと自体が、既に傲慢なのかもしれません。
(その愚かさを代表する存在が、キーファー・サザーランドの演じる科学者のジョンではないでしょうか。)

といっても、自然破壊や地球温暖化、そして各種の汚染に我々が何の策も講じなくてよい、と投げやりに
言うつもりは、これっぽっちもないですけどね。(実際に死んでしまうのは、私もイヤですので)

むしろ、自分たちの振る舞いが自らの身にに跳ね返ってきた後に、ようやく環境保護について騒いだ挙句、
それを自戒ではなく地球への愛情にすり変えようとする一部の考え方の中にこそ、人間の根っこにある
どうしようもないご都合主義、もしくは卑しさといった悪意を感じます。
(震災後に起こった様々な問題も、結局はこのご都合主義と卑しさが大きな原因にも思えますし・・・。)

そんな人間の卑小さを露骨なまでに暴きつつ、美しい映像と共に観客へと突きつける「知的な残酷さ」こそ、
この映画の、そしてラース・フォン・トリアーという監督の真価である・・・私はそう思っています。

そして『メランコリア』のクライマックスに訪れる映像は、私にとっては光と轟音の洪水によって
人間の業を洗い流す、一種の“浄化”のようにも感じられました。

トリアー監督は、いまや地球規模のサイズにまで膨らんでしまった人類全体の「憂鬱」に対し、
それより大きな「憂鬱」をぶつけることで、究極の治療を行ったのかもしれません。
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幻の傑作アクション映画『ブラック・サンデー』

2011年03月07日 | 映画
全国各地の劇場で1年にわたって名作の数々を上映する「午前十時の映画祭」。
その中でも目玉作品のひとつであり、製作当時に日本での劇場公開がお蔵入りになったといういわくつきの
アクション・サスペンス映画『ブラック・サンデー』を見てきました。



・・・時は1970年代。テロリスト集団「黒い九月」は、年明けにアメリカ国内での大規模なテロを計画し、
すでに下準備を終えていた。
しかしこのアジトをイスラエルの特殊部隊が急襲。居合わせたテロリストのほとんどを殺害してアジトを
爆破するが、このときに隊長のカバコフが見逃した女こそ、この事件の首謀者であるダーリアであった。

作戦中に押収した犯行声明テープから新年のテロを察知したカバコフは、部下とともにアメリカ国内で活動を開始。
そして同じころ、ダーリアもアメリカに入国し、現地協力者である退役軍人のランダーと接触していた。
かつては軍の飛行船パイロットとして活躍し、叙勲もされたランダーだが、飛行機の登場によって活躍の場を
奪われたあげく、ベトナム戦争では捕虜体験で精神に傷を負い、帰国後は妻子にも逃げられるというありさま。
転落した英雄は、自分から全てを奪った国家に対する憎悪を募らせており、そこをダーリアにつけこまれたのだ。

やがてテロ用の物資が到着し、二人は警察やカバコフたちの目をかいくぐって着々と準備を進める一方、
荷を運んだ船長やカバコフの部下を殺害する。
自らも負傷したカバコフだが、部下の死によって犯人への憎悪を強め、脅迫やぎりぎりの外交取引といった
強硬手段で情報を入手し、ダーリアと接触したテロリストを追い詰める。
しかしテロ計画自体は予定通り実行に移され、ランダーは新年の恒例行事であるスーパーボウルの中継を行う
飛行船に乗り込んでいた。

アクシデントを装って基地に戻った飛行船に、ボートに偽装した爆弾を取り付けるダーリア。
この爆弾をスーパーボウル会場の上空で爆発させれば、600キロのプラスチック爆薬によって発射された
22万本のダーツの矢が、場内の8万人を一瞬で蜂の巣にする。
これがランダーの暖めてきた、アメリカに対する壮絶な復讐計画だったのだ。
会場へと接近する飛行船と、ヘリコプターでそれを追うカバコフ。
ランダーたちの悲願は成就するのか?カバコフは大量殺戮を阻止できるのか?

そして巨大な飛行船が、ついに8万人の頭上へと姿を現した・・・。


製作当時に世界的な問題となっていた「イスラエル・パレスチナ問題に関係するテロ活動」をテーマにした
映画ですが、内容的にはその後にアメリカで発生した数々のテロ事件をも思わせるところがあり、いま見ると
別な意味でのリアリティをひしひしと感じさせます。
話の組み立てはやや荒っぽいですが、山あり谷ありのサスペンスとアクションでぐいぐい引っ張るところに、
名匠ジョン・フランケンハイマー監督の豪腕が光ります。

そしてなんといっても強烈な印象を残すのは、前代未聞とも言うべき残虐な大量殺傷計画!
なにしろ“超大型の対人志向性地雷を、8万人の頭上で爆発させる”という作戦ですから、その惨状たるや・・・。
そんな非道な爆弾を思いついたことを、まるで自らの優秀さの証明するかのように自慢するランダーの狂気と、
様々な障害にもかかわらずテロを実行しようとするダーリアの執念にはぞっとしますが、これも元をただせば
イスラエルと、その後ろ盾となっているアメリカの行動が招いた結果であり、アメリカ軍人として、あるいは
パレスチナ難民として二人が味わった悲劇と苦悩の深さの裏返しにもなっています。
短いながら作中でもこの点についての指摘がされていて、単なる勧善懲悪に終わらないのもいいところです。

さすがに時代的な古さは否めない『ブラック・サンデー』ですが、テロとカウンターテロを描いた映画としては
非常によくできていて、今でも高く評価されるのもうなずけます。
同種のテーマを扱った『攻殻機動隊』や『東のエデン』それに『コードギアス』といったアニメを見る上でも、
大いに参考になると思います。

なお、「午前十時の映画祭」は地域によって上映作品・上映時期が異なります。
『ブラック・サンデー』は府中と横浜での上映が終了していますが、海老名では3/11(金)まで上映。
その後各地で順次上映されますので、公式サイトで確認してください。
この機会に幻の名作を、ぜひ劇場で!

なお、かなり先の話になりますが、六本木では2012年の1/7(土)~1/13(金)の上映が予定されてます・・・って、
劇中のテロ事件とまるっきり同じ時期じゃないか、なんかやだなぁ(^^;。

ちなみに今回の作品リストには『ミツバチのささやき』も入ってたんですが、本国でのニュープリント製作が
大幅に遅れたため、残念ながら上映中止に。
『マイマイ新子と千年の魔法』とも関係する作品だけに、メディア芸術祭受賞後の早い時期に見たかった・・・
という悔しさはありますが、今後のニュープリントでの上映&DVD発売を期待しましょう。

きっとそのころには『マイマイ新子と千年の魔法』のブルーレイディスクも出ている・・・といいなぁ(笑)。
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『アバター』IMAX版を観てきました

2009年12月28日 | 映画
ジェームズ・キャメロン監督の新作3D映画『アバター』を見てきました。
せっかくだからIMAXで見よう・・・と思いついて、わざわざ川崎まで遠征です。

それと、今回は3D映像を存分に楽しむため、字幕のつかない日本語吹替版を選びました。
サム・ワージントンをアテた東地宏樹氏をはじめ、みなさん演技が上手で安心しましたが
中でも一番安定してたのは、シガニー・ウィーバーの弥永和子さんでした(そりゃ当然か)。

それにしてもタイトルが『アバター』なのに、中身は「わが名はジョー」というのが
なんともかんとも・・・まあ、どっちもポール・アンダースンつながりなんですが。
(と思って調べたら、嶋田洋一先生もTwitterで同じネタ書いてますねー。)

内容は予告篇等でもわかるとおり、異星を舞台にした先住民と外来者による交流と
戦いの物語です。

つまりは『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の異星バージョンなんですが、異星人の描き方が
いかにも旧態依然だとか、文明格差が露骨すぎとか、人間側を悪く描きすぎてるとか
戦争観がおざなりとか、ツッコミどころは山のようにあります。
いわゆる「きっちり練られた深みのある物語」を期待すると、たぶん肩透かしかと。

でもこの映画を語るとき、そういうところをあげつらうのは無粋なことでしょう。
この作品は、たとえば古典的SF小説が文章で表現してきた“美しさ”と“驚き”を、
どこまで“体験可能”なレベルにまで近づけられるかという、ムチャクチャ大掛かりな
テストケースなのだと思います。

そういう視点で評価するなら、これはちゃんとした成功作になってました。

ポール・アンダースンにハリイ・ハリスン、ジャック・ヴァンス、アン・マキャフリィ、さらに
オールディスにティプトリーといった作家たちが連綿と紡いできた異境のヴィジョンが、
この『アバター』に凝縮されていると言っても、さほどオーバーにはならないハズ。
それをオリジナリティの欠如と批判するよりは、よくぞここまで具象化したと誉めるのが
SFファンとしての正しい姿勢じゃないのかなー。

そしてキャメロン監督は、3D映像を観客を脅かしたりショックを与えるといった単なる
「コケおどし」の道具ではなく、あくまで“臨場感”を高める最良の手段と考えている様子。
だから火の玉や岩の断片が客席に飛んでくる、といった下品な演出はほとんどありません。
むしろ目立つのは、空間の“奥行き”を強調する3D演出であり、出演者(CG含む)の
皮膚の質感や、駆け回り飛翔する異星の生物たちの躍動感といった部分です。

3Dにおける表現のあり方をマジメに考えながら撮ったんだろうなぁ、キャメロン監督。
「観るのではない、そこにいるのだ」というキャッチコピーは多少ハッタリめいてますが、
監督が造りたかった映像の核心は、まさしくこのコピーに凝縮されていると思いました。

ではその体験をどう感じたかというと・・・「現状ではこれが最高だろう」という納得感と、
「まだまだ技術革新が必要だなぁ」という残念さが、複雑に入り混じったものでした。

納得した部分は、完全にスクリーンへ没入するほどの臨場感までは得られなかったものの、
明らかにこれまでの映像体験とは違う面白さを感じられたこと。
鮮明な映像と奥行きを強調した画面の楽しさは、微妙な違和感を補って余りあるものでした。
そして3Dが予想以上に効果を発揮していたのが、異星生物の体表が持つ質感の表現。
これに関しては、今までのSFXが及ばない表現のレベルへと到達していたように思います。

一方でさらなる技術革新を望みたいのは、やはり3D映像が持つ「不自然さ」の部分。
映像自体の違和感も解消すべき点ですが、それ以上の課題は眼と体に感じる負担感です。
感覚的に楽しめる映画ならともかく、じっくり内容を楽しんだり深く考えさせたりという作品には
この負担感が鑑賞の大きな妨げになるでしょう。
全ての人がストレスフリーに見られる手法が完成するまで、やはり3D映像は実験的レベルに
留まってしまうものだと思います。

しかし、今回の“実験”にかかった時間とコストの大きさを考えると、これを実行できるのは
やっぱりキャメロンやスピルバーグ、ルーカスくらいしかいないでしょうねー。
ある意味ではキャメロン監督による、究極の「道楽映画」と言ってよいかもしれません。
その点を考えると、押井監督が「自分のやりたいことを100%やられてしまった」と
大いに悔しがったのもわかる気がします。
『アバター』にも『立喰師列伝』に似たマニアックさの匂いがしますから(笑)。

そういえばキャメロンの映像への執念って、どことなく「アニメ」や「コミック」における表現を
(CGも使った)実写でやってみたい、という欲望に支えられているように思えるんですよ。
今回も全編に日本のアニメ的なモチーフが多用されてたし、あえてそれを本歌取りにしたと
思われる場面もありました。
特に『風の谷のナウシカ』と『攻殻機動隊』からの影響は、もう決定的じゃないかと。

あとは『未来少年コナン』かなー、なんといってもギガント走りつきなので(笑)。


ただしイマジネーションの奔放さや動きの面白さといった部分に関しては、今でもまだ
アニメのほうに軍配が上がると思います。
だから富野監督が(アニメ作家の立場として)『アバター』を未完成と評した件にも、
ある程度は同感できるところ。
ただし相手は「超弩級(円城流なら超伊級)に手のかかった」書き割りなわけですが・・・。

3Dナシでナンボの映画か確かめるために、今度は通常版を観てきたほうがいいのかな?
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テアトルタイムズスクエア閉館特別上映『2001年宇宙の旅』

2009年09月09日 | 映画
8月30日、新宿からひとつの映画館が姿を消しました。

新宿タカシマヤ内にあった「テアトルタイムズスクエア」です。
建物使用の契約満了を理由に、2002年4月から7年間の営業に幕を下ろすことに。

そしてこれに伴うお別れイベントとして、ファンのアンケート結果上位作品と
劇場からの推薦作による、閉館特別上映が行われました。


上映作品は以下の14作品。
中でも『カリ城』と『時かけ』は、前売りが早々に完売となってました。


そして私が見た作品は、アンケートで見事1位に輝いた『2001年宇宙の旅』。
DVDは持ってますが、映画館で見たのはこれがはじめてでした。


いやー、さすがに大スクリーンで見るとひときわいいですなー。

有名な「太陽・地球・月」の直列シーンと、そこにドーンとかぶさってくる
「ツァラトゥストラはかく語りき」の荘厳さは、やはり劇場で見るべきもの。
フィルムにイタミがある部分もありましたが、映像的には今見ても遜色がないし
SFXに3DCGを使っていないところも、今となっては新鮮に見えました。

細部の造りこみの省略感や生活感の薄さなど、CGが無い時代ゆえの数々の工夫が
逆にこの作品ならではの「不可思議な未来像」を成立させたと言えるでしょう。
現実の2001年はこの映画よりも猥雑で、まだまだ人間臭い世界のままですからね。

今では古典的SFXの見本となってしまった木星でのスターゲート突入シーンも、
予想以上に楽しく見られました。

やはり大画面で見るとスケールが段違いだし、なにより目が疲れなくてよかった(笑)。

ちなみに冒頭でフロイド博士が娘とテレビ電話で話すシーンですが、よく考えると
初代『トップをねらえ!』の冒頭シーンと実によく似ています。
(そういえばユングのファミリーネームの「フロイト」(英語読みだとフロイド)も
むしろこちらにひっかけているような気もします。)
そしてスターゲートのシーンは、この作品の前に上映していた『時かけ』の中でも
真琴が初めてタイムリープする場面として引用されています。
こう見ると、日本では特撮作品よりもむしろアニメのほうに『2001年宇宙の旅』の
DNAが色濃く引き継がれているのかもしれません。

初の劇場版『2001年』を堪能して帰ろうとすると、周りにいた10代、20代の
観客の話し声が耳に入りました。
みんなそれぞれに、ラスト数分の謎めいたシーンを解釈しようと話し合ったり
気づいた点を指摘しあったりしています。
これを聞いていて、名作の条件は世代を超えて観客を刺激することなんだなぁと
改めて実感しました。
そういえば、昔は自分も全く同じ事をやってたよなー(遠い目)。

今はDVDで名作映画を自宅で手軽に見られるけど、やはり劇場で見るのとは
体験のレベルがワンランク違うし、劇場での興奮を仲間と一緒に共有することで
作品へ理解や思い入れが一層深まる気がします。
今回のような閉館イベント以外にも、往年の名画の数々をコンスタントに
(しかも、できれば最新鋭設備のある劇場で)上映してもらいたいですね。

そうやって下の世代に名作の良さを伝えていくことが、やがては映画の復権へと
つながっていくんじゃないか・・・とも思ったりして。
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マシンロボ・フォールンの大逆襲

2009年07月16日 | 映画
『トランスフォーマー リベンジ』を観てきました。

前作が結構おもしろかったので続編にもある程度は期待してましたが、
今回も上々のデキでした。

今回の物語は前作から2年後。
オプティマス・プライム率いるオートボット軍団と、対ディセプティコン用特殊部隊
「NEST」、そして大学生になった主人公のサムが、古代トランスフォーマー族が
地球に残した遺物を巡って、復活したメガトロンとその師である反逆者フォールン、
そしてディセプティコン軍団と激突します。

7人のプライムと一人のフォールン・・・って、これ明らかに七大天使とルシフェルが
モチーフになってますよね。
かつてトランスフォーマーと接触した人類の種族的な記憶が歪んで伝えられ、
その姿が今もその恐怖のイメージとして残っているということなのでしょう。

こんなところにもクラークの『幼年期の終わり』(または短編版の「守護天使」)
からの影響が見られる気がします。

上が長編『幼年期の終り』
下はその原型短編が収録された『太陽系最後の日』(共にハヤカワSF文庫)

メカの数、SFXのレベル、そして戦闘シーンなどは1作目に比べて大きく強化。
前作ではやや物足りなかったメカ同士のぶつかり合いや人間側軍人の奮闘ぶりが、
今回はたっぷりと描写されてました。

ところで重機のふりをしていたデモリッシャーの変形シーンを見て、スタージョン中期の
中篇SF小説「殺人ブルドーザー」を思い出してたヒト、私以外にもいませんかね?

シオドア・スタージョン他 『地球の制止する日』(創元SF文庫)
(「殺人ブルドーザー」収録)

遥か古代にトランスフォーマーが人類と接触していたことや、その子孫たちが人間社会に
ひっそりとまぎれこんで、いろんなメカに擬態しながら生き延びていたという裏設定は
実におもしろかったです。

こちらはまるでA・ディヴィッドスンの奇想SF「あるいは牡蠣でいっぱいの海」みたい。

A・ディヴィッドスン 『どんがらがん』(河出書房 奇想コレクション)
(「あるいは牡蠣でいっぱいの海」(別題「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」)収録)

また老トランスフォーマー“ジェットファイア”(なんとロッキードSR-71!)の一言も
実に興味深いものがあります。

「ワシの父は宇宙最初の車輪だった。」

ホラ話としてもユニークですが、これがメカ種族の進化の一端を示唆する話とすれば
それだけでもう十分ワクワクしてきます。
こういう点をもっと掘り下げれば、かなり本格的なSFサスペンスができるはずですが
それをしないで単純にロボットと爆発と破壊のオンパレードで押しまくるところが、
良くも悪くも『トランスフォーマー』らしさということなのでしょう。

そういえば姫鷲さんを含めてあまり評判の良くない“下ネタ”と“下品な母親”ですが
私は結構楽しめました。
なにしろ『フライング・ハイ』とか『トップ・シークレット』とか、昔から大好きですし(^^;。
(ただし『オースティン・パワーズ』はM・マイヤーズが濃すぎてダメでしたが)

個人的には、最先端のSFXと旧きよきアメリカンホームコメディがミックスされたのが
『トランスフォーマー』の世界観だと思ってるので、その意味ではあの母親のキャラも
物語には欠かせない存在だと思います。
大学でハッパ入りのお菓子を売りつけられてブッ飛んじゃうのには笑ったし、
最後には父親を制して息子を戦いへと送り出したのもエラかったなぁ。

それにしても今回は市街戦にパラシュート降下に山岳戦闘と、オプティマスが大暴れ。
色がトリコロールなのも含めて、前作以上にガンダムっぽく見えました。
敗北して大破するも強化されて復活!というのも、ガンダムのお約束ですし(笑)。

あと忘れちゃいけないのが、サイドスワイプのカッコよさ!
こちらは動きといいソードの使い方といい、どこかガンダムシュピーゲルを思わせます。
序盤だけしか活躍しなかったのは残念だけど、今後シリーズが続くならぜひ再登場を。
あとアーシーちゃんもぜひ復活希望!(できればミカエラのバイクで登場して欲しい。)

余談ですが、スミソニアン博物館のシーンでこれ見よがしにエノラ・ゲイが映ったのは
ちょっとイヤでしたね。
日本発の玩具から生まれた映画にこれが出てくるとは・・・なんか複雑な気持ちです。
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『おくりびと』『つみきのいえ』オスカーW受賞

2009年02月23日 | 映画
今日一日どこのニュースもこの話で持ちきりでしたが、米アカデミー賞の
外国語映画部門で『おくりびと』、短編アニメ賞で『つみきのいえ』が、
受賞作に選ばれました。

『おくりびと』私は見てないんだけど、行った人の話では相当な力作らしいし、
日本アカデミー賞もほぼ総ナメだったので、これで獲れなきゃ実写日本映画に
オスカー受賞の目はないだろうと思ってました。まずはめでたい。

これでようやく、日本映画が世界の主要映画賞をひととおり獲れましたね~。
時代劇の受賞でなかった事についても、高く評価したいと思います。
今も上映中の作品なので、これでさらに上映期間と観客動員数が伸びるでしょう。
3月には早くもDVDが発売されるそうで、Amazonでのクリック数も激増中みたい。

『つみきのいえ』は、先日覗いてきた『メディア芸術祭』で見てきましたが
丁寧な作画と叙情的なつくりが光った作品でした。
ただ、短編アニメならではの切り口の斬新さなどはちょっと薄めなので
私にはちょっと印象が弱かったところもありますが。
ともかく、日本アニメの水準の高さを改めて示したことは確かです。
受賞後に加藤監督がどういう作品を送り出してくるかにも、注目したいですね。

他の受賞作はどれも見てないのでなんとも言えないんですが、ひとつだけ。
ヒース・レジャー、助演男優賞受賞おめでとう!
できることなら、ジョーカーの姿でオスカー像を持つあなたが見たかった。
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ピアノチューナー・オブ・アースクエイク

2008年10月18日 | 映画
独特の隠微かつ淫靡な世界観を持つ人形アニメで知られるブラザーズ・クエイの
新作『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』を、公開初日に見てきました。
この作品は実写が中心で、そこに人形アニメを組み合わせたもの。
ちなみに私は今回がクエイ作品初体験です。

異端の発明家であるドロス博士が、自分の理想とする音楽を完成させるため
歌姫マルヴィーナを連れ去り、自ら発明した7台の奇怪な音楽機械を用いた
恐るべき演奏会を計画する。
その機械を調律するために博士の島へと呼ばれた調律師は、歌姫の婚約者に
瓜二つの男だった。
そして彼を「地震を調律する男」と呼ぶ博士の助手らしき女、アサンプタ。
夢とも舞台劇とも思える島での日々と、愛憎もつれ合う4人の男女を描きつつ
やがて物語は演奏会の日である月食の夜を迎える・・・。

とあらすじを書いてみましたが、実際には筋なんてあってないようなもの。
全編に廃物趣味と懐古趣味が充満し、動きが少なくて脱色されたような映像が
延々と続きます。

コントラストが強調されて昼とも夜とも見える光の中でぎこちなくうごめく
俳優たちの姿は、まるで夢の中の人物か人形アニメのキャラクターみたい。
そんな実写の合間に「本物の」人形アニメが挟み込まれることで、人間と人形の
境界線はあいまいになり、現実と幻想の区別も失われていきます。
このうにゃうにゃ感が、たぶんクエイ兄弟の持ち味なのでしょう。
映像美がツボにはまる人には最高だと思いますが、物語性は極めて薄いので
映画というよりは一種の連続写真かビデオクリップを見ている感じでした。
あるいは、作家の脳内映像を撮った記録映画というべきかな。

シュール系の映像は意味わかんなくても見てて気持ちよければいいと思うのですが
この映画の場合はグロテスクさと若干のエロこそあるけど、後は淡々としたもの。
『アンダルシアの犬』とか『カルパテ城の謎』とかが好きな私としては、もう少し
ユーモアか残酷さといったスパイスも欲しかったところです。
おかげで中盤はつい眠気が・・・ちょ、ちょっとしか寝てないもん!(^^;

クエイ兄弟の本領を感じさせるのは、やっぱり人形アニメのパートでしょう。
グロテスクで人体のパーツを連想させる自動機械の数々、不気味な人形などは
キッチュで悪趣味なものならではの面白さを感じさせます。
ちなみに最後のシーンはまるっきりベックリンの「死の島」。
思い返せば、この映画全編がそのイメージに基づいているような気もします。
アート系、特にシュールな映像をお好みの方にはいいかもしれません。
ただし見る人を確実に選びますので、その点は覚悟のうえで。
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鋼の板金術師

2008年10月06日 | 映画
『アイアンマン』見てきました。
アメコミヒーローとしては古参組、しかもメタルヒーローのご先祖的キャラですが
ベトナム戦争を背景にした設定が時代に合わなくなってしまい、銀幕デビューが
ここまで遅れちゃった感じ。21世紀になって、いよいよスクリーンに進出です。

享楽的で世間知らずのボンボン社長である主人公がアフガンで武装ゲリラに捕まり
大量破壊兵器を作れと脅迫されるものの、持ち前の頭脳とありあわせの材料から
初代のアイアンマンスーツを作って脱出。
その後は心を入れ替えて兵器製造から足を洗うと決めた一方、無限の可能性を持つ
スーツと動力源の改良に一人で打ち込みますが、陰謀の黒幕はその成果を奪って
最強のスーツを生み出し、アイアンマンと激突!・・・というのが、映画版のお話。

エンターテインメントとしてはソツなくまとまってたと思います。
アイアンマン開発のプロセスも、戦場でハンマー片手に板金作業のマークⅠから
自宅の研究室で組み立てられたマークⅡ、そのマークⅡを改良したマークⅢと
それぞれの工程をたっぷりと見せてくれますし。
派手好きで女好きのトニー社長ですが、一番光ってるのはアイアンマン開発に
没頭しているときの姿。
ひとりで好きなことにコツコツ打ち込む様子は、ある意味で世界一理想的な
オタクライフの姿にも見えました。
手作りのガレージロボをホットロッドに見立てたカラーリングも、まさにシュミ全開。

一方、テーマとしては昔ながらのアメリカ映画を脱しきれてません。
確かに痛めつけられたとはいえ、脱出する際にはスーツのパワーと火炎放射器で
ゲリラを容赦なく殺し、最後は基地を丸ごと壊滅させてます。
帰国して兵器業から足を洗うと宣言しつつ、アフガンで犠牲となった恩人の村が
ゲリラの襲撃を受けていると知るやいなや、スーツを着こんで武力介入。
生身とパワードスーツの違いだけで、やってることはランボーと変わりません。

兵器を売らない事と武力行使を認める事は両立する、ってことなんでしょうか?
そういう点をあまり悩まないのがエンタメとして成功した部分であり、同時に
それ以上のものが見えてこない「薄さ」にもなっていると思いました。

『ダークナイト』のような平和と暴力、そして人間性に対する深い苦悩と考察は
すっぽりと置き去りにして、自分の思うままにグイグイと行動する主人公。
この行動を無邪気で憎めないものと思うか、あまりに思慮のないものと思うかで
映画全体への印象がかなり違ってくると思います。
個人的には「これがアメリカ人の考える「正義」なのかなぁ」と思ってしまい、
素直には楽しめませんでした。まあそれでもやっぱりおもしろかったんだけど。

ちなみにこのやり口ってどこかで見たことあるなーと思ってたら、まるっきり
ソレスタルビーイングと一緒なんですね。
ダブルオーの2nd第1話を見ていて、思わずヒザを叩いてしまいました。
自社の兵器を一掃するアイアンマンと、ガンダムを駆逐するガンダム。
なんだか2ndシーズンでは、さらに話が似てきそうです。
そういえばこの両作品、どっちもSONY製でしたねー。

ヒゲ社長のトニー・スタークを演じたロバート・ダウ兄ちゃんはさすがの演技派、
イヤミで自信家なのになぜか憎めないという主人公を見事に演じています。
あのヒゲ顔が赤金のスーツを着てる姿は、やっぱり憎めないんだよなぁ。
中年オタクたちに勇気を与える熱演!・・・と評価していいのか、悪いのか。
まあ中年になってひきこもるのは、まず社長になってからということで(^^;。

秘書のペッパーを演じたグウィネス・パルトロウは「素材はいいのに磨かない」
という才媛役がハマってました。女優では『ダークナイト』に勝ったかも。
演技も重要だけど、役者はやっぱり見た目も大事ですから。

最後に「ある組織」の「ある男」が出てきたのには、ちょっと驚きました。
えー、じゃあキャップとかも映画化するの?って感じ。
『アイアンマン』よりもっとアメリカ的な映画になるのは確実ですから、
作品自体にあまり食指は動きませんね。
あのキャラをどういう設定で蘇らせるのか、そこだけは興味ありますけど・・・。
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「バットマン」はもういない-『ダークナイト』

2008年08月23日 | 映画
狂気と混沌の申し子・ジョーカーが仕掛ける、危険なゲーム。
狙うはバットマンの首、手札はゴッサム市民の命。
二人の男の存在意義を賭した極限の戦いが、いま幕を開ける。

『バットマン・ビギンズ』でヒーローとしての自己を確立したバットマンですが、
続編の『ダークナイト』では、再び「ヒーローとは何者か」という究極の命題を
突きつけられます。

ヒーローとは大衆に支持されるアイドルなのか、それとも己の信念を貫き通す
孤独な存在なのか。もし後者なら、ヒーローとヴィランは共に世間のはみ出し者、
つまりフリークなのではないか。
あるいは、「真実」と「正義」の問題。この二つは同じものと言えるのか。
そしてもし一方を選ばなければならないなら、より大切なのはどちらなのか。
「もう一人の自分」とも言えるジョーカーが仕掛ける罠によって、バットマンは
その存在を根本から揺るがされ、次々に苦しい選択を強いられていきます。
そんな戦いの果てに、彼が選んだ「決断」とは・・・。

フランク・ミラーやアラン・ムーアが描いたシリアスなバットマン世界を
踏襲しながら、アクションやカーチェイスに最新メカといった見どころも
抜かりなく盛り込んだあたりは、ハリウッド映画のしたたかさ。
メッセージ性と娯楽性、それに作家の美学がうまく共存しています。
押井さんもこのくらい器用に作れれば、もっと興収が見込めるのに(^^;。

作品中で群を抜いて光っていたのは、やはりジョーカーの存在でしょう。
己の欲するところをためらいなく実行する姿は、悪魔的な魅力に輝いています。
演じたヒース・レジャーの死さえも、結局はジョーカーの魔性に飲まれたように
思えてなりません。
彼こそがジョーカーの最後の犠牲者だったのではないでしょうか。

ジョーカーのメイクは顔を隠すためではなく、自己の内面を表現するもの。
つまりはあれが彼の素顔であり、隠すものは何一つありません。
むしろ自分の正体を隠そうとあれこれ苦心するブルース・ウェインのほうが
小物に見えてしまうほどです。
クリスチャン・ベールもがんばってるんですけど、今回だけは分が悪い。
ちなみにパンフによると、あのメイクはフランシス・ベーコンの描く絵を
イメージしたものとか。
なるほど、あの不気味さはそこから来てるのか~と思わず納得です。

さて今回のラストを見ると、いよいよ次回作は『ダークナイト・リターンズ』に
なりそうな予感がします。
真に「闇の騎士」となったバットマンに、復権の時は来るのか?
今回のラストがまたも次作の伏線となるのか?そして新たな敵は何者なのか?
早くも続編への期待が高まるところです。
ヒースのジョーカーがもう見られないのだけはどうにもなりませんが・・・。

ひとつだけ惜しまれるのは、ヒロインがまたもパッとしないこと。
ケイティ・ホームズもイマイチでしたが、マギー・ギレンホールはそれ以上に
なんだかなぁという感じです。
バカっぽい美人も困るけど、あまりに見ばえのしないヒロインもね~。
ブルースが彼女をデントに奪われても、大して気の毒には思えないのでした(笑)。
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「闘争の季節」ふたたび-スカイ・クロラを見て

2008年08月20日 | 映画
完全な平和と引き換えに、ショーとしての戦争が確立した世界。
そこで戦うのは、永遠の子供であることを定められた「キルドレ」たち。
平和な日常を意味あるものと感じさせるため、観衆に提供される「戦争」は
キルドレたちにとっては唯一「生」と「死」を感じ取れる場所でもある。
「スカイ・クロラ」は、そんなキルドレたちの生きる日々を綴った物語。

「静謐な画面に緊張感を漂わせてる」とも「神経質で無機質な画面」とも
形容できるこの映画ですが、私にはやっぱり「闘争の季節」の恋愛模様に
見えてしまいました。
固定観念かもしれないけど、押井さんの作品には常に全共闘や安保世代の
体験した「原風景」が刷り込まれているように思えます。
私もリアルに体験した世代ではないのですが、あの当時の昂揚や挫折感、
そして行き場のなさなどといった感覚が残響のように残っているかのよう。
ユーイチとスイトの関係も、まるで「バリケードの中の恋」みたいです。

言い換えると、その当時と現在って、実はあんまり変わっちゃいないのかも。
青春像なんて根本的には普遍のものだし、世界全体は冷戦中もその後でも
形は変われど緊張感を孕み続けてますし。
遠くの戦争を眺めつつ変わりない日常を過ごすという構図も、朝鮮戦争以後
中東戦争やベトナム、そして湾岸戦争から9.11を経て今に至るまで、なんら
変わっていないものだということもできるでしょう。
そんな世界、特に日本の現状を写し取りつつ、生を実感できる「闘争の場」である
「空中戦」を組み込んだのが、「スカイ・クロラ」の世界観なのではと感じました。

あとやっぱり、基地を中心とした登場人物の生活は、どこか学校を思わせますね。
基地の閉塞感とゆるくもピリピリした雰囲気などに、そういう気配を感じます。
連れ立っての外出やボウリングの生き生きした描写なども、同じように見てました。
学園生活とくると、必ず「ビューティフル・ドリーマー」が引き合いに出されますが
それを差っ引いて見たとしても、たぶん同じ感想を持ったでしょう。
ならば最大の、そして倒せない「大人」の敵の名が「ティーチャー」であることも、
むしろ当然だと言えます。

でもこういう感覚って、たとえばリアルタイムで学生をやってる人たちに対して
ある程度でも伝わるのでしょうか?
その手の観客層に訴えるには作りが抑制されすぎ、レトロすぎだと思うのです。
はっきり言えば、押井さんの(もしくは原作者の?)趣味が強すぎるんですよ。
作風も空戦以外は地味だし、その空戦場面も映像テクニックはすばらしいものの
パイロットであることの悲壮感などの「客受けしそうな」部分は見せないし。
(というか、スイト自身がそれを否定しちゃってますしね。)
あえて劇的な演出を押さえて、情緒に流されないように作ったのかもしれないけど
よっぽど食い下がってくる層でないと、いろいろ拾って来れないのでは?

押井さんはテンション上げちゃうと饒舌になるので、客に引かれるのをためらって
色々ガマンしたんでしょうか?
でもそういう押井作品って、個人的にはイマイチ退屈でもあります。
そんな私にはやっぱり「立喰師列伝」のほうが口に合うのでした。

基本設定や種明かしについては省略。この手のネタには他で慣れてるので
あえて取り上げなくてもいいかな~、ということで。
個人的には娼館の話やあいまいな記憶という部分に、ジーン・ウルフの諸作
連想させられたというくらいにとどめておきます。


こんなのとか・・・


あと、こんなのとか。

ちなみに「崖の上のポニョ」では「アバイアの女奴隷」が見られますよ(笑)。
以上、SFマニア向けの私信でした。

・・・以下、気づいた点をだらだら書いてみます。

タバコを吸う、酒を飲む、愛し合う。
大人にしかできないはずのことをやっても、大人になれない「キルドレ」。
彼らはチルドレンで、キル+奴隷、だから大人にならないし、なる必要もない。
そしてスイトはユーイチが還らなかった時、「本当に何かを変える」ため、
あえてタバコをやめたように見えました。

アンティーク調の室内に繰り返しディスプレイされている、伊万里や染付の数々。
最初は骨董趣味かと思いましたが、あれはたぶん模作ではないかと思います。
模作に囲まれた世界は、そこで過ごす存在もまた模作であることの暗喩かと。
ブレードランナーにおける「写真」が、スカイ・クロラの世界では「骨董」へと
置き換えられているのでしょうか。

押井さんが上映前から「身体回帰」と語っていたのは、フィジカルな部分よりも
むしろセクシャルな部分への言及だったのかな、と映画を見た後に思いました。
さらに性的な関係の延長としての「子供」と、それを永遠の子供である「キルドレ」が
求めたという矛盾性を、ミドリのセリフがうまく突いています。
こういう感覚って、実は「イノセンス」の頃も感じていたのだけれど、あの頃は
押井さんもそのまわりも「性」や「身体性」に言及する方向からは遠かったし、
作品自体もベクトルが逆のものだったので、こちらも深くは考えませんでした。
今回「スカイ・クロラ」を見て、そのへんがなんとなく腑に落ちたという気分です。

結論・押井守はやっぱり押井守である、以上。(なんのこっちゃ)
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ブルース・ウェインのコーチまでやってるとは・・・!

2008年08月08日 | 映画
フジテレビで放送中の「バットマン・ビギンズ」鑑賞中。
リーアム・ニーソンの声が若本御大でびっくりです。
DVDで見たときと配役違ってるじゃん。こんなことなら録画しておくんでした。

おかげで前半のノリは「スター・ウォーズ エピソードⅠ」のグワイ・ガン・ジンが
新録音版「トップをねらえ!」のオオタコーチの声でしゃべってる感じです。
これが後半になるとブリタニア皇帝に・・・と書いたら、ちょっとネタバレですかね?

フランク・ミラーによる「バットマン・イヤーワン」をベースにして
「バットマン」とは何者であるかを一から語りなおした「ビギンズ」。
その続編「ダークナイト」では、いよいよ宿敵ジョーカーが登場します。
予告編を見たところでは、同じくミラーが担当してアメコミ界を激震させた
歴史的作品「ダークナイト・リターンズ」からの影響がかなり強いみたい。
この作品で強烈な悪意を放っていたジョーカーの姿を、故ヒース・レジャーが
見事に再現しているのが驚きです。
本編は来週あたり見に行きますけど、今から楽しみ。

さて、クリストファー・ノーランのバットマンは全三部作になるというウワサも。
だとすると第三作のタイトルはズバリ「ダークナイト・リターンズ」かな。
もし原作どおりなら、最後の敵はあの「鋼鉄の男」になるはずですが・・・?
いちおうどちらの配給元もワーナーなので、万にひとつの実現もありうるかも。
ブライアン・シンガーとの共同監督になったりしたら、もう最高なんですけどねぇ。
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劇中でトランスフォーマーという言葉が出るのは一度だけ

2007年09月21日 | 映画
公開当初はどんなものやらと心配していた実写映画の『トランスフォーマー』、
原作は知らないしオモチャも持っていないしでずっと様子見の状態でしたが、
姫鷲さんshamonさんなどの辛口筋(笑)からもそれなりに好評のようですし、
気が付けば劇場公開も終了間際。ということで、ついに見に行っちゃいました。

なるほど、これは確かにおもしろいですわ。なんといっても出し惜しみがない。
メカの変形や戦闘場面もてんこ盛りですが、そこにギャグ満載のマシンガントークと
甘酸っぱい恋愛ゲーム、さらに家族愛や友情まで盛り込んでしまう欲張った構成と
それらをきっちりとまとめて見せた腕前には、アメリカ娯楽映画の持つ余裕と底力を
見せつけられた思いです。
まあ数々のハリウッド製映画からおいしい場面だけを寄せ集めた感じもするけれど、
その臆面のなさもサービス精神の顕れと思えば、大して気にもなりません。
むしろ製作サイドの自己満足や単なるキャラ頼みの映画にならなくてよかったかなと。
既視感があってオリジナリティには欠けるけど、面白さには保証つきという辺りには、
TVアニメ『天元突破グレンラガン』にも通じるものがありますね。

本作の目玉はメカアクションと戦闘の激しさですが、私にはむしろ主人公のサムを巡る
エピソードの数々が面白かったです。
玩具発の原作を万人向けの映画にするにあたり、こどもがオモチャを欲しがる気持ちを
ティーンエイジャーが初めて車を欲しがる気持ちに置き換えたのは、見事な発想です。
これなら見る年齢層が玩具のターゲット層と異なっても、十分共感を得られますからね。
ヘタレのわりには口が達者で、年相応にHなことで頭が一杯というサムのキャラクターも
どこにでもいそうな高校生という感じで親しみやすかったです。
そういえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティもこんな感じだったかも。

彼の愛車・バンブルビーの見せる「人間くさい」挙動の数々も魅力的でした。
サムよりも女の子の扱いに長けてたり、ボロ車と言われると同型車の最新モデルに
外見をチェンジしてみたり。
声が出せない代わりに態度で示すという姿には、妙な健気さを感じてしまいました。
車内に吊られていたハチ型芳香剤に‘BEE-OTCH’と書かれてたのもご愛嬌。
バイオテックならぬビーオテックとは、バンブルビーらしいシャレだなぁと思っていたら
実はこのアイテム、ホントに実在する商品らしい。
ネットショッピングで探せば国内の取り扱いもあるようですが、どうせなら劇場あたりで
売ってくれればよかったのにねぇ。だったら私も買ってたな、きっと。

物語の背景も巧みに練られていて、技術立国としてのアメリカの歴史は北極で発掘された
機械生命体の研究に支えられていたとか、フーバーダムの建設はその秘匿が目的だとか、
意外にシリアスな設定がされていてちょっとビックリ。
身近な機械へ擬態する異星人や機械生命の進化と人類との共存など、SF的なアイデアも
それなりにうまく生かされています。
まあこれらは『エイリアン』や『ターミネーター』それに『遊星からの物体X』といった、名だたる
先行作品の数々から学んだものでしょうけど。
SFXの迫力は言わずもがなですが、変形シーンよりも巨大メカの殴り合いにこそその本領を
感じさせるのは『キング・コング』や『ジュラシック・パーク』を生んだ国ならでは。
米軍がそれなりに強いのもアメリカ映画のお約束で、カタールで痛い目に会わされた大尉も
リターンマッチではしっかり借りを返してます。

終盤で延々と続く戦闘シーンは迫力満点とはいえこの手の映画の定番なので、私は見ていて
少々疲れました。人によってはあれでも「まだまだ足りない!」と言うかも知れないけど。
ちなみにサムのお母さんが映画のラストで言った「危なくなったら政府が教えてくれるわよ、
「隠れろ!(Duck and Cover)」って。」というセリフですが、これは1950年代にアメリカ政府が
核爆弾に対する防衛法として国民に広めた「被って隠れろ」というキャンペーンに引っ掛けた
ブラックジョークだと思われます。(内容は映画『アトミック・カフェ』などを参照のこと。)
核兵器相手にこんなことしても無意味なのは今ではわかりきった事。それだけ政府の話ってのは
うさんくさいんだよとほのめかしてるワケですな。こういう辛口のジョークは大好きです。

作品のスケールに比べて中身が軽いのも、お客を楽しませようという姿勢が徹底しているのも
ハリウッド作品ならではの持ち味といえるかも。
自己犠牲精神を煽るフレーズが若干気に食わないけど、全体的に見れば比較的ニュートラルな、
まとまりのよい娯楽作だと思います。ド派手なSFXと適度なおバカギャグを堪能できました。

それとあとから知ったんですが、メガ様の声はヒューゴ・ウィービングが担当してたんですね。
V様以降は顔出しのない仕事が続いて、あの濃い顔だちが好きな私にはちょっと心配(笑)。
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