Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

【イベントレポート】マイマイ探検隊8(その2)&このセカ探検隊前夜祭

2013年10月25日 | マイマイ新子と千年の魔法
さて、マイマイクルージング&防府懇親会から一夜明けて、マイマイ探検隊8の本番当日です。

今日も天候に恵まれ、防府の空は雲ひとつない晴天となりました。

探検隊の出発前には、新子が劇中で食べていたおやつをイメージした蒸しパンが配られました。

この蒸しパン、クルージングでも大活躍だった軍曹さんのお祖母様のお手製です!

あつあつの蒸したてをいただきまーす!


中にはあんこが入っていました。皮にもほんのり甘みがついていて、とてもおいしかった!


蒸しパンの裏には、サルトリイバラの葉っぱがくっついていました。

このサルトリイバラの葉、とてもいい香りがするんですよ!
そのいい香りが蒸しパンにも移って、おいしさをさらに引き立ててくれました。

ちなみに西日本で「かしわ餅」といえば、サルトリイバラの葉でくるまれているのが一般的だとか。
というわけで、サルトリイバラのかしわ餅もいただきました~。

もちろん、これも蒸したてのあっつあつ。

そしてこれまた、あんこがたっぷり入ってました!

朝ごはんは食べてきたけど、まあ甘いものは別腹ってことで(笑)。

腹ごしらえが済んだところで、いよいよマイマイ探検隊8がスタートしました。
まず最初は防府駅前。唐破風を模した庇のデザインが歴史の街を感じさせます。


防府はもともと国府(現在は国衙の石碑がある場所)を中心に栄えた土地ですが、時代の経過によって
国府が衰えると、今度は防府天神から延びる道沿いの門前町へと賑わいが移っていきます。
そして明治時代に鉄道が引かれて三田尻駅(現在の防府駅)が設置されると、今度は三田尻駅の周辺に
新たな街が形づくられ、鉄道開通から4年後には、現在の防府市の基礎になる防府町が誕生しています。

千年の歴史がある土地ですが、その姿は時代ごとの権力や科学技術の発展によってゆるやかに変化し、
現在へと至っているというわけですね。

今回は防府駅前から山陽本線に沿って東へ進み、国衙跡をまわってから防府天神で花神子社参式を見るので、
いわば防府の歴史を辿りなおす行程となります。

防府から萩へと延びる萩往還の道沿いには、かつてを偲ばせる水車がありました。


こちらは前方後円墳を削って作られた、車塚妙見神社。

社殿の左に見える四角い穴は、古墳が崩されて内部の石室がむき出しにされたもの。
社殿を挟んで反対側には丸い形の石室もあり、これを覆う形で「与三郎稲荷社」が建てられています。

なお、「車塚」は前方後円墳を、「妙見」は北極星を意味します。
北極星を妙見菩薩に見立てたものが妙見信仰ですが、この信仰は朝鮮半島から渡ってきた人々と、
彼らによって我が国に持ち込まれたとも言われる製鉄技術と深い関係があるとか。

なお、この妙見信仰をもたらしたとされる琳聖太子(百済国の第三王子)の墓所とされているのが、
ここよりも北にあるさらに大きな前方後円墳「大日古墳」だそうです。
(ちょっと遠いので、マイマイ探検隊では行きませんけどねー。)

道路からちょっと逸れて、昔の山陽本線跡を歩きます。

この先へ行くと、第6回の探検隊で歩いた鐘紡工場までの引込み線につながるはず。

現在の山陽本線は高架になっています。

二つの線路を隔てるこの短い距離にも、数十年の歴史の隔たりが横たわっているのです。

石碑から左に折れて、探検隊名物の藪こぎを敢行。


藪のとなりを流れる水路には、大きなサワガニの姿もありました。

このほかにもぞろぞろとカニの姿が。10月中旬とは思えぬ陽気に、つい誘われたのでしょうか?

勝間神社跡に到着・・・おっと、諾子ちゃんのお出迎えが!


そして劇中のシーンをバックに、参加者が持参した新子ちゃんドールの撮影会が緊急開催されました(^^;

ドールに向かって一斉にシャッターを切る参加者たち。
それを右隅から見つめる諾子ちゃんの視線に、微妙な何かを感じるような・・・(笑)。
こ、これが千年後のお人形さん遊びなんですよっ!(ちょっと違う)

勝間神社から再び藪こぎ。うしろ姿がちょっと行軍っぽい感じです。

そんな様子を見ながら、つい「雪の進軍」を歌ってみたりして。
しかし天気のほうは正反対に、どんどん暑くなるばかりですが・・・。

諾子ちゃん宅の跡地と思われる場所に到着。

今回は金色の稲穂が見事に実っていました。
片渕館長と一緒に説明されているのは、防府市文化財郷土資料館の吉瀬館長。
劇中でこの場所からの発掘品を新子たちに説明してくれた研究者は、この方がモデルですね。

探検隊のシンボルともいえる水門。

一方、この先にあった昔ながらのお店のほうは、つい最近取り壊されてしまったとのこと。

変わっていくもの、そして変わらないもの。その両方を見届けるのも、この探検隊の意義だと思います。

さらに進んで、国衙跡に到着しました。

おや、既に諾子ちゃんが先回りしています(笑)。

今回もしっかりと「ひづるのお墓」が用意されてました。

ドロップの缶も年季が入ってきて、いい感じに古びてきてます。

じゃんけんもってすっちゃんほい、の佐波神社。

今年は伊勢神宮の遷宮年なので、それを記念したのぼりが立ってました。

ここは周防国の総社として、地域の祭神を合祀した由緒ある神社です。
さっき見てきた勝間神社も、現在はここに合併されているとか。
総社は国府の近くに置かれるのが通例らしいので、この神社も国衙ならではの場所と言えるでしょう。

佐波神社の前の道から見下ろすと、花畑の先の水路に見覚えのあるシルエットが・・・。


おおっ、あれはやっぱり藤蔓のハンモック!

去年の探検隊の時に軍曹さんが作ったものが、まだ残っているそうです。

ちなみに、この「ペットの神様 三宝荒神宮」ってすごく気になったんだけど・・・。

なんでも江戸時代に、家畜の流行病を鎮めるために建立したのが始まりだそうです。

堂々たる仁王門の周防国分寺に到着。

そしてここにも、諾子ちゃんが先回りしてお出迎え。

金堂(本堂)も風格のある佇まいです。

金堂自体は江戸中期のものですが、平安時代と同じ場所に建てられています。

今回は金堂の内部を拝観させていただいたのですが、これがすばらしかった!
建物自体も重要文化財ですが、本尊の薬師如来像をはじめ、両脇に持する日光・月光菩薩像、
四天王像といった仏像群も重要文化財に指定されており、実に荘厳です。

焼失前の薬師如来は現在の2倍の大きさだったとか、手に持つ薬壺の中には本物の薬や穀物が
納められていて、これは全国でも他に類を見ないものであるとのこと。
拝観料500円はかかりますが、防府に行くなら絶対に見ておくべき!

国分寺を出てさらに進み、新子たちの通っていた松崎小学校へ。


校門横の掲示板には、マイマイ新子とあの有名キャラによる競演が実現してました(笑)。

ちなみに島耕作の出身地は原作者と同じく「山口県岩国市」ということになってます。

今はモダンなコンクリートの校舎ですが、これはこれで結構好きなデザインですね。


天神商店街まで来ると、あの金田伊功氏も通ったという模型店が・・・。

なんと、DAICONⅢとⅣのポスターが飾られているではありませんか!
これに興奮したおっさん探検隊員が、ポスターに群がるように記念撮影(^^;。

ゼネラルプロダクツのロゴ!何もかもみな懐かしい!

この後はいったんスタート地点に戻り、探検隊は早めのお開き。
続いて駅前から始まる花神子行列を見るため、マイマイ弁当でお昼にします。

ここでしか食べられない、ここならではの味。
コンビニ弁当やファストフードとは違う、この土地の心がこもったお弁当です。

お昼を食べたら駅前に移動して、花神子さんの集合写真を撮影。

主役は手前に並んだお子さんたちですが、後ろに並んだご家族にもただならぬ本気が漂ってます。

輿や車に乗った花神子さんが、防府天満宮へ出発します。


このへんは平安時代の雰囲気そのまま。まさに諾子ちゃんの姿をほうふつとさせます。



一方、馬に乗った侍の姿は明らかに江戸時代のもの。

こういう折衷感も、平安から江戸期以降まで連綿と続く防府の歴史を象徴するものかなーと思います。

お子さんの乗った馬は明らかに乗馬用でしたが、宮司さんの馬は昔ながらの農耕馬を思わせる重量級。

このどっしりとした安定感!これぞ生活に密着した実用馬の姿!と一人で盛り上がってました。

道中では「どくふるまい」と称して、甘酒もふるまわれました。


さっき抜けてきた天神商店街を逆戻りして、防府天満宮へ。

この赤じゅうたん、じゃなくて緋毛氈を登って、花神子さんたちが天神様へと参ります。

やがて到着した花神子さんたちが、続々と石段を登ってきました。

衣装が重くて大変だけど、がんばれー!

そしてみんなが天神様のお社へと上がり、社参式は終了。


天神前のうめてらすで買った瀬戸内みかんドリンク。これはおいしかった!

あと、夏みかんマーマレードもおいしいですよ!

さて、この後は息つくヒマもなく呉へと移動します!

・・・といいつつも、こんなのを見かけるとつい写真を撮ってしまったり。

山口銀行宮市支店の前にあった「かすみん定期」のポスター。
名前は聞いてたけど、ポスターを見るのはさすがに初めてです。

山口県内で『劇場版 薄桜鬼』が見られるのは、イオンシネマ防府だけ!
(10/25で上映終了ですが・・・。)


寄り道はこのくらいにして、いよいよ電車に乗って呉へと出発!


富海あたりから三田尻の海を眺めます。

きのう海中へと消えていった軍曹さんの帽子も、いつか富海の浜へと流れ着くのでしょうか・・・(謎)。

そしてしばし記憶が飛んだ後、ハッと気づくと徳山駅。
ここから新幹線に乗り換えて広島駅へ、さらに呉線へ乗り換えてようやく呉に到着。

さすがに真っ暗です・・・。

懇親会場は地ビールが自慢の「海軍さんの麦酒館」。

種類限定ですが、なんと地ビール飲み放題つき!

もー上から順番に飲んじゃうぞー!


きりっとした苦味と軽快な飲み口の「ピルスナー」


ピルスナーよりも苦味の柔らかな「ケルシュ」


花のような香りで個性が際立つ「ヴァイツェン」


見るからにしっかりした味わいを思わせる濃い口タイプの「アルト」

どれもうまかったけど、一番インパクトがあったのは「ヴァイツェン」かな。

片渕監督の音頭で「かんぱーい!」


そして防府に続き、呉でも監督ご自身によるレクチャーが行われました。

『マイマイ新子と千年の魔法』という作品と、そこから生まれた防府での探検隊の話。
そしてこうの史代先生の『この世界の片隅に』をアニメ化するにあたって、防府での経験を生かして
呉でも「このセカ探検隊」を実施することになったこと。

こうしたいきさつを、製作中の作品に関する素材なども見せながら説明していきます。

こちらは原作中にシンボル的な形で登場する火の見櫓のラフスケッチ。
この形や位置関係も、現地調査と資料によって既に把握済みとのこと。

バーンと貼られているのは、昭和20年ごろの呉の写真です。


そして、最新の「このセカ」テストショットも公開。


こうしたお話も貴重なものでしたが、もうひとつすばらしい経験だったのは、懇親会に来られていた
地元の映画ファンサークルの方々とお話しできたことです。

このサークル、地元の上映会だけでなく、東京などで行われる全国的なイベントにも足を運んだりと、
非常に活発な活動をされているとのお話でした。
最近では若い人の希望でアニメも見てみようと『サマーウォーズ』の上映会をやってみたそうですが、
ご年配のファンにはやはり違和感があったそうなので、そういう方にぜひ見ていただきたいアニメが
『マイマイ新子と千年の魔法』です!と推薦させていただきました。
映画を見慣れた人にこそ、『マイマイ』の丹念なつくりとドラマ性がより伝わると思うんですよね・・・。

そこから片渕監督と細田監督の両方をプロデュースする丸山正雄さんの話をしたり、実写映画において
役者が監督の意図や脚本を超える芝居をするの相当するのが、アニメにおける作画の力なんですよ!と
柄にもなく力説してしまったり。
酔っぱらってムチャクチャ言ってた気もするけど、おおむね好印象で受け止めてもらえた感じなのは
ホントありがたかったです。

さて、防府から呉まで強行軍で押しまくった一日もようやく終了。
さて宿へ帰って明日に備えよう・・・と思ったら、旧知の探検隊仲間から二次会のお誘いが。
かくして呉の夜はまだまだ終わらないのでした・・・。

ようやく宿へ戻ったのは深夜1時を過ぎたあたり。
そして「このセカ探検隊」へと続きます・・・。
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【イベントレポート】マイマイ探検隊8(その1)マイマイクルージング&懇親会

2013年10月15日 | マイマイ新子と千年の魔法
アニメ映画『マイマイ新子と千年の魔法』の舞台になった防府市で、片渕須直監督の案内により
作品にゆかりのある場所や地元の史跡をめぐる名物イベント『マイマイ新子と千年の魔法』探検隊。

8回目を迎えた今年は、いよいよ本格的に製作が始まった片渕監督の次回作『この世界の片隅に』を
盛り上げるためのプレイベントである『この世界(セカ)探検隊』との連日開催になりました。
しかも『このセカ』のほうは高低差の大きい、かなりハードなコースとの事前情報が・・・。
はたしてカラダが持つのか?という不安もありつつ、2年ぶりの探検隊に行ってまいりました。

防府入りしたのは探検隊前日の10月12日。
実はこの日、「海から防府入りした諾子のルートを辿りつつ、戦艦大和の姿が最後に撮影された
三田尻沖を目指す」という、有志によるクルージング企画が行われたのです。

まずは三田尻港から船で出発し、湾内を抜けて周防灘の外海へと向かいました。

正面に見えるのはタヌキ生息地としても知られる向島。
その左側の開けた部分を抜けて、諾子たちの乗る船が防府へとやってきたのですね。
さらに左側から突き出しているのは、江泊山の先端にあたる竜ヶ崎です。

外海へ出る手前で、高速フェリーとすれちがいました。

フェリーの後ろに見えるのが、外海との境界にあたる防波堤です。
実は4月にも同じ企画が組まれていたのですが、この時は爆弾低気圧が到来したため
防波堤の手前で引き返してます。
今回は天気もよく、無事に防波堤を越えて外海へと出ることができました。

そのままずんずん行くと、目の前に周南市の大津島が見えてきます。


さらに近づくと、コンクリート製の四角い建物の姿が。

これは第二次世界大戦中に大津島に設置された、特攻兵器「回天」の訓練基地跡だそうです。
この時は満潮で見えませんでしたが、水面下には回天の射出口が開いているとのこと。

回天基地の背後には、酸素魚雷の保管されていたトンネル跡がありました。

現在は観光客や釣り人が訪れる、平和な場所になっています。

大津島を左へ回り込んでいくと、右手に防府市の野島が見えてきます。

野島の南東には、獅子頭のような奇岩があります。
このへんは磯釣りに絶好のポイントだとか。

さらに進んで、周南市粭島から約3,000m地点。

左に見えるのは上関町祝島。さらに進むと豊後水道へと至ります。
そしてこの写真を撮った場所が、最後に戦艦大和が停泊している写真が撮影された地点になります。

なお、クルージングにも参加された片渕監督によると、『この世界の片隅に』の「20年4月」の章で、
すずさんが見上げる飛行機雲は、4月6日に大和を撮影したB29が残したものだろうとのことでした。
そして三田尻沖を一望できる江泊山には、大和を含む特攻艦隊の留魂碑が設置されています。

つまり、すずさんと新子の住む場所は「戦艦大和」を介して、1本のひこうき雲で繋がっていた・・・。
ファンによる思い込みではありますが、これにはなんだか運命的なものを感じてしまいました。

大津島を回りこんで徳山湾へ。

波飛沫がつくる虹の背後には、かつて東洋一と讃えられた煉瓦の煙突が見えます。
今では風化が進んで、近くに行くと煉瓦が落ちてきて危ないとか。

白い建物は岩島灯台。手前の四角い建物は、旧日本海軍の監視所跡と思われます。


黒髪島の採石場では、良質の花崗岩が採れます。

ここで採られた石は、国会議事堂にも使われているそうです。
ちなみに議事堂の外装に使われている桜御影は、呉市倉橋島の特産品ということで、こんな所にも
『この世界の片隅に』との奇妙な縁を感じてしまったりして・・・。

徳山湾から海岸に沿って、三田尻港まで戻ってきました。

行きとは逆で、右側が江泊山、左側が向島になります。
山の形や港の位置は、諾子が防府に来た千年前とほとんど変わっていないはず。

そして三田尻港に入ると、貴伊子の父が勤めていた鐘紡の煙突が眼に入ります。

諾子の見た光景と貴伊子の住んだ場所が重なり合って、なんだか時間旅行をしている気分になりました。

三田尻港内の防波堤と灯台を見てると、つい『あまちゃん』を思い出します(笑)。


今回お世話になった船長さん。操船も解説も超一流でした!


他にもいま大ブームの「艦これ」ネタとか、参加者のKさんによる一人タイタニックなどの
おもしろい話がありましたが、キリがないので省略(笑)。
おかげさまで天候にも恵まれ、船酔いもせずに楽しい時間を過ごせました。
クルージングを企画してくれた軍曹さん(通称)、本当にありがとうございます!

ようやくホテル入りしたのは、日も暮れかけた頃でした。

明日もいい天気になると知らせてくれるような、きれいな夕焼け空。

この後は片渕監督と探検隊参加者、そして地元の方による懇親会が行われました。

手づくりのドリンクチケットと、講演の準備に余念のない片渕監督。

日本酒でつくるオリジナルカクテル「ほうふハイボール」には、参加者の列ができました。


梅干しの入った日本酒版のソルティドッグという感じですね。

ちなみに下に敷いてるのは私物の『BLACK LAGOON』ハンドタオルです(笑)。

懇親会では片渕監督より、クルージングの報告や『この世界の片隅に』の製作状況についての説明、
そして9月に比治山大学で上映したテストショット等の上映がありました。
会場限定の話も多くてこれ以上は書けませんが、次回作はかなりスゴイことになりそう!
完成はまだ先だけど、今のうちから『この世界の片隅に』の情報には注目しておいたほうがいいですよ~。

さて翌日はいよいよマイマイ探検隊8。ということで次回に続きます!
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こうの史代さんキャラクターデザイン、片渕須直監督作品『花は咲く』 NHK短編アニメ

2013年03月20日 | マイマイ新子と千年の魔法
NHKの東日本大震災復興ソング『花は咲く』関連プロジェクトとして、この曲がアニメ化されました。

なんと製作会社はMAPPAで、こうの史代さんによるキャラクターデザインを片渕須直監督が撮るという
夢のような組み合わせ!
ただいま着々とアニメ製作が進んでいる『この世界の片隅に』ですが、その縁から生まれたもうひとつの作品が
この『花は咲く』のアニメバージョンだと言えるかも知れません。

NHK総合で本日初めて放送されたフルバージョンを見ましたが、5分間という映像の中にさまざまな年齢、
さまざまな職業、そしてさまざまな時代に生きる人々が登場し、孤独な少女との触れ合いで生まれた人の輪が
まるで花の咲くように広がっていく様子が描かれていました。

それにしても、期待以上の完成度の高さにはビックリ!
短い映像に膨大な数の人生を織り込むことで、5分という尺にとてつもないスケールの時間と空間が
ぎゅーっと圧縮されているかのようでした。
それをカットバックやマルチアングルによって自在につなぎ合わせる演出の冴えは、片渕監督ならでは。

かといって別に難しい話ではなく、むしろ普通の人たちの暮らしを淡々と積み重ねていくスタイルなので
一見すると全然ドラマチックな内容には見えないでしょう。
でもよーく見てみると、、そういう淡々とした暮らしの中にあるやさしさとか出会い、あるいは恋の予感が
物語の中にいくつも埋め込まれ、それらを繋いでいくと「花びらが輪になって、大きな花が咲く」ように、
その土地に根を張った人たちが育んできた大きな物語を感じられるはず。
そしてラストカットで、この物語は未来へ、次の世代へと引き継がれていくことが示されるのです。

こうの史代さんによる柔らかな造型のキャラクターを、持ち味そのままで動かした作画技術もすばらしい。
背景や色彩についても、こうのさんの世界をそのままアニメに落とし込んだかのようでした。
岩井俊二さんの歌詞と菅野よう子さんの曲とも見事に合っていて、それぞれの良さを最大限に活かしつつ、
短編アニメとしてしっかりまとまった作品に仕上がっています。

これだけの内容にもかかわらず、NHKではスポット映像扱い。そのため今後の放送予定は未定とか・・・。

とりあえずNHKオンラインにある番組表で検索をかけると、今後の放送が見つかることもあるので
なんとかテレビで見たい!という方は、あきらめずにチェックしてみてください。
詳細検索でジャンルを「アニメ・特撮」、キーワードに「花は咲く」と入れればOKです。

【追記】4月6日の時点で判明している『花は咲く』全長版の放送予定は、次のとおり。
《NHK総合》   4月6日 (土) 午前11:20~午前11:25(5分)
《BSプレミアム》 4月14日 (日) 午前2:35~午前2:40(5分)

4月17日には、アニメ版を含むDVDとCDシングルがセットになった《親と子の「花は咲く」》が発売されます。
ジャケットのデザインにもこうの史代さんによるイメージイラストが使用されるみたいですね。
テレビで見逃した人も、こちらをお買い求めいただければ確実に見られますよー。
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新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol. 20「池田宏から片渕須直へ “新しい漫画映画”の遺伝子」

2011年10月31日 | マイマイ新子と千年の魔法
10月29日に新文芸坐で行われた「新文芸坐×アニメスタイル セレクションVol. 20」に行ってきました。

今回のタイトルは「池田宏から片渕須直へ “新しい漫画映画”の遺伝子」。
上映ラインナップは池田作品が『空飛ぶゆうれい船』と『どうぶつ宝島』、片渕作品が『アリーテ姫』と
『マイマイ新子と千年の魔法』の4本立てです。

作品上映前に池田監督直系の弟子・片渕須直監督とアニメスタイルの小黒祐一郎氏によるトークが行われ、
池田氏の歩みと作品の見どころ、さらに片渕作品との関係までが語られました。
非常に興味深い内容でしたので、覚えている範囲で下記にまとめさせていただきます。



小黒:池田宏と片渕須直、その関係やいかに?

片渕:大学の指導教官と学生です。
   東映動画の長編を子どものころに見ていた記憶があって、なにか映像をやろうと思って日大の
   芸術学部に入ったら、東映動画出身の池田先生と月岡貞夫先生がいらっしゃいました。
   実は月岡さんも昔の東映仲間として池田さんが招いていて、特別講義に宮崎駿さんを呼んだことが
   縁になって、自分がアニメの現場にもぐりこむ時にうまく働きました。

小黒:それでテレコムに入って、『名探偵ホームズ』に関わることになると。

片渕:「宮崎がスタッフを探してるから、おまえ行け」と電話をくれたのも池田さん。
   「探してるのはシナリオライターだけど、おまえ大丈夫か」と聞かれて「大丈夫じゃありません」と
   答えたら「大丈夫な顔して行け」と言われて(笑)今に至ってます。

小黒:池田宏さんという方は、これから上映する2本の傑作を撮ったのに、(長編の劇場)作品は
   これっきりという方です。

片渕:テレビシリーズはサリーちゃんとかの東映の魔女っ子ものを撮った先駆けで、狼少年ケンなども
   やったらしいです。
   全部で50本くらい作っていて、短編は『もぐらのモトロ』、長編は『空飛ぶゆうれい船』と
   『どうぶつ宝島』の2作。そのあとは、現場から離れてしまいます。

小黒:2本の長編はかなりすばらしいと思いますが、片渕さんはこどものころごらんになりましたか?

片渕:こども時代は実家が映画館でしたが、昭和43年ごろから(アニメを)見なくなりまして、
   『太陽の王子(ホルスの大冒険)』も見てません。長靴をはいた猫は引越し後に見てますが、
   『空飛ぶゆうれい船』は大学生に入ったころぐらい。
   昔はお正月とかにテレビでやる機会がありましたし、そういうときに見ていたんじゃないかな。
   あとは文芸坐のオールナイトとか。

小黒:ぼくらの学生時代も、東映長編を見ようと思ったら文芸坐に来るか、そうでなければ大学の学園祭で
   特別上映を見るくらいしかなかったです。

片渕:池田さんが日大の芸術学部で講師を始めるのが、『どうぶつ宝島』の初映と同じ年。
   本人によるとその後に他の長編の依頼もあったんだけど、現場からは離れてしまって、東映の中に
   自分だけが所属する「研究開発室」という組織を作り、CGの開発とか視覚の構造まで踏み込んだ
   アニメの仕組みに関する研究を行っていたそうです。
   目の映像の捉え方、遠近法の認識とかを含めて、学界的な活動をやり、それと平行して日大の講師も
   やっていました。
   今は75歳定年で日大は退官しましたが、最後のほうの講義では「映像特講」として、スピルバーグを
   題材に「映像と新しい表現技術」の講義をされていたそうです。

小黒:日本アニメーション学会でも活躍をされてましたよね。

片渕:というか、立ち上げた張本人です。

小黒:本当は今日も池田さんにご出演いただきたかったんですが、思うところあって来られないとのことで、
   片渕監督と一緒にお話を伺ってきました。

片渕:今は学会誌に投稿する原稿を書いてるそうですが、内容は東映でやっていたことが大半で、いまある
   『どうぶつ宝島』とは違う構想があった話とかを書かれてます。

(ここで場内に聞いたところ、池田作品を見たことがある人が半分くらい。)

小黒:こうなるとあまりネタバレはできませんが、それだと話にならないので、クライマックスについては
   みんな知ってるということで進めます(笑)。
   昭和43年公開の『ホルス』が日本アニメをいきなり10年進歩させてしまって、内容でも表現でも
   リアリズムの流れを作り出したんですが、その後の「ゆうれい船」は、内容もテーマも『ホルス』の
   影響下にあるように見えて、池田さんに聞くと実は「微妙に違う」と。

片渕:池田さんによると、自分にもリアリズムをやりたい気持ちがあったけど、アニメではできないと
   思っていた。ところが同僚の高畑さんが目の前でそれをやってしまって、ショックを受けたと。
   自分としては、もうちょっとこども映画を発展させた形でやっていくのかと思ったら、一足飛びに
   やってしまった。
   それで考えてみたら『白蛇伝』の公開から数えて既に10年経っている。その時に見ていたこどもが 
   もう20歳、18歳になっていることを考えると、そろそろ「元こども」に向けたアニメが作られても
   おかしくないんじゃないか・・・となったそうです。

小黒:「本当に作れたんだ、高畑の奴やったんだ」という結果があっての『ゆうれい船』ではあるけれど、
   池田さんの中にもともとああいう志向性はあったと。

片渕:池田さんと高畑さんは東映の同期で、ひとつ歳上の池田さんは病気で1年遅れてるんだけど、
   高校時代の病気療養中にドキュメンタリー映画の本を読んで、はまり込んでしまったそうなんです。
   そして日大映画学科の演出コースに入ったら、牛原虚彦先生、この人は(チャップリン映画の撮影に
   関わっていたので)「日本におけるチャップリンの唯一の弟子」と名乗っている方で、家に行くと
   チャップリンの位牌があるんですが、この牛原先生に心構えも含めた映画の指導を受けたそうです。
   ・・・そういうことで言うと、自分はチャップリンの曾孫弟子ぐらいにあたるんですが(笑)。

小黒:フォローしづれぇ(笑)・・・いや、バッチリ血は受け継いでますよ!
   で、池田さんにはもともとドキュメンタリー志向があったんですね。

片渕:それがなんでか知らないけどアニメーションに進んでしまって、アニメでリアリズムができないかと
   含みがありつつ東映動画に採用されるわけですが、このときが演出候補として「絵が描けない人」を
   採った第一期生にあたっていて、七人いた同期の中に高畑さんとか、日本アニメーションに行った
   黒田(昌郎)さん、トップクラフトの社長になった原(徹)さんがいました。
   そういう中で演出助手兼制作進行から始めて、アニメの作り方をちょっとずつ定めていったと。
   現在のAセルから順に上へ重ねていくやり方も、池田さんが東映動画の現場で取りまとめたもので、
   今の日本アニメでやられているベーシックとなる手法を定めていたようです。
   そして『わんぱく王子の大蛇退治』の演出助手として誘われたけど「これは違う」と思ったので
   参加せず、次の『わんわん忠臣蔵』の製作を途中で抜ける形で『狼少年ケン』の現場に投入されて、
   それからずっとテレビアニメの仕事をやっていたそうです。

小黒:そして後に『ゆうれい船』を撮るんですが、意欲的だしSFとしてもカッコいいんですけど、
   問題作ですよね。

片渕:まずヒロインに名前がないのがビックリした。
   シナリオにも画コンテにも「少女」としか書いてなくて、完成後の宣伝材料も役名が「少女」。
   つまりこの映画にとってヒロイン(の存在)はどうでもよくて、作品が踏み込むべき部分は
   そういうところではない、という明確なスタンスがあるんです。
   『ホルス』について言えば、いかに団結を勝ち取るかを題材にしているのに、ヒロインのヒルダに
   思いっきり傾倒していってしまう。『ゆうれい船』の場合は、その姿勢とまったく正反対なんです。
   ヒロインは「少女」でかまわない、主人公が誰と出会い、何を見ていくかがこの映画のテーマだと
   いう意味で、彼女には役名が与えられていないんじゃないかな。

小黒:『ゆうれい船』は資本主義社会への疑問、批判をはっきり押し出している。
   その一方でSFものであり、ホラーものでもあるという盛りだくさんな作品です。
   自分としては映像のつくりが特撮的だと思っていたので、池田さんに「これは(東宝)特撮を
   意識してたんですよね」と聞いたところ「あんなダサいもののマネをするわけないだろう」と
   一喝されてしまいました(笑)。

片渕:中野昭慶さんは自分と同級生だとか、そういうことは知ってるんですけどね。
   それよりも『2001年宇宙の旅』が公開されたことのほうが大きかったと言ってました。
   (テレビの)新『ルパン三世』の最終回で戦車が発砲するシーンは『ゆうれい船』のシーンの
   左右反転だと言って笑ってましたけど、あそこは宮崎さんが原画を描いてますよね。

小黒:それは間違いありません。

片渕:でも当時のスケジュールを見ると、『ホルス』の公開から半年で『長靴をはいた猫』を作って、
   それから数ヶ月で『ゆうれい船』が作られている。
   『長猫』の原画作業と『ゆうれい船』の準備作業が時期的に重なっていたということですから、
   『長猫』のクライマックスであれだけカット数を描いている宮崎さんが『ゆうれい船』のコンテに
   深く立ち入れるはずがないということがわかってきました。
   それで池田さんに聞いたところ、戦車が出てくるのは自分が学生時代に傾倒したイタリア映画の
   「ネオレアリズモ」などの影響で、ナチスの戦車とパルチザンの闘いからの引用だそうです。
   カメラがパンアップして大きなロボットが出てくる画面も印象的だけど、縦に奥行きが深い画面で、
   さらに縦に動くというのは、他には『ホルス』くらいしか見たことがなかった。
   それで池田さんに「誰が(ゆうれい船で)この画面づくりを打ち立てたんですか」と聞いたら、
   「第二次世界大戦を撮ったドキュメンタリーには、ああいうのがふんだんにあったでしょ。あれは
    そういうものに影響されていた自分の中から出てきたもの」とおっしゃるわけです。

小黒:池田さん本人によれば、東宝特撮的なマンガ映画ではなく、イタリア映画の「ネオレアリズモ」の
   影響下でロボットや市街戦のモチーフを映像化すると、ああなるわけですね。

片渕:(映画監督では)ロベルト・ロッセリーニとかヴィットリオ・デ・シーカの名前を挙げてました。
   そういう映画に戦車がふんだんに出てきたからああなったので、別に宮崎駿が戦車好きだからじゃ
   なく、たまたまそういう場面だったから描いたんだということだそうです。

小黒:映画の終盤で斃れた怪獣の上にこどもが乗ってはしゃいでいる場面も、ドキュメンタリー作品の
   影響という話でした。

片渕:あの場面は、壊れて停まったナチスの戦車の上にこどもが乗ってはしゃいでいるという映像が
   オリジナルだそうです。
   そういう所から出発した人なんで、『ホルス』を見て「そういうことをやってもいいんだ」と思った時、
   自分の中にふんだんにあるドキュメンタリー的なモチーフが出てきてしまったみたいです。

小黒:『ゆうれい船』の基本情報としては、資本主義社会への批判、リアリズム、戦車がすごい。

片渕:ロボットもすごい。

小黒:それまでのロボットはキャラクターと同じように柔らかく描かれていたけれど「ゆうれい船」は
   「メカは硬く、キャラは柔らかく」という描き分けがされた、初めての劇場用アニメだと思います。
   池田さんは否定するけど、『怪獣大戦争』の中に磁力ビームがゴジラを引き上げる描写があって
   『ゆうれい船』にもそっくりの場面があるので、自分は絶対に東宝特撮の影響を疑わないんですが、
   これは今後も研究する余地があると思います。

片渕:電磁バリアの表現も画期的ですよね。ああいう表現がどう成立していったかは、我々もこれから
   解明していきたいですね。

小黒:メカメカしさもすごいですね。

片渕:池田さんに「巨大ロボットの発想はどこから出てきたのか」と聞いたら、そのころ高畑さんが
   周りに薦めていたポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』は自分も好きで、デカいロボットは
   そこから来ているそうです。

小黒:原作は石森章太郎の「ゆうれい船」ですね。

片渕:石森さんも『西遊記』で月岡さんと一緒に画コンテの清書係に関わっていて、東映に机を置いて
   働いてました。
   その後に「君がマンガを描いたら、東映でアニメ化するから」という約束でマンガの世界へと
   戻るんですが、東映にいた時分は池田さんの同期にあたります。
   それで「ゆうれい船」を映像化する時に二人が顔合わせをして「どう料理してもいいから」
   という話になったそうで・・・。

小黒:ビックリするほど原作と違いますからね。BOAジュースとか出てこないし。
   ・・・ちなみにTV版エヴァンゲリオンのBOAビールは、これが元ネタです。

片渕:主人公の名前も違うし、原作のヒロインには名前もある。顔も性格もいろんなものが違っていて、
   いかに原作から離れて行ったかということです。

小黒:絵コンテはわりとすぐできたみたいですが。

片渕:東映のよく使う旅館に池田さんと小田部さんと土田さんが篭って、3~4日でできたそうです。
   その前に辻真先さんのシナリオがあるんですが、池田さんは「シナリオはあくまで中間段階で、
   金科玉条ではない。よく考えた上で変更するべきもので、絵コンテの段階で変わってしまっても
   止むを得ない」という考え方で、学生時代の薫陶で自分もその影響を受けてしまっています。

小黒:辻さんのシナリオとも違うということが、よく語られますよね。
   映画を見ると、悩みながら少しずつ作っていたように見えますが。

片渕:シナリオの段階でも相当もんだとは思いますが、そこで改訂しきれてないところを絵コンテの段階で
   一気にまとめたのが、3~4日ということだと思います。

小黒:理路整然と進んでいたのにシュールな終わり方で、そこは作りながらも悩んでいたようですね。

片渕:池田さんも「いま作るなら違う結論があるかもしれない」と思い続けてきたけれど、最近になって
   「あれでよかったんだ」という境地に達したそうです。

小黒:自分も小学生に上がる前に「ゆうれい船」を見て驚いたんですが、なんで?というオチがつきます。

片渕:オチがついてない感じもして、それはむしろ見る人に意味を考えて欲しいというのもあるんですが、
   それを汲み取ってもらうにはステップが足りなかったと。

小黒:もう少し材料が揃っていないと、あのオチは理解できない。

片渕:池田さんに話を聞いて、何を象徴してるかやっとわかったんですが、そこまで言っちゃうと
   ネタバレすぎるので。

小黒:『ホルス』が雇用者と労働者の対立と労働者の団結をうたいながら、結局ホルスが一人で問題を
   解決してしまうのに対して、「空飛ぶゆうれい船」というのは、大きい問題にやんわりながら
   方向性を提示しつつ、はっきりとは終わらせないところに、むしろ問題への真摯さを感じます。

片渕:それはドキュメンタリーからの発想だと思います。ドキュメンタリーには結論がつかないですから。

小黒:(『ゆうれい船』で)悪いのは資本主義社会ですからね。これは大人にならないとわからなかった。
   ・・・次は『どうぶつ宝島』ですが、最初は動物ではなかったそうですね。

片渕:発明好きな男の子が飛行船を飛ばしていて、国同士の戦争に巻き込まれるという話。

小黒:(ベトナム戦争当時の)社会情勢を踏まえた話になるはずだったとのことですが。

片渕:東映動画の20周年記念作品なので、あまり変化球では困るというのが社内にもあったようです。
   『ゆうれい船』を作った後で、東映動画の高橋勇さんから「監督だけがわかってるような映画を
   つくっちゃダメだな(ニヤリ)」と言われたそうですし、営業レベルではもっと厳しい意見も
   あったでしょう。
   20周年作品ということで、当時一番のスターアニメーターだった森康二さんが中心に座ることが
   決まっていましたから、池田さんも自分の当初案がぶつけにくくなった以上、森さんのカラーを
   前面に立てた作品を作ろうと腹をくくったのが、今ある「どうぶつ宝島」の最初の一歩です。

小黒:『ゆうれい船』で押し付けがましいほどの(笑)思想性を見せた監督が、なぜアニメ映画らしい作品に
   戻ってしまったのか?という疑問は我々の勘違いで、本来は「ゆうれい船」に次ぐ冒険活劇のプランが
   あったわけですね。

片渕:そのあらすじは池田さんが学会誌の論文に書いたと言って、原稿も見せてくれましたが・・・。

小黒:でも(学会誌に)発表するからあげないよ、と(笑)。
   それと『どうぶつ宝島』には、もうひとつ「キャシー問題」というのがありまして。

片渕:またしてもヒロインですね。

小黒:キャシーというのは宮崎駿さんがいなければ生まれなかったキャラで、ヒロインはこうじゃなきゃ
   イヤだと、宮崎さんが言ったとか・・・。

片渕:池田さんが持ってたプランとだいぶ違うので「こんなのダメだよ」と言ったら、その後一週間くらい
   口を利かなかったそうです。

小黒:それで作業を円滑化するためにキャシーは宮崎案を通したと。
   でも池田さんいわく、宮崎さんの思った通りのヒロイン像ではなくて、森さんのニュアンスも
   入っているので、決して後の宮崎ヒロインの一人ではないそうです。

片渕:シルバー船長の大暴れなども宮崎さんのアイデア構成と言われてるけど、ストーリーボードを
   評価するのはあくまで作画監督の森さん中心で、森さんが喜んで膨らませた部分もあるそうです。
   池田さんが思っていた森さんの優しいイメージとは別に、森さん自身がツンデレのキャシーを
   気に入って、どんどん(キャラを)とんがらせた部分もあったみたいです。

小黒:シルバー船長がキャシーに眠り薬を飲ませるシーンも、いかにも宮崎さんらしく見えますが、
   あれも森さん一押しのシーンだったと聞きました。

片渕:池田さんは小田部さんともう一度組みたいと思ってたけど、小田部さんが東映をやめてしまったので、
   研究開発の道に進む腹を決めてしまったんですね。

小黒:その結果、これだけの作品を作る監督が、2本の劇場監督作品だけで終わってしまった。

片渕:ひどい話ですが、(池田さんから)「キミも早くあきらめたらどうだ」と繰り返し言われ続けて
   今に至ってます(笑)。
   (『ゆうれい船』を見ると)作品の中に池田さんの当時抱いていた「苦さ」が直接表れてたりして、
   池田さんの教え子でいまアニメ学会の会長をやっている(日本大学教授の)横田正夫さんによれば
   「中年の危機」みたいなものが潜んでいる。
   抑うつ的になるが故に、逆に理路整然と語られる部分があって、思えば自分が池田さんと同じ年代で
   作った『アリーテ姫』にも、そういう部分が思い当たります。
   「仕事うまくいかんな」とか「やめちゃおうかな」とか思っていた時期でしたから。

小黒:「しかし私にも、何かがあるはずだ!」と。

片渕:(池田さんの思っていたことを)もっと直接に言ったのが『アリーテ姫』ですから。
   そういう意味で、今回4本並べて上映することには、意外にも縦糸が通っていたかなと思ってます。
   とにかく、背中はどこかで見てますよね。何でこの人はいま演出の現場に立ってないんだろう、と
   思ってましたから。
   だから「お前もあきらめろよ」と言われても「俺はあきらめたくないな」と踏ん張れたのは、
   池田さんの背中を見ていたおかげかもしれない。
   我田引水になりますが、今日最後に上映する『マイマイ新子と千年の魔法』で抑うつ的な部分を
   突き抜けた作品づくりができたのは、池田さんと話をしたり、背中を見ていたところから自分が
   汲み取った結果かもしれません。

小黒:今回の「新しい漫画映画の遺伝子」というタイトルは、池田宏監督がこども向けと言われていた
   漫画映画で新しい事をやろうとし、その弟子の片渕監督は「ジャパニメーション」とまで言われて
   漫画映画からすっかり遠ざかってしまったアニメーションを、漫画映画的なところに戻した上で、
   なおかつそこに新しいものを見い出そうとしているところが面白いと感じたので、この師弟関係を
   並べてみると何か見えてくるんじゃないか・・・という思って、つけさせていただきました。

片渕:池田さんが昭和30年代からアニメを見ていた人が20歳になったので『ゆうれい船』を作ったと
   いう話を聞いたとき、自分がそれから10年経った30代半ばを想定して『アリーテ姫』、さらに
   10年経った50代あたりを想定して『マイマイ新子』を作っていたのを思い出して、ちょっと
   びっくりしました。
   そういう含みはありますけど、純粋に作品を楽しんでいただけたらと思います。

小黒:特に『空飛ぶゆうれい船』をシネスコで見る機会は、めったにないですからね。

片渕:当時「B級作品」と言われて予算も制限されていましたが、シネスコだと相当迫力があると思います。

小黒:楽しんでいってください。

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その後、順番に『空飛ぶゆうれい船』『どうぶつ宝島』『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』が
上映されました。

この日一番びっくりしたのは、やっぱり『空飛ぶゆうれい船』。
60分という枠内にとにかくいろいろと詰め込みすぎて、ストーリー的にバタバタしているところは
TVシリーズを劇場用に再編集したようなもったいなさですが、ドキュメンタリー的なカメラワークや
広さと深さのある画面構成、メカの細かい描写などの緻密なディテールに圧倒されて、筋書きのアラは
ほとんど気にならずに見終わってしまうという、怪作にして快作と呼べるものでした。
資本主義文明への風刺も見どころですが、まずは大画面で迫力ある映像を堪能すべき作品と思いますので、
なるべく劇場のような大スクリーンで見ることを推奨します。

特にSF的な視覚描写の斬新さ、メカの質感は抜群で、ことSFアニメに関して言えば、この一作をもって
日本におけるひとつのスタンダードを打ち立てたと断言してもよいと思います。
『宇宙戦艦ヤマト』と『不思議の海のナディア』は、決定的にこの作品の影響を受けているはず。
上映後はマイマイファンの仲間たちと、このあたりの話で持ちきりでした。

なお、オチについては上映後に話し合った感想から2つほどの解答が出ましたが、ネタバレなので省略。

次の『どうぶつ宝島』は、宮崎駿作品の原点であることが明らかすぎるほどのアクション活劇。
冒頭とオチの部分は『カリオストロの城』ですし、海上での描写は『未来少年コナン』へと通じます。
ヒロインのキャシーは「さらば愛しきルパンよ」の小山田マキの外見で、中身はモンスリーという感じ。
シルバー船長には空中平泳ぎの場面もあるので、さしづめダイス船長の原型というところでしょうか。
宮崎さんとしては、一人立ちしたらいつかは自分なりの『どうぶつ宝島』を撮りたいという思いを抱いて
アニメを作ってきたのかもしれません。

池田監督の2作を見た後の『アリーテ姫』は、建築物の細かなディテールや光と影の演出、カメラワークの
巧みさなど、ドキュメンタリー映像を思わせるリアリズムの要素をひときわ強く感じました。
池田作品と同じ場面構成でも『アリーテ姫』では細部がより緻密になっていたりと、アニメ表現の進化を
はっきりと感じさせる部分も多く、師の目指した映像を弟子が見事に受け継いだという印象です。
「お姫さまと魔法使い」という約束事を踏まえつつ、そこから微妙にズレていく物語の展開についても、
『空飛ぶゆうれい船』の池田監督の弟子ならではの持ち味と言えるかも。

そして、今のところ片渕監督の最新作である『マイマイ新子と千年の魔法』。
この作品では「子どもの無垢さ」と「大人の狡さ」を対比させつつ、どちらが正しいとは言い切らずに
それぞれの姿を見つめることで「成長」というテーマの本質に迫ろうとしていますが、このスタンスこそ
池田監督が『空飛ぶゆうれい船』で見せた「テーマに対して真摯に向き合う姿勢」なのだと思います。
『ゆうれい船』についての「主人公が誰と出会い、何を見ていくかがこの映画のテーマ」という話も、
そのまま『マイマイ新子と千年の魔法』にあてはまるものですし。

大満足の上映が終了した後は、十数人のマイマイファンで朝のマクドナルドに移動し、2時間ばかり
映画の感想を述べ合いました。みんな本当に片渕作品が好きなんですよね~。

そして今回の企画を立てた関係者の皆様と、登壇された片渕監督と小黒さんに御礼申し上げます。
・・・願わくば、いつか片渕監督の長編作品だけでオールナイトが見られる日が来ますように。

昨年のオールナイトでの片渕監督のサインと、今回書かれたサイン。


できれば「池田宏(まほうつかい)の弟子」の下に「そしてチャップリンの曾孫弟子」と
書いて欲しかったな~(笑)。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(4日目)最終日~防府から広島へ

2011年10月17日 | マイマイ新子と千年の魔法
楽しかった防府探訪も、あっというまに最終日となりました。
この日は早々に防府を離れ、二つの世界遺産を見てから帰路に着く予定です。

この山陽本線に乗って、広島方面へと向かいます。


さようなら、ロックシティ・・・もとい、イオンタウン防府。


さようなら、江泊山。


周防灘を右に眺めながら、広島の宮島口を目指します。






2時間ほどで、宮島口駅に到着。
今度はフェリーに乗って宮島へと渡ります。


厳島神社の大鳥居が見えてきました。


そして宮島に上陸。うわさどおり、そこらじゅうに野良鹿がうようよしています。

・・・中には、こんな鹿の姿も。

もしや、鹿も並ぶほどの名店なのでしょうか?
あるいは、野生を失った動物はここまで堕落する・・・という悪い例かも(^^;。

さらに進むと、先ほどフェリーから見えた大鳥居がありました。


今回は干潮で水はほとんど無し。鳥居の周辺には人が集まっています。


そのうち潮がすっかり退いて、鳥居の下をくぐることができるようになりました。


大鳥居の棟札を真下から見ると、こんな感じです。


さらに、海側から見た大鳥居の姿。


そしてこちらは、鳥居側から見た厳島神社の全体像。

ちなみにこの日は全然水がありませんでしたが、翌週には潮が満ちすぎて
立ち入り禁止になってしまったとか。

神社の中に入り、高舞台越しに本殿を眺めたところ。


振り向くと、火焼前(ひたさき)の灯篭越しに大鳥居が見えます。


今も使われている能舞台。

台風により倒壊したこともありましたが、2011年で築後331年を数えました。

こちらは毛利元就・隆元父子によって、1557年に架けられた反橋です。


社殿裏にある、月を写すための鏡池。これは潮が退いていない時しか見られません。


厳島神社に2時間ほど滞在してから、再びフェリーで宮島口へ戻り、
地元でも指折りの有名店「うえの」で昼食をいただきました。


並ぶこと数十分の後に入店して、まずは「あなごの白焼」と日本酒を注文。

天然わさびのさわやかな辛さが、あなごの香りを一層引き立てます。
酒は地元の「八幡川」で、口に残るあなごの油をすっきりと洗い流してくれます。
ぐいのみ一杯で100円なり。

そしていよいよ、店の看板メニューである「あなごめし」が運ばれてきました!

パリッと焼かれた表面とふんわりした身のアクセント、口にほおばるとじわりと広がる上品な油、
そしてあなごのアラで炊かれたご飯の深い味わいと、これまで食べたものとは別次元の味でした。
さらに残しておいた白焼のわさびをつけると、また別の味わいが楽しめます。

その後は広島名物の路面電車に乗り、もうひとつの世界遺産へと移動。


そして、着いた場所は・・・

広島平和記念碑、通称「原爆ドーム」です。

ここを訪れるのは初めてですが、こうの史代先生の作品から受けた影響も含めて、
いつかは来たいと思っていた場所でした。











圧倒的な破壊の痕跡に身震いすると同時に、これを成し遂げた技術を産み、
さらに使用した立場になって考えた場合、この破壊力こそ、人間が手にした
大いなる力の証明に見えるのかもしれない・・・とも考えました。
まあその過信が、原子力を科学の火として推し進めてしまった一因なのでしょうけど・・・。

原爆ドームの存在意義を語る、二つの碑文。
ひとつは永久保存の決定と最初の補強工事の際に建てられたもの。


もうひとつは、世界遺産登録時に建てられたものです。


とはいっても、この内容を理解するかどうかは人それぞれなわけで・・・。
原爆ドームの前でピースサインをしながら写真を撮る女性を見たときには、
ちょっと言葉に出せないような気持ちになりました。

原爆ドーム近くの元安橋を渡って、広島平和記念公園へ。

ここで燃えている「平和の灯」の火種には、宮島から運ばれた
弘法大師の「消えずの灯」も使われているとのこと。

公園の向かい側には、原爆ドームの姿が見えます。


それと向き合う形で、平和の灯と原爆死没者慰霊碑、
そして平和記念館が一直線に並んでいます。


この設計は、防府に行く前に森美術館の「メタボリズム展」で見た計画図のとおり。
代々木第一体育館や大阪万博の会場も手がけた、丹下健三によるものです。

慰霊碑を横から見ると、代々木第一体育館と共通する形状なのがわかります。

さらに両者の上部には、厳島神社の鳥居等と共通する特徴的な曲線を見ることができます。

慰霊碑の前に立つと、原爆ドームがすっぽり納まる形。


こちらは丹下健三の代表作のひとつ、広島平和記念資料館です。



遠目には直線ばかりのモダニズム建築に見えますが、よく見るとコンクリートに羽目板模様が施されていたり
柱が微妙に曲線を描いていたりと、どこかで和風建築を意識している感じもありました。

平和記念公園を実際に見ることで、戦後復興と高度経済成長時代を象徴する「東京五輪」と
「大阪万博」へと繋がる、丹下健三建築の原点を確認することができました。
言い換えれば、この広島こそ長崎と並ぶ終戦の象徴であり、同時に戦後日本が再生するための
「出発点」でもあったのだと思います。

そして今また核による災厄の時代を迎えた日本にとって、五輪や万博といった成功体験以前の
「原点」としての広島を見つめなおすことが、改めて必要なのではないかと感じました。

なお、丹下健三と戦後の日本建築が、平和記念公園とどのように結びついているかに関しては
arch-hiroshima 広島の建築」というサイトの中で詳細かつ広範に論じられていますので、
興味のある方はぜひそちらもご覧ください。

元安橋の上から見た、原爆ドーム周辺の様子。

かつてこの上空に立ち上ったキノコ雲は、遠く呉からも見えたそうです。

しかし、広島平和記念資料館のサイトによると、米軍による最初の投下計画では、
呉も投下研究対象のひとつに含まれていたとのこと。

仮に呉に原爆が投下されていたとしたら、こうの史代先生が描かれた作品のいくつかは、
また違った結末を迎えていたことでしょう。
そして呉と広島を合わせ鏡の関係として考えた場合、『この世界の片隅に』で描かれていた
呉の街が、原爆が落ちなかった場合の広島の姿のようにも見えてしまいます。

さて、約4日間でしたが、自分にとってはこれまでで一番得るものの多い旅行となりました。
こんな機会を与えてくれた『マイマイ新子と千年の魔法』という作品と、それを取り巻く全ての皆さん、
特に現地スタッフと特別ゲストの方々に、改めて感謝いたします。

いつかまた、こんな素晴らしい旅ができますように。
そして願わくば、それが再び片渕監督の作品と結びつくものでありますように。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(3日目)番外編~夜のひとり探検隊

2011年10月07日 | マイマイ新子と千年の魔法
午後3時過ぎの「マイマイ探検隊6」終了後、いったんホテルへ戻りました。

窓の外を見ると、防府の空は既に黄昏色です。

マイマイ探検隊参加者の一部は終了後の打ち上げで大いに盛り上がったようですが、
私はおみやげ調達のため、残念ながら不参加。
その代わり、買い物ついでにマイマイと関係のありそうな施設をいくつか見てきました。

今年の4月にも『マイマイ新子と千年の魔法』を上映した、ワーナー・マイカル・シネマズ防府。

失礼ながら、立派な映画館で驚きました。ここでのマイマイ上映も見てみたかった。

アニメイト・イオン防府店の店頭モニターでは『TIGER&BUNNY』のプロモ映像を放映中でした。

・・・よく見たら、映ってるのは『BLACK LAGOON』のベニー役でもある、平田広明さんではありませんか!
狙ったような偶然に「やはり防府とロアナプラはどこかで繋がっている!」と勝手に盛り上がってしまいました。

さらに買い物終了後、ふと思い立って夜の史跡公園まで歩いてみました。

松崎小学校の校門前。



昼に歩いた新子の通学路を、もう一度辿っていきます。


ここから先は、足元確認のためにも懐中電灯が必須。





昼に見たのとは、また違った光景です。

ドカンの祠の横にある、猿田彦を祀った塚。

なお、猿田彦は「古事記」等の記述に由来する、道の神・旅人の神とされています。
・・・そういえば、こうの先生の「ぼおるぺん古事記」早く単行本にならないかなぁ。

史跡公園の入口までやってきました。


ここから先は、街灯もなくて真っ暗。


人もスクリーンもない状態で見る夜の石碑は、昼間よりも威圧感を感じます。


周囲の家の明かりもまばら。

たぶんこの暗さが、昭和30年に新子たちが見ていた夜の光景に近いのでしょう。

夜露に濡れた芝生に寝ころんで夜空を見上げると、墨を流したように黒い空に白い星が点々と散っています。
そのまま見ていると上下の感覚が無くなって、まるで星の中に落っこちていくような錯覚を覚えました。

さて帰ろうか、と起き上がって歩き出すと、そこへ巡回のパトカーがやってきました。

別に悪いことをしてるわけではないのですが、不審者扱いされないかとちょっぴりドキドキ。

結果的にトラブルはなかったものの、やはり夜の探検隊はやらないほうが無難みたいです(^^;。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(3日目)マイマイ探検隊6

2011年10月02日 | マイマイ新子と千年の魔法
前夜の野外上映会と懇親会の興奮も冷めないまま、9月24日の朝がやってまいりました。
そして本日はいよいよ作品の舞台を実際に巡る「マイマイ探検隊6」が開催されます!

参加者は子どもから大人まであわせて約70名。これにスタッフが加わるという大人数になりました。
まずは集合場所のルルサス防府で全体写真を撮ったあと、防府駅の前に移動して探検隊がスタート。

貴伊子が列車から降り立った旧三田尻駅、現在の防府駅前の様子。
ロケハン当時に比べると、建物などもかなり建て替えられているようですが、道の形はそのままです。

駅から右へ進んで、作中で馬がふんをしていたあたりに到着。


そこからもう少し進むと、前夜祭のバーベキューで出てきた「100グラム1,500円」の
豪華牛肉の販売元「肉のたむら」がありました。


再掲になりますが、これがそのお肉。いや~うまかったです。


銀座街アーケード内にある「ほうふ昭和館」。
今回は中に入りませんが、ディスプレイにも興味深いものがありました。

監督の背後に見える三田尻駅の駅名標は、実際に使用されていたものだそうです。

展示物のうち右下に見えるのは、新子たちが入った劇場のモデルになった中央会館の写真。

かつてこの劇場が建っていたのが、本日の探検隊集合場所になったルルサス防府のあたりだとか。

今は亡き天才アニメーターの金田伊功氏が少年時代に通ったという、玉屋模型。

あまりの人だかりに、中から店のご主人が出てきてしまいました。お騒がせして申し訳ないです。

新子たちが通っていた松崎小学校。ちなみにこちらは裏門で、正門はもっと校舎寄りにあります。


松崎小の校舎越しに見えるのが、天神山です。

この小学校には金田氏も実際に通っており、アヒルの飼育当番をしていたとか。

新子の通学路に沿って逆に進む探検隊。


と、そこに何かひらひらと「赤ぇの」が!

どうやら仕込みで投入された金魚らしいですが、なかなか粋な演出です。

ぐいぐい進むと、右手のほうにまたもや作中で見慣れたものがありました!

小太郎じいちゃんが新子に作ってくれた、藤蔓製のハンモック。
右端にちょっとだけ写ってるのが、これを作ってくれた山口県在住のマイマイファン“軍曹”さんです。

ちなみに前々日の夕方に見つけて紹介したのが、このハンモックでした。


近くで見るとこんな感じ。藤蔓をきちんと編んであるのがわかります。

大人ひとりまでなら載れるようですが、落ちると危ないのでよい子は載らないこと。

「じゃんけんもってすっちゃんほい」の佐波神社前の石段。

実際にここでじゃんけんをやってみた参加者もいましたが、ふだん言い慣れない
「すっちゃんほい」のタイミングを合わせるのが、なかなか難しかったようです。

そして今回の山場のひとつ、三角池のモデルとなった場所へ!

藪をかきわけて奥へ進むと、本当に三角形の池がありました!
私有地のため普段は入れないとのことで、今回は特別に許可を得たそうです。

設定上はここを左に進むと防空壕があることになってますが、実際は行き止まり。
さらにその上には、光子が入り込んでしまったゴルフコースがあるとか。

三角池を眺める片渕監督、そして背中にはアリーテ姫人形。

そういえば『アリーテ姫』で最後にもたらされた魔法も、乾いた土地を潤す豊かな水でした。
ここの池も現役の溜池として、今も下の農地へ水を供給しているそうです。

国衙の東北隅にあたる場所。監督が座っているのは、掘立柱跡の位置がわかるように据えられた円柱です。

片渕監督はこの円柱を見て、諾子の屋敷跡から伸びてくる柱のイメージを得たそうです。

地名の由来にもなった、たたら場の鍛治工房跡。

ここのたたら場では主に貨幣を鋳造していたのではないか、と思われます。
余談ですが、諾子の父である清原元輔も、周防国守と貨幣鋳造を司る「鋳銭司」を兼務する立場として
防府に赴任してきています。

直角に曲がってないけど、直角の川のモデルとなった場所。

作中では直角にしたいと思って、えいやっと曲げてしまったとか・・・げふんげふん。

新子が東介に「祠のお大姉様が化けて出たかと思った」と言ったのが、この祠のはず。


一晩ぶりに、史跡公園に戻ってきたよ!


昨日の野外上映会の名残りの足場。

背後には映画と同じ姿で、今日も多々良山がそびえています。

石碑の右にあるのは、日露戦争当時の砲弾だそうです。


石碑の裏に回ってみると・・・あっ、小さな新子ちゃんがお葬式してる!

千年の魔法でひづるが家より大きくなる前に、逆に新子がちっちゃくなっちゃったようです。

史跡公園から松崎小学校の方向へ少し戻ると、新子たちがポン菓子(ドカン)を食べていた祠があります。

祠の向こう側には、猿田彦を祭る庚申塚がありました。
古来より四辻は異界であり不吉な場所とされてきたので(多分事故とかが多かったからでしょう)、
このような場所には日本各地で庚申塚や道祖神が祀られています。(ちょっとしたウンチク)

ほらここ、今も国衙のバス停よ!


新子たちがそばを走った水門のモデルになった場所。


お昼休憩は原作小説で新子たちが食べたものを再現した、マイマイ弁当です。

鯨カツに、ささげ豆のご飯~♪

こちらが諾子の屋敷跡。ロケハン当時にはちょうど発掘作業の真っ最中で、これが諾子の登場するきっかけと
なったそうですが、当時はまだ遺構の図面もなく、設定考証のためアニメスタッフが自ら作ったとか。

現在は調査も終了し、現状保存のため埋め戻されて水田となっています。

さて、ここから先は千年前の勝間の浦。勝間神社へと向かうため、麦ならぬ雑草の海へ飛び込みます!


片渕監督を先頭に、道なき道を突き進む探検隊。

どこかから嘉門達夫の声で「ゆけーゆけー片渕須直 どんとゆけー♪」という歌声が聞こえてくる気がします。


・・・探検隊というより、圧政から逃げてきた難民みたいにも見えますが(^^;

勝間神社に到着。といってもお社とかはありません。

手前に新子と貴伊子が座って「ざっぷ~ん、ざっぷ~ん」してた、石のベンチがあります。

さらに進んで、山陽本線から工場へ続いていたかつての引込線跡を歩いていきます。


その先には、貴伊子の住んでいた「埋立地」がありました。


監督の背後、ちょうど自転車横断路のあたりが、貴伊子と新子の立っていた踏切の場所。

今回は特別に許可を得て、敷地内へと入ります。

フェンスの向こう側が、実際に工場内の市場があった場所。

ちなみに煙突を赤白に塗るのは、東京タワーができた後に航空法で定められてからの話。
この工場の煙突も戦争中は迷彩色に塗られており、戦後はそのままオーストラリア軍に接収されたそうです。
昭和30年は迷彩の後で赤白になる前の時期にあたるので、映画の中では灰色に塗っているとのことでした。

貴伊子宅へ向かう通りのモデルとなった道。


映画に出てくるモニュメントも、そのまま残ってます。


ブランコの向こう、樹に隠れて見えないあたりが「クマ」の出てきた家です。


残念ながら貴伊子宅のモデルになった家は既に取り壊されて、何もなくなってました。


探検隊の終点は元ロックシティ、今はイオンタウン防府。

このイオンタウンのある地名も、かつてここにあった会社にちなんで「鐘紡町」といいます。

というわけで、今回の探検隊は終了となりました。片渕監督の表情も和やかです。

横から出ているスチールは、このイオンタウンの向かいに見える江泊山。

この探検隊に参加して感じたのは、「映画の舞台を回る」という楽しさ以上に「ロケハンの現場を訪ねることで
『マイマイ新子と千年の魔法』という物語が生まれる過程を追体験できた」ことの、大きな喜び。
その現場が取材当時とはどれだけ違っていても、そこが今も間違いなく存在していると確かめることによって
再び新子や貴伊子たちがその場にいる気がする、いや、今も実際にそこにいるのだと感じることができました。
・・・思えば前夜の野外上映会から今日の探検隊の終わりに至るまでの、平安時代から現在までの時間と空間を
諾子や新子たちと共にずっと歩いてきたような気もします。

また、片渕監督自らが作品の舞台となった場所の説明をしてくれるのは、何より得がたい経験でした。
監督がこの地を訪ねることによって得られた作品のイメージ、つまり『マイマイ新子と千年の魔法』の
原風景とでもいうべきものを、現地の風景と片渕監督ご自身の説明によって垣間見ることができたのは、
この探検隊で得られた最も大きい収穫だったと思います。

ハンモックを作ってくれた“軍曹”さんが用意してくれた、探検隊ワッペン。

軍曹には何から何までお世話になりっぱなしでした。改めて、敬礼!

そして今回の完歩証は、ひづるちゃんデザインの手ぬぐいという凝ったものでした。

単なる記念品ではなく実用的なアイテムなのですが、片渕監督からサインもいただいたので、
使っちゃうのは「ちょっともったいないね」という気分。大事にしまっておくつもりです。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(2日目)後編 マイマイ懇親会

2011年09月30日 | マイマイ新子と千年の魔法
防府探訪2日目、マイマイ野外上映会の終了後は関係者とファンによる懇親会です。

会場に到着すると、マイマイファンの魅衣呼さんが乗ってきたスマートが停まってました。

おおっ、これがウワサの「痛くないマイマイ痛車」!

会場はアパホテル山口防府で一番大きい「光琳の間」。来賓を含めて100人以上が入っていたみたい。


まずは片渕監督からご挨拶。


乾杯の音頭は『マイマイ新子と千年の魔法』アニメーションプロデューサーの丸山正雄さんがご発声。

手前では原作小説『マイマイ新子』の作者・高樹のぶ子先生も杯を掲げておられます。

マイマイの宣伝プロデューサー、有限会社ライトスタッフの山本和宏さん。

今回の野外上映も含め、各地で名司会を披露してきた「マイマイイベントの立役者」です。
ちなみにその前に座ってるのが、avexの岩瀬智彦プロデューサー。見切れてしまってごめんなさい!

そしてなんと、予想外のビッグなゲストもご登場!

『夕凪の街 桜の国』を始めとする数々の名作を描かれたマンガ家、こうの史代先生です。

今回はマイマイファンとして来防されたとのことですが、実は片渕監督が準備中の次回作とも関係が・・・!
などともったいぶってみましたが、片渕監督のファンなら作品名は既に周知の事実ですよね~。

「ズッコケ三人組」シリーズで知られる児童文学作家で、防府在住の那須正幹先生もいらしてました。

さらに那須先生は、高樹先生のご親族でもあるとのこと。

ずらりと並んでいるのは、マイマイファンの陶芸作家さんがおみやげに用意してくれた
新子ちゃんの一輪挿し。

表情はひとつひとつ手描きされ、中にはデザイン違いのものもあります。

我が家にお迎えしたのはレアバージョン、ニッコリ顔の新子ちゃんです。

花を挿すところがマイマイになっているという、シャレの効いた造形。
作品にちなんで、ウツギの花や彼岸花を挿してあげると風情がありそうです。
(器の中まで施釉されてますが、水を入れるなら使用前に水止めしたほうがよいでしょう。)

作中に出てくる二条大麦からマイマイの世界に引きこまれてしまった、某ビールメーカー勤務の
たこいきおしさんからは、個人誌「糸納豆EXPRESS」マイマイ探検隊記念号をいただきました。

たこいさんと言えば、SF同人誌の方面では知る人ぞ知る大ベテラン。
個人的にも、お会いできて光栄でした。

また、このたびご結婚が決まった“ひづる先生”こと脇田美代アナウンサーには、
最後の1枚となった「新子ちゃん住民票」が、防府市長から直接手渡されました。

結婚して東京に行っても、心はいつも防府と共に。

先ほどの一輪挿しを作った方からは、「新子ちゃん茶碗」が送られました。

萩焼風の器の底には、鉄絵で“ひづる”が描かれています。

さらにひっくり返すと、新子のおでことマイマイが出現。

ご飯茶碗でも使えそうですが、できれば抹茶碗として使っていただきたいなぁ。
お茶を飲み干すとひづるちゃんが現れるって、想像するだけでステキじゃないですか。

最後に防府市文化財郷土資料館の吉瀬館長から、片渕監督・村井さん・mookiさんに花束が贈呈されました。





マイマイ製作中からずっとご尽力されてきた吉瀬さん、今回も野外上映会の準備から陣頭指揮を執ってました。
この方がいなければ、きっと野外上映も懇親会も実現しなかったはず。本当にありがとうございます!

今回は来賓が豪華だったぶん、昨年に比べてファン同士の交流がやや少なかったのが惜しまれますが、
マイマイ関連のイベントとしては今までで一番立派な内容だったかもしれません。
ご準備いただいた防府の皆さんとわざわざご来場いただいたゲストの皆さんに、改めて感謝いたします。

最後に、この懇親会でいただいた最高の記念品をご紹介して締めといたします。

こうの先生、無理なお願いにもかかわらず快くお受けいただき、大変ありがとうございます。

そして彼女こそ、次回作のヒロイン・・・物語のバトンは、防府から呉へと受け継がれていきます。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(2日目)前編 マイマイ野外上映会

2011年09月26日 | マイマイ新子と千年の魔法
防府探訪2日目。今夜はいよいよ国衙史跡公園跡で『マイマイ新子と千年の魔法』の上映会が行われます!
・・・が、その前にマイマイ関連のイベントがいくつか行われるということで、まずはそちらに参加しました。

最初はマイマイの音楽プロデューサーである岡田こずえ氏による高校生への講義「文化による地域振興」。


地元防府のブランド「幸せます」のCM音楽を作るというのが題材でしたが、講義の中心となったのは
事前アンケートの分析。
それによって「幸せます」というブランドをどんな商品につけ、どんな購買層に届けていきたいかを、
受講する防府商業高校の生徒さんと一緒に考えようというものでした。
さらに各受講者に対し「幸せに思うのはどんなときか」や「防府のいいところはどこか」といった質問を
投げかけることで、「幸せます」のイメージをより具体化しようとする試みも行われました。

参加していた学生や地元の企画者としては「テーマ音楽ってどうやって作るんだろう」という事前の期待感と
講義内容の違いにやや戸惑いがあったかもしれないけど、マーケティング戦略としては実に興味深いものでした。
特に「幸福感」と「防府のよさ」をじっくりと考え、日々の暮らしの中からそれらを再発見していくプロセスは
まさに『マイマイ新子と千年の魔法』という作品の製作理念とも共通する点だと思います。

アンケートでは「女性向け・日用品・食べ物」といった商品展開が期待されているという結果が出た
「幸せます」ブランド。この結果と岡田さんの講義、そして「マイマイ新子」という実例を参考にして、
今後もより魅力的な商品開発を進めていただきたいものです。

続いては片渕監督自らが語る、『マイマイ新子と千年の魔法』未公開メイキングVTRの上映。
アニメの製作過程、ロケハンの様子、そして2008年に防府で行われた声優オーディションの様子を、
片渕監督の生コメントつきで見ることができました。





特に印象的だったのは、オーディション参加者のお子さんをリラックスさせる脇田アナの見事な手際!
オーディションでの堂々とした演技も含め、これならひづる先生に選ばれるのも納得という感じです。

国衙の史跡公園に戻ると、昨日巻き上げた上映スクリーンの向こうに多々良山の姿が見えました。


そして石碑の裏には、もはや恒例となった「ひづるの墓」が出現!

いつも周到にご準備いただき、ありがとうございます。

上映まで時間があるので、周辺を少し散策しました。

新子が通っていた松崎小学校。自転車が走っていく方向から、新子が登校してきます。

旧長州藩主であった毛利公爵の邸宅。今は毛利家の遺産を保存する博物館になっています。

内部には大理石の浴槽つきの広々とした浴室などが備えられ、かつて大正天皇・昭和天皇も宿泊されたとか。
また、映画の中で光子が入り込んだゴルフ場も、もともと毛利公爵の私有物だったそうです。

邸宅の前に広がる国指定名勝・毛利氏庭園。


庭園の一角から市中を眺めると、その先に向島と江泊山が見えます。


さらに望遠レンズを使って、向島と江泊山の間の海を撮影。

ここから諾子たちが船に乗って、防府へとやってきたのでしょう。

史跡公園に戻ると、国府サミットののぼりが立っていました。

今回の野外上映会は、全国の国府所在地によるイベントの一環として開催されるのです。

会場内に出ている屋台には、ウワサの「みそ焼きマイマイ」もありました。

のぼりをよく見ると、片渕監督のサインが入ってます。


今回始めて食べたけど、期待したほど麦みその味が濃くなかったなぁ。ギョロッケも控えめだったし。
マイマイファン仲間の一人であるドカン隊長も、前回より味が薄かったとの意見でした。

私としてはうどんも麦みそも、もっと焼いて香ばしさを出したほうが好みです。(ビールにも合いそうだし)
とはいえ、同じマイマイ仲間の押井徳馬さんにはちょうどよかったそうなので、このへんは人それぞれですかね。

上映前の催しとして行われた、防府少年少女合唱団による「Sing」の歌唱。


そしてマイマイファンにはおなじみ、村井さんとMookiさんによる生演奏!

途中ではジャズ風の即興掛け合いもあり、短いながらお二人のテクニシャンぶりが発揮されたステージでした。

原作者の高樹のぶ子先生と、リアル光子ちゃんこと先生の妹さんもご登壇されました。

高樹先生は「震災後の日本を見つめなおす原点としても、いまこの作品を見て欲しい」とコメント。

そしていよいよ、野外上映が始まりました・・・!


国衙の石碑の向こうには、諾子ちゃん初登場のシーン。


昭和30年の国衙が、平成23年の国衙に映し出されます。


防府の夜を走る少女たち。


上映終了~。


背景に黒くそびえる多々良山の前で、巨大なスクリーンに映し出された同じ土地の風景を見る経験は
まるでタイムスリップのようでした。
この瞬間、2011年の防府に平安時代と昭和30年の空間が重なりあうという奇跡的な空間が
確かに存在していたのだ、と思います。

そして特にぞくっときたのは、夜の場面で貴伊子が空を見上げるシーン。

このとき、彼女の視線がスクリーンの外に広がる夜空を見渡しているように感じて、鳥肌が立ちました。

さらに、新子と貴伊子がひづるを見下ろす場面。

まるで私たちが新子たちに見られているみたいです。

作品の舞台となった風景の中で、その作品を見るということのぜいたくさ。
水平に広がる土地に時間という柱が打ち込まれて、「防府」という世界が立体的に立ち上がってくる感覚。
長いことこの上映会を待ち望んでいたけれど、それを補ってあまりあるほどの経験を得ることができました。

上映終了後は片渕監督からのあいさつに加えて、最後のゲストである「ひづる先生」こと、山口放送の
脇田美代アナウンサーの登壇もありました。

脇田アナもこのたびひづる先生と同じくご結婚が決まり、実際に東京へ行ってしまわれるとのことで、
会場からは「おめでとうー!」の声が飛び交いました。
地元の皆さんには名残惜しいと思いますが、今後東京周辺でのマイマイ上映の際には、ゲストとして
登場される可能性も高くなりそうです。

ということで、盛りだくさんの野外上映会も無事終了。
風はやや強かったものの、終始天気もよく「星空の下でマイマイを見る」という幸運に恵まれました。

今回ご出演された多数のゲストの皆さん、そして前回に引き続きこの野外上映会を実現してくださった
地元防府の皆さんに、改めて感謝いたします。
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マイマイ新子のふるさと、防府探訪(1日目)

2011年09月23日 | マイマイ新子と千年の魔法
昨年の野外上映会に参加できず、指をくわえながら懇親会の中継を見ていた
悲しみの日から、約1年後。
ようやく『マイマイ新子』のふるさと、山口県防府市へやってまいりました!

取り急ぎ、1日目の様子を駆け足でレポート。

山陽本線の車窓から防府の海を眺めて。


新幹線と山陽本線を乗り継いで、やっと着いたぜ防府駅!


現地で最初にお迎えしてくれたのは、なんと1mを超えるヘビさんでした(笑)。


そして同じ場所で、なぜかビー玉をゲット!

不思議なこと続きで、ないはずのマイマイがピンと逆立ちそうです。

日本三大天神で一番歴史のある防府天満宮の入り口。


天神本社の入り口。この先が内陣になります。

お参りで真ん中に立ってたら、現地の人から「そこは神様の通り道だから空けとくもんだ」
と怒られました(^^;。

防府天満宮の本社。

巫女さんが通った瞬間をうまく撮影できました!

春風楼に飾られていた額絵。話題になったゴジラ風な島が描かれてます。


周防国分寺。重文だけに貫禄十分(^^;。


うめてらすで懐かしのサンドブラストグラスと再会!

ひづるちゃんは私も愛用しております。首藤さんありがとう!

マイマイキャンディー。監督のサインは非売品です。(当たり前)


うわさのマイマイルームは閉鎖され、展示物は空き店舗へ移動。新子たちもさびしそうです。


史跡公園へ移動中に、あるものを発見!

詳しくは24日のマイマイ探検隊6にて明かされるはずです。

史跡公園!アニメのとおり・・・と思いきや、石碑の後ろに何かある!


これは23日の上映会で使用されるスクリーンですね。

いやこれは想像以上にバカでけぇ!

そしてスクリーン裏のスタンドに登ったドカン隊長たち。

ここから隊長が撮影した映像を、Ustreamで見た方も多いのでは。

設営後はスクリーンテストが行われました。

ひづる先生とのかえり道。バックの夕焼けとのシンクロぶりがたまりません!




この日は風が強く、スクリーンがまくれて危険とのことで、テスト上映は早々に切り上げとなりました。

その後は、地元のスタッフや協力者によって開催された前夜祭の焼肉大会に参加させていただきました!

これには私たち一般参加者に加えて岡田プロデューサー、村井秀清さん、Minako "mooki" Obataさんも参加され、
特に村井さんは自らトング握って肉をバンバン焼きまくり、見事な焼肉奉行っぷりでした!

写真撮影後は私も肉焼き&肉食いに参戦。夜の10時過ぎまで宴は続いたのでした。

この日地元からご提供いただいたのは、100g1,500円という高級牛肉!

関東だと5,000円はするという逸品だそうで、大変おいしくいただきました。
ちなみに私は山口の銘酒・カネナカの生もと純米酒を差し入れ。焼肉にも力負けしないしっかりしたお酒です。

さて本日はいよいよ野外上映会。楽しみだ~!
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マイマイが教えてくれた、大事なこと

2011年03月13日 | マイマイ新子と千年の魔法
『マイマイ新子と千年の魔法』という作品が、わたしに教えてくれた一番大事なこと。
そして、いまとてもつらい思いをしている人に伝えたいこと。

大切な人たちとの別れは、いつも突然に、思いがけない形でやってきて、
かけがえのない「明日の約束」さえ、粉々に打ち砕いてしまう。

でも、その人と交わした約束を覚えている誰かが生きていれば、その人の思い出は残っていく。

だから、去っていった人を大切に思うなら、その人と会えたこと、その人と一緒にいられたことを、
大切に抱えながら生きて欲しい。

そして明日を迎えられたときには、その人と交わした約束を思い出してください。
もし約束がかなわなくても、その記憶は今日を生きるための力になるはずだから。
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メディア芸術祭で見た『マイマイ新子と千年の魔法』、そしてアニメーション部門シンポジウムなど

2011年02月14日 | マイマイ新子と千年の魔法
文化庁メディア芸術祭最終日、会場の国立新美術館に行ってきました。

今回ばかりは何をおいても『マイマイ新子と千年の魔法』の優秀賞受賞が大きく、結果としては
アニメ部門以外はほとんど目に入らない・・・という感じになってしまいましたが、個人的には満足。

この日はアニメ部門受賞者シンポジウムとして『四畳半神話体系』の湯浅政明監督、『カラフル』の
原恵一監督、そして『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直監督が登壇、さらに『マイマイ』本編の
上映もあるということで、整理券確保のため朝から出動、首尾よく確保することができました。

その後は、まず講堂で上映された『マイマイ新子と千年の魔法』を鑑賞しました。



40回以上の猛者には及ばないものの、10数回目の鑑賞となればさすがに細かい点にも気がつきます。

今回はDVDによる上映ということで、斜めの線にややジャギーを感じるところもありましたが、
発色のよさに関してはフィルム上映を大きく上回るものがありました。
大画面で見る草いきれのしそうな麦畑の青さ、やわらかい日差しの描写、そして淡い虹や七色に輝く
シャボン玉など、大画面で見るとハッと息を呑むような美しさです。

ああ、やっぱりブルーレイで『マイマイ』出して欲しいなぁ。そしていつかは劇場でのDSP上映も
実現して欲しいなぁ。
・・・いや、それを実現するまで応援するのが、ファンの使命であり生きがいというもの。
いつかその日が来ることを期待しつつ、一層マイマイを応援し続けようと固く心に誓うのでした。

なんてことを書いた後、片渕監督の「β運動の岸辺で」を読んだら「今回はデジタルベータカムのデータを
プロジェクタで上映」との記載が!
つまりDVDじゃなく、そのマスターテープだったのですね・・・道理で発色がキレイなわけです。

マイマイ上映後は昼食もとらず、タワーレコード新宿店へと移動。
こちらではコトリンゴさんのインストアライブを堪能させていただきました。

コトリンゴさんが歌うカバー曲を聴いて感じたのは、どの作品も原曲の持ち味を残しつつ、
見事なほどのコトリンゴ・スタイルに再構築されているということ。
だから他人の歌を歌っているという不自然さが全然なく、まるで持ち歌であるかのように
すーっと染み込んでくる感覚がありました。
特にバグルスの「ラジオスターの悲劇」のキュートな歌いっぷりには、意外な驚きが。
あのテクノポップが、こんなに綺麗でかわいい歌に変身するとは思いませんでした。

ライブ終了後のサイン会では、コトリンゴさんに「さっきメディア芸術祭で『マイマイ』見て、
「こどものせかい」聴いてきました!」とご報告。
パッと笑顔になったコトリンゴさんの表情と「片渕監督によろしくお伝えください」とのお言葉は、
CDジャケットにいただいたサインとあわせて、私のたからものになりました。

その後は昼食を食べる合間にウィスキーの試飲をしたりもしつつ(おいしかったー)、
午後4時からのシンポジウムを聞くため、新美へととんぼ返り。
シンポジウムでは今回のアニメ部門で選考委員を勤めた氷川竜介さんの司会進行により、
各受賞者から製作の裏話や今のアニメ業界にまつわるお話を聞くことができました。

シンポジウムの様子はメディア芸術祭の公式サイトからUstreamで見られるので、細部は省略
・・・と思ったら、もう動画見られなくなってました。文化庁もやることがセコい気がするなー。
ということで、代わりに「クリティカルヒット」さんが文字に書き起こした記事をご覧ください。

中でも一番強く印象に残ったのは、お三方とも製作サイドから持ち込まれた今回の作品企画に対して、
自分なりのテーマ設定を持って真摯に取り組んでいた、という点です。
そして作り手自身が迷いつつも自分を見失わないことによって、作品にしっかりとした芯が形作られ、
そこに共鳴した観客から強く支持されたのではないか、などとも思いました。

さて今回の文化庁メディア芸術祭 アニメーション部門受賞の商業3作品を見たときに感じるたのは、
“表現の差はあるものの、3作とも「日常への回帰」というテーマを扱っている”ということ。
そしてこれについては、やはり社会の動きと切り離せない部分があると思います。
・・・ということで、受賞作について自分なりに考えてみたことを、少しまとめてみました。

そもそも20世紀の後半ぐらいまでは、日常というのはそう簡単に崩れないほど強固なもので、
多少ゆるぎはしてもひっくり返ることはないだろうという前提があったように思います。
だからこそ「平凡な日常」は、当時のアニメにとってはむしろ「挑むべき既成概念」であり、
常に超えなければならない壁であったはずであり、その手段としてロボットやアクション、
そして魔法や超能力といった要素が作品に持ち込まれていったのではないでしょうか。

しかし1980年代後半の東西冷戦終結あたりを皮切りにして、崩れるはずのない日常の根幹であった
「世界のあり方」が、徐々に緩みを見せ始めます。
そして1990年代の地下鉄サリン事件と阪神・淡路大震災という人災・天災により、日本社会にも
「安全神話の大きな揺らぎ」が生じました。
そして2001年に、あの同時多発テロが発生。この瞬間、我々が不変と信じていた「平凡な日常」は、
完膚なきまでに破壊されてしまいます。
そしてバブル崩壊に端を発した不況の長期化が追い討ちをかけることで、我々の感じる「日常」の足元は、
昔よりもずいぶんと不安定なものへと変わってしまいました。

そんな時代に、大きな変化のない「平凡な日常」の楽しさを描いたアニメが多く登場し、またそれらが
未来に不安を抱えた若いアニメファンに強く支持されたのは、むしろ当然のことだったのかもしれません。
なにしろバブルと同じく、それらは既に「失われた楽園」なのですから。
また逆に、その「平凡な日常」ですら受け入れられない自己の無力さを前提にしつつも、そんな自分を
中心とした狭い範囲に「世界の運命を決定する特別な資質」を求めようとする作品が多く現れたのも、
“「平凡な日常」が望めないなら、特別な存在になるしかない”といった、いわゆる「ゼロ年代」的な
焦燥感から来るものだったようにも思えます。

そんな「ゼロ年代」の終わりである2009年から2010年にかけて、時代の変化を告げるかのように
登場してきたのが、今回の受賞作である『マイマイ新子と千年の魔法』『四畳半神話体系』『カラフル』
といった作品でした。

これらの作品に共通するのは、設定や展開に他の作品にも見られるような非現実性を含んでいるものの、
物語の進展によって最後はそれぞれの主人公たちが「日常との折り合い」をつけることに成功し、さらに
その「日常」の中で生きていくための価値観や判断基準を学び取っている、という点にあると思います。

個人的に、優れた物語は「現実への批評性」を持ち、さらに「現実を変えていく力」を発揮するものだと
思っています。
しかし「ゼロ年代」は、世界の急激な変化に戸惑うあまり、一時的に物語そのものが「ひきこもり」の
状態にあったようにも感じます。
そしてようやく、物語がもう一度現実と対峙するための「力」を発揮するまでに快復してきたことで、
今回のような3作が生まれたのではないか、というのが、私なりの考えです。

もしそうであれば、シンポジウムで氷川さんが語っていた「ある意味で歴史的な作品」という表現は、
非常に的を射ていたと言えるでしょう。
そして、数ある商業アニメの中からこの3作品を選んだことに、まさしく『文化庁メディア芸術祭』の
大きな存在意義があったと言っても、決して過言ではないと思います。

まあ、この3作品のようなアニメが市場の主流になることは考えにくいけど「これからの日本アニメ」が
進んでいく道のひとつを示してくれたことは間違いないでしょう。
市場の動向は厳しくても、今回受賞のお三方が今後も自分のスタイルを貫きつつ「他の人には撮れない」
アニメ作品を作り続けられるよう、強く願っています。それがこのジャンルを照らす光にもなるはずだから。

そしてこのような作品を正当に評価し、また世の中に発信するための場として、文化庁メディア芸術祭には
これからも注目していきたいと思います。

ただ、せめてUstreamはもう少し長く公開して欲しい!お願いだから!
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『マイマイ新子と千年の魔法』2010年度文化庁メディア芸術祭で優秀賞に!

2010年12月08日 | マイマイ新子と千年の魔法
2010年度の文化庁メディア芸術祭の受賞作が、本日発表されました。
対象となる4部門のうち、アニメ部門で大賞を受賞したのは『四畳半神話体系』。

そして、私がいま最も愛してやまない傑作アニメ『マイマイ新子と千年の魔法』は、
全出品作から5作のみが選ばれる「優秀賞」を、見事獲得しました!


大賞を獲れなかったのはいささか残念かつ不満でもありますが、大賞の『四畳半』や
同じく優秀作に選ばれた『カラフル』など、他の傑作と肩を並べての堂々たる受賞は
大いに誇れるものだと思います。
この3作については私も見ていますが、どれも大賞に選ばれておかしくない作品でした。

さらに今年はその他にも秀作や話題作が多かった中で、公開時期で見れば決して有利でない
『マイマイ新子と千年の魔法』の優秀賞は、ほぼ大賞に匹敵するほどの健闘だと思います。

なお12月8日現在、公式サイトが非常に見にくい状態となっているようなので、こちらにも
贈賞理由を転載しておきます。

【贈賞理由】
“過去と現在を共存させる「想像」という営み”

連綿と培われてきた児童向けアニメーション映画の正統な後継者である。
だが、伝統的な手法を採りながらも、片渕須直監督の導入した視点は実にユニークだ。

55年前の山口県防府市の田園風景と千年前そこに存在した都、さらにその来歴が、
あたかも同時に存在するが如く描かれている。
子供にとって過去は消えてなくなるものではない。彼らの想像力は現在と過去を行きかうのだ。
そして、現在にも過去にも「奇跡」をもたらす。



こういった子供たちと同じように、この作品のスタッフは、入念な取材をもとに、
実際に存在した風景と子供たちを想像力で再生しようとしている。
こうした営みこそがつくりものの空疎さを埋めるのだ。

「童心」の本質を独特の豊かな表現力で描き抜いたことで、アニメーションの持つ
児童向けの役割を再生させた作品である。

・・・文章が氷川竜介さんっぽい気がしますが、作品の核心を見事に表現した選評だと思います。

おめでとう新子ちゃん、おめでとう片淵監督、そしてうれしいニュースをありがとう!


マイマイ新子は、2年目もまだまだ元気いっぱいに走り続けてくれそうです!
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『マイマイ新子と千年の魔法』全国公開から一周年

2010年11月21日 | マイマイ新子と千年の魔法
2009年11月21日に、アニメ映画『マイマイ新子と千年の魔法』が全国公開されてから、
本日で満1周年を迎えました。

思い返せば、この時は早々の公開打ち切りなどもあって、劇場で見損ねてるんですよね。
そのうちTwitterやネットでの評判を見て、ラピュタ阿佐ヶ谷での再上映に行こうとしたら
満席で見られなかったりで、なおさら見たいという気持ちが強くなってきたりとか。

そしてようやく2010年4月23日、吉祥寺バウスシアターで初めて作品を見ることができました。

あの夜感じた興奮と幸福感、そして帰りに出口で見送ってくれた片渕監督や岩瀬プロデューサー、
宣伝担当の山本さんとのふれあいの記憶は、今でもはっきりと覚えています。
そしてネットを通じて多くの人と『マイマイ新子と千年の魔法』についてのやり取りを交わし、
微力ながら自分でもマイマイを応援しているうち、気がついたら11月21日を迎えていた感じ。

『マイマイ新子と千年の魔法』は、私にとって多くの出会いを与えてくれた作品です。
Twitterで知り合った多くのマイマイファンや関係者の皆様だけでなく、ロフトプラスワンの
片渕監督ナイトで、昔の友人と久しぶりに再会したり・・・といったこともありました。

そして中でも最大の出会いは、片渕監督のデビュー作品『アリーテ姫』です。
今でこそ「自分の中で五指に入るほど好きな作品」と断言できますが、「マイマイ」つながりで
ラピュタ阿佐ヶ谷の上映を見に行ってなければ、たぶん今でも内容を知らないままでしょう。

ひとつのアニメがこれだけのものを自分に与えてくれたという経験は、今までありませんでした。
そしてこの事実そのものが、もはやひとつの“魔法”であると思います。

そしてもうひとつの興味深い点は、この作品を取り巻く環境のおもしろさ。
昭和30年代と平安時代をクロスさせて描く物語が、ネットとtwitterという最新技術を媒介として
強く支持され、次々に伝播していくのが不思議にも思えますが、実はそれらに共通する要素として、
「つながり」と「伝達」の2点が挙げられると思います。

マイマイ探検隊や有志によるイベント等を見ても、ネットでのつながりが、やがて人と人同士の、
そして土地や歴史との結びつきへと広がっていく様子がはっきりとわかります。
考えてみれば、これって千年前の諾子と千古、そして60年前の新子と貴伊子が経験したことと
かなり似ているのでは・・・?

このように考えると、『マイマイ新子と千年の魔法』という作品は、決して“ノスタルジー”で
括られるだけではない、むしろ非常に今日的・普遍的なテーマを描いた物語と感じられます。
そしてこの物語が今もネットやTwitterを介して「つながり」と「伝達」を繰り返していることが、
たとえ技術や文化は違っても、人ってそんなに変わらないんだという証明にも思えてなりません。

見るたびに、そして思い返すたびに新たな発見を与えてくれる『マイマイ新子と千年の魔法』。
公開2年目もその先も、引き続き応援していきたいと思います。
そして今後も多くの人に、マイマイの魔法がかかることを願っています。
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『マイマイ新子と千年の魔法』に見る“余白”の意味

2010年10月25日 | マイマイ新子と千年の魔法
第23回東京国際映画祭の「みなと上映会」で、『マイマイ新子と千年の魔法』が上映されました。

当日は所用で会場に行けなかったのですが、会場は満員と大盛況だった様子。
片渕監督と岩瀬プロデューサーの登壇や質疑応答もあったそうで、見られなかったのが悔やまれます。

さて、この上映に関して@kammyhillsさんと@milkapumpさんという熱心なマイマイファンお二人による、
興味深いやり取りがありました。

まず、ずっとマイマイ新子を応援してきたかみぃさん( @kammyhills)による「未完の映画評」より、
2010年10月24日の記事。
【コラム】『マイマイ新子と千年の魔法』待っててね、待っちょるよ~第23回東京国際映画祭みなと上映会

記事の一部について、以下に引用させていただきます。
“マイマイ新子に限らず「映画を観る」って、映像として描かれていることを確かめるだけじゃなく、映像で描かれていない部分を観客それぞれが自分の知識や経験から想像して初めてその映画が完成されると思うのね。だから同じ映画でも観た人の数だけ感想は違ってくる。”

“扱っているテーマの難易とは別に、観客が想像する余地がないくらい説明的な映画は映画的に“わかりやすい映画”なんだけど、それは監督から与えられた解釈しか認めない映画でもあるの。でも『マイマイ新子と千年の魔法』はそういう映画ではない。自分で想像できる“余白”がたくさんあるから面白い。”

“その余白を「からっぽ」に思った人にはエピソードが断片的に語られるだけって感じられただろうし、余白を意識しつつも自分で埋められない人には難解な映画になってしまうんだけど。”

この記事に対する、NORANEKO-mama(@milkapump)さんのつぶやきはこちらです。

“作品の中の「余白」の部分・・・その「余白」は見る側もおそらく作る側も楽しんで、「そこ」「ここ」に見出しているんですね。最初から構えちゃって、存在しているはずなのに、見えてないヒトもいる・・・いつか気づいて欲しいですね・・・。 ”

これらのやりとりは、『マイマイ新子と千年の魔法』という作品においてなかなか見えにくい
(だから評価されにくい)持ち味についてを考える時、実に示唆に富んだものだと思います。

この作品では、作中に余白というか、「行間」または「含み」にあたる部分がかなり大きくとられており、
そこを観客自身の経験が埋めていくことで「パーソナルな作品」として完成する・・・という発想については
大いに共感するところ。
だから作品に対して頭から「提供されるもの」として受け止められた場合、物語が全然動かないように見えるか、
あるいはその動きについていけないという事態になる。
つまり全てを作品に委ねるのではなく、自分から考えて判断する必要があるわけですね。

ただし一つ強調したいのは、その判断の基盤となる「経験」は、必ずしも実体験に基づく必要はないということ。
創作を含むフィクションや伝聞による経験でも、それが良質かつ印象深いものであれば十分に「経験値」として
上積みされていくはずですからね。
新子自身の想像力も、もともとは小太郎じいちゃんからの話を起点として育まれたものであり、それが防府の地形や
諾子=清少納言の屋敷跡の発掘といったイメージ結びつくことによって、より強固なものとなっていくわけですし。

ともあれ知識にしろ実体験にしろ、個々の鑑賞者の“経験値”の積み上げの量が、それぞれの作品体験を
より豊かなものにする。
例えば、今日見て何も感じなかったことが、次に見たときは痛いような実感となって伝わるかもしれません。
すなわち見る人の成長が、必ず新しい発見につながっていくというのが、「マイマイ新子と千年の魔法」の
奥深さだと思います。

だからこそ何度でも見て欲しいし、それによって作品の真価をより深く理解して欲しいな、とも思うところ。
最初に新子の歳で見た人も、やがてひづる先生の、タツヨシの父の、そして小太郎じいちゃんの年齢になるわけです。
その折々に「マイマイ新子」を見ることで、この作品の中に、人生の各ステージにおける喜怒哀楽のエッセンスが
込められているということに気づくはず。
こどもの目線で描かれた物語ではあっても、その目はしっかりと“大人の世界”、そして“人生そのもの”さえも
見据えているのです。

そしていずれは小太郎じいちゃんと同じく、私たちも次の世代に何かを伝えるべき刻が来るのです。
そのとき「こんなすてきなアニメがあるんだよ」と『マイマイ新子と千年の魔法』を見せてあげられるなら、
こんなにうれしいことはないですね。
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