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Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

『ブレードランナー』製作25周年記念BOX

2007年09月10日 | 映画
へー、『ブレードランナー』って製作からもう25年経ってたんだ。
…と思ってしまうくらいに今も各メディアで影響与えまくりの名作が
いよいよ限定版コレクターズボックスとして日本上陸。

酸性雨の止まないロスの街、古代遺跡のようなタイレル本社のビル、
飛び回るスピナーにゴツいブラスター、わけのわからない異国趣味と
ハイテク機器が無造作に混在する世界観…この作品が生み出し、
後に未来世界の定番となったビジュアルイメージを数え上げたら、
それこそキリがないでしょう。
日本でも『装甲騎兵ボトムズ』や『サイレント・メビウス』を筆頭に、
ブレラン無くしては産まれなかった作品は枚挙にいとまがありません。
最近だと『絶対可憐チルドレン』で登場する対ESP用ブラスターが
ブレランの主役・デッカードのブラスターを意識したデザインですね。

初代トップファンにとっては「タンホイザーゲート」の元ネタだというのが
一番知られてそうですが、逆にブレランファンにとってたまらないのは
DVD3巻の特典映像『シズラープロジェクト』。
ユングの「縮退炉ひとつしかついてないじゃない?」のセリフに対し、
開発主任の返答は「ひとつで十分ですよ!」
これはブレランでデッカードが屋台のカップラーメンを買う場面で言った
「4つくれ」に対し、店のおやじが日本語で「ふたつで十分ですよ!」と
突っぱねるシーンにひっかけたもの。
シズラーの開発コードが『スタートレック』から引用されてるのと並び、
脚本の堺三保さんの映像マニアぶりが感じられるネタになってます。

余談はさておき、今回のBOXは高いのと安いのが二つ発売されます。
DVDのほうはどっちも同じなんだけど、10,000セット限定のほうには
スピナーの模型がつくんですよ。
ちっちゃいですが、現在入手できる公式立体モノはこれくらいだろうし…。
シド・ミードの絵コンテ集は今となってはどーでもいいけど、オリジナルの
チェンジング・レンティキュラーのほうは気になります。
立体視ができるものなら、作中に出てきたESPER(画像解析システム)
を見ている気分で楽しめるかもしれない。まあこれは見る人の気分ですが。
できれば昔売っていたブレランのキャップ(かのゼネプロが扱っていたとか)
などを同梱して欲しかったけど、そのへんはないものねだりですな。

映像的には初ソフト化となる試写用の「ワークプリント」に期待してます。
これの評判が悪かったので、最初の公開時にエンディングを変えたという
いわくつきの映像なので、一度は見たいと思ってました。
オリジナル版と完全版の初DVD化もうれしい話。私は地元の劇場で見た
オリジナルの劇場版が、今でも一番好きです。

このBOXが次世代DVDで出ないことに不満もあるようですが、もともと
古い映画なんだし、原型のまま発売することにも意義があると思います。
普及度も考えると、通常のDVDのほうがありがたいですし。
ということで、私はすでに高いほうを予約してしまいました。
12月に届くのが今から楽しみです。
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『パプリカ』初日鑑賞

2006年11月29日 | 映画
以前の記事に書いたとおり、『パプリカ』初日に見てきました。
話題作の上に舞台挨拶もあるということで、場内は満員で立見客もちらほら。

物語の発端は、他人の夢に入り込める「DCミニ」という装置の盗難事件。
これにより人々が夢に侵入されて奇妙な行動を起こすという事件が発生し、
DCミニ開発者の一人である千葉敦子は上司の島や同僚の時田らと共に
犯人の捜査へと乗り出します。
その敦子が非合法で夢によるサイコセラピーを行う時の姿が、赤い髪をした
「パプリカ」という名の女性。
奇妙な殺人事件の夢に悩まされてパプリカの治療を受けていた刑事の粉川も
やがてDCミニを巡る事件へと巻き込まれて行きます。
島や時田、そして自身も夢に取り込まれそうになりつつ、敦子は自分の分身である
「パプリカ」として事件に立ち向かいますが、「DCミニ」を悪用した夢の暴走は
やがて妄想が現実へ侵入してくるという深刻な事態へと拡大していきます。
パプリカ、そして粉川は、いかにしてこの窮地を切り抜けるのか・・・。

あらすじだけ読むと非常に斬新な映像を期待してしまいそうですが、実際には
思ったよりも健全かつ堅実な絵なので、圧倒的な妄想観を期待して見に行くと
ちょっと肩透かしに感じるかも。
妄想のパレードもパッと見た時は目を引くんだけど、そこから先の展開がないので
映画を見てるうちに慣れちゃうんですよね。
むしろ鬼気迫るものを感じたのは、パプリカがテーブルにピン止めされてしまい、
敵役にその「外皮」を剥かれていくシーン。
ああいう妄執とエロスが入り混じった場面を撮らせると、今監督は実にうまいです。

ストーリーについては特にわかりにくいところもないのですが、一番気になったのは
粉川刑事の夢に関わる話がやたらと長いところですね。
映画との因縁が深い彼の夢にまつわるエピソードは、映画好きならばニヤリとする
いい話なのですが、一方では作品全体が彼の話に引っ張られすぎた感じも強いです。
粉川が活躍しすぎるせいで「夢探偵」であるパプリカの印象が弱められてしまい、
物語全体の印象もどこか散漫になってしまったように思います。
それならいっそ彼を主役にして、パプリカは狂言回しに徹するという形にしたほうが
もっとまとまりが良くなったかもしれません。

ヒロインの正体が事前に明かされており、事件の黒幕も早々に予想できるため
謎解きの興味が早い段階で薄れてしまうのも残念です。
敦子の時田への思いについても、説明が少なすぎてあまり共感できませんし。
映像の質は極めて高いし娯楽要素も十分ですが、これでもう一ひねりあれば
より一層楽しめる映画になったのではないかと思いました。

上映後の舞台挨拶では、今敏監督、筒井康隆氏、古谷徹氏に加え、パプリカ役の
林原めぐみ氏も登場。
林原さんはTシャツにジーンズとわざわざパプリカっぽい服装をしてきたようですが、
司会がそれに全く気づかなかったのは実にガッカリでした。
今監督は「一回見ただけではわからないと思うので、また見てください」とコメント。
筒井先生は『時かけ』については触れてくれませんでした。作品が違うから当然か。
林原さんは綾波を演じていたころ精神的に大変だった話を引き合いに出して、
「この作品に呼ばれたような気がする」と話してました。
古谷さんはキャラデザインを見て断ろうと思ったものの、子供のままの演技で
お願いしますと言われ、じゃあ「親父にもぶたれたことのないあのキャラ」で
演ってみようと引き受けたとか(笑)。

帰りには今監督の直筆サイン(今度は本物)の入ったグッズがランダムに
渡されるということで、期待して劇場を出たのですが、残念ながら私には
渡してもらえませんでした。
う~む、もの欲しそうな顔してたのを見抜かれたかな。
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おそるべき『立喰師列伝』

2006年11月23日 | 映画
レンタルDVDですが、『立喰師列伝』をようやく鑑賞。
いや~おもしろかった。こんなに笑った映画は最近なかったかも。
その一方で、極めてマジメな「評論」としての側面も併せ持ってますし。
現時点における押井守の集大成と言えそうな力作でした。

終戦後の社会に現れた「立喰い」という無銭飲食行為を「生業」とする人々の
「ゴト」を語りつつ、これに戦後日本史を混ぜ合わせていくのが、本作の流れ。
暗示的に示されるものも含めると、政治・経済・社会運動から芸能や娯楽に
至るまで、戦後における事件や流行のほぼ全てが網羅されている感じです。
立喰師のターゲットにしても、江戸時代から大衆食としてのルーツを持つ
そばに始まり、戦後の代表的食品であるコロッケから牛丼、ハンバーガー、
遊園地のホットドッグから立喰いカレーと、時代にあわせて変化していくのが
実に興味深いですね。
このへんは押井監督の実体験と綿密なリサーチが組み合わさることによって、
奇妙なリアリティを獲得しているところです。

さまざまな詐欺的手管を用いて「食」を得ようとする立喰師たちの「技」は
瞽女などの旅芸人が演じた「芸」に連なるものであり、映画製作においては
「いかに観客を騙して、興収を稼ぐか」という「術」に通じるもの。
その流民的立場が都市社会における「犬」の姿と結びつく点も含め、
「立喰師」という存在は、まさに監督自身の姿であると言えるでしょう。
そして現実の代用品たる映画、また実写の代用品であるアニメの中に「本物」を
見ようとする行為は、月見そばの中に「いい景色」を見る銀二の振る舞いとも
重なるように思います。
このあたりは、押井監督の映画とアニメに対する見解を表した部分なのかも。

全編途切れなく流れ続けるナレーションは、昔ならば千葉繁の役どころですが
今回は「リアルメガネキャラ」である山寺宏一が担当。
抑揚を抑えつつも適度に緊張を交えて語られるそのなめらかな口上は、
無声映画の弁士にもニュースのキャスターのようにも聞こえます。
そして「素人役者」に声を当てているのは、立木文彦を初めとするプロの声優たち。
その絶妙な声の演技に演出とカット割りを組み合わせることで、絵としての「芝居」を
完成させてしまう「騙り」のテクニックは、まさに立喰師の「ゴト」そのものです。
この出演者を「素材」として徹底的に加工しつくす手法は、相手が素人(しかも身内)
であったからこそ、可能となったものでしょう。
実写につきまとう「無意識的で偶発的な映像」を完全に廃した『立喰師列伝』は、
押井監督が『アヴァロン』で実践した方法論をより突き詰めた作品だと言えます。

映画の随所に見られる「自主製作映画のふり」を誇示するかのような演出ですが、
押井監督にとっての『立喰師列伝』は、ズバリ自主映画なのでしょう。
部外者の我々にとって、出演者はみな「業界の著名人」なわけですが、
監督にとっては身近にいる身内や仲間(しかも出演料が安い)であり、
そういう人々を好き勝手に引っ張り込んで撮った作品は、本質的には
学園祭の「自主映画」と同質なのだと思います。
そんな「学園祭の出し物」に、戦後日本の姿が丸々取り込まれてしまっているのが
『立喰師列伝』という作品のすごい所。
かつて『人狼』を見た時、市民の反体制活動に「戦後という祝祭の終わらない狂騒」を
感じたからこそ、その裏返しのような『立喰師列伝』の作風には感銘を受けました。

架空の人物で戦後史を描くという手法はゼメキスの『フォレスト・ガンプ』にも匹敵し、
存在しない職業を論じたルポルタージュとしてはレムの『完全な真空』に比肩する(笑)
『立喰師列伝』なわけですが、その内容が「戦後日本史」のパロディである以上、
元ネタを知らない諸外国の観客にはウケるはずもありません。
海外での受賞に恵まれないのも、むべなるかな。
もし内容も含めて誉めちぎる外国人がいたら、ぜひ話を聞いてみたいものです。

この映画を傑作と感じた人は、日本人に生まれてよかったと感謝しましょう(^^;。
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X-MENもこれでファイナル(?)

2006年09月17日 | 映画
『X-MEN ファイナルディシジョン』を観てきましたので、少々感想など。

話のほうは完全に『X-MEN2』のラストからの続きです。
少なくとも2を見てからのほうが話には入りやすいと思いますが、
今回は前2作よりもアクションに傾斜した作りなので、いきなり
3作目から観ても、それなりに楽しめそう。
とはいえ、人間関係や物語の設定は前2作の上に乗っかる形で
改めて説明はありませんし、さらに新キャラまで出てくるので
やっぱり予備知識は欲しいところですね。

監督がブライアン・シンガーからブレット・ラトナーに変わったせいか
今作では虚虚実実の駆け引き要素は減少し、SFXとアクション性を重視した
よりストレートな娯楽作品になってます。
クライマックスが集団戦闘になってしまっている点も含め、前2作よりも
大味かな?という感じもありますけどね。
派手さではラトナーに軍配が上がりますが、細かい演出のセンスについては
シンガーのほうが上じゃないでしょうか。
2と3でのマグニートーの能力の見せ方などに、その差を強く感じます。

原作コミックを知ってる人や前作までに思い入れのあるファンにとっては
「え~っ!」とアタマを抱えるような部分も多数ありますが、映画と原作は
全然別物だと割り切るならば、こういう裏切り方もアリかなとは思いました。
まあ話自体が元ネタとなったフェニックス編とは全然違っちゃってますし
原作だとこのくらい強引なネタはバンバンかましてますからね。
むしろ今回はコミック版とのリンクっぽい部分がいろいろ見られて、
なかなか興味深かったです。
冒頭の戦闘シーンで落っこちてきたアレとか、ストームの扱い方がなんか
ゴールドチーム結成を思わせるとか、いまさらマクタガート教授登場とか…
実はそれほど原作通でない私でもピンとくるネタがありましたので、
詳しい人ならさらに楽しめるかも。

今回はキャラクターの内面描写よりもラブロマンスのほうにドラマの重点が
置かれているようで、ストーリーは少々軽くなってしまった感じ。
キャラを増やしすぎたのもドラマを薄くした一因ですが、ファンサービスと
考えれば、そちらは一概に悪くも言えないところです。
特にシャドウキャットとジャガーノートの追いかけっこは、キャラの対比と
ジャガーノートのバカっぷりが生きていて、本作一番の見せ場でした。
ちっこいキティちゃんは今後ファンがつきそうですが、うっかりしてると
『ハード・キャンディ』みたくチ○チ○切られちゃいますから、ボビー君も
十分ご注意いただきたいものです。
そのボビー君と雌雄を決するパイロ、今回は出ずっぱりで生き生きしてました。
でもマグニートーとの合体技は、なんかハガレンで見たような気が…。
キュアの発射銃も、『ウィッチハンターロビン』のオルボガンみたいだし
なんか日本アニメの影響を感じてしまったのは私だけでしょうか?

細かい不満はあるものの、前売券の値段に相当するモトはとれる作品だと
言えるでしょう。あんまり深いツッコミはしないという前提つきですが。
ただし、エンドロールが完全に終わるまでは席を立たないこと。
ここで帰ったら金をドブに捨てるようなモノですよ。
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ル・グィンもかなりご落胆らしい

2006年08月19日 | 映画
BPさんのblog「究極映像研究所」で、ル・グィン自身のHPに掲載された
アニメ版「ゲド戦記」への原作者コメントの要訳が紹介されてます。(8/19現在)
私の印象では非常に優れたまとめ方をされていると感じましたので、
内容に関してBPさんに責はないとご了解の上で、ぜひ一読される事を
お勧めしたいです。

機械翻訳と辞書の力で原文も読んでみましたが、怒り以上にル・グィンの
がっかり感が伝わってきて、なんかいたたまれない気持ちになりますな。
20年前は宮崎駿を知らずに最初のオファーを断ったものの、友人の作家
V・N・マッキンタイア(『夢の蛇』の作者ですね)の勧めでトトロを見た後は
「すぐさま、そして永遠に」宮崎駿のファンになったとか、後に行われた
映画化交渉の中で「原作の1巻と2巻の間の時間的空白を独自の話で
アニメ化したら」という具体的な提案まで出していたあたりに、ル・グィンの
宮崎駿に対する傾倒ぶりがうかがえます。

それだけに「映画を一度も作ったことのない」宮崎駿の息子によって
アニメ化されると知らされたときの彼女の失望と不安、そして
完成した作品を見た後の悲しみと怒りは、とてもよくわかります。
ああやっぱりダメだったか、というときの落胆はキツいですからね。
それでも彼女が示してくれた気遣い(社交辞令とも言う)を
さも得意げに吹聴して見せるアニメ製作者側の厚顔ぶりには、
もはやあいた口がふさがりません。

アニメそのものに対する感想は訳文によって解釈が割れそうなので
あえて触れませんが、鑑賞済みの私としてはル・グィンの見解に
全面的に同意します。
「私たちの中の闇は、魔法の剣を振ることでは倒せない」という
彼女らしい一文だけを、ここに紹介しておきます。

彼女のコメントが公式に翻訳されるかどうかはわかんないですが、
少なくともSFマガジンあたりはぜひ載せるべきだと思いますね。
特に後半の原作者自身による詳細な映画評については、原作小説や
ファンタジー作品を愛する全てのファンに読んで欲しい部分です。
(ジブリのファンはこの際どうでもいいや。)
もしどこも訳すつもりがないのであれば、プロジェクト杉田玄白あたりで
なんとかならないものでしょうか。

まあ考えようによっては、アニメの公開が来年の夏じゃなくてよかったかも。
世界SF大会に来る海外のファンに、こんな映画は見せたくないですからね。
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人の乗っているものを導火線には・・・

2006年07月22日 | 映画
いきなり意味不明なタイトルですが、わかる人にはわかるってことで。

というわけで(?)話題の映画『日本沈没』を見てきました。
いや~怪獣は出てこないけど、作りはまるっきり怪獣映画ですな。
まあそういう作品にあれだけ観客を呼べたという点については、間違いなく
賞賛されて然るべきだと思います。
国産の特撮でメガヒットが取れるというのは、それだけで大変な金星です。
業界の未来にとっても、今回の成功は非常に大きいんじゃないでしょうか。

さてこの映画最大の見どころといえば、やっぱり「崩壊していく日本」の姿。
無残に引き裂かれた日本列島の有様と、異様に変貌した日本各地の風景は
恐怖と共にある種の「滅びの美」をも感じさせます。
今の日本に閉塞感と危機感が漂っているからこそ、その日常が崩壊していく
この手の映画には、どこかカタルシスを覚えるのかも。
こういう時、日本のパニック映画の原点はやはり『ゴジラ』なのだと感じるし
今度の『日本沈没』もその系譜を継いだ「怪獣映画」と呼んでいいと思います。
田所博士はどこか芹沢博士っぽいし、オキシジェン・デストロイヤーならぬ
某アイテムもしっかり登場します(あれにはもう笑うしかない)。

でも私の眼からだと、同じ怪獣モノならやっぱり『トップをねらえ!』が
オーバーラップしちゃいますね。
深海へと打ち込まれたマントル掘削用のドリルパイプや、暗い海中を
音もなく潜行していく「わだつみ」の姿など、木星の中心核へ降りていく
ガンバスターのシーンにそっくりです(実はさらに似てるとこも…)。
というか、むしろトップのイメージの原点が旧作の『日本沈没』であり、
それがぐるっと回って原点に戻ってきたということなんでしょうか。
まあ荒っぽく言えば、トップもナディアもEVAも、結局は別バージョンの
『日本沈没』といえるかもしれません。
作品ごとに監督は違っても、同じ作品に影響を受けてるのは周知の話ですし
樋口氏と庵野氏はどの作品にも深く関わってますからね。

そういえば今回の製作って『ゴジラ』を作った東宝なんだよな…って、
『さよならジュピター』も東宝映画だった事に今さら気づいたりして。

人間ドラマとか日本人論で今回の映画を語るのは大きな読み違いというか、
そもそも旧作との比較自体があまり意味を成さないと思います。
災害のリアルな怖さを撮るのなら、もっと別の撮り方もあるわけですし
アイデア一つでそんなに予算をかけなくても良いものが作れるはず。
本作が撮りたかったのは、何といっても日本のハデな壊れっぷりなわけで、
ハイパーレスキューや政府がいまひとつパッとしなくても、それはそれで
今回の作品性にはマッチしてるんですよ。
なにしろこの作品の主役は人間ではなく「日本列島」という怪獣なのですから。
小野寺や玲子が目当てで見るのも結構ですが、結局彼らはサブキャラなので
その点は勘違いしないように。もちろんこれは私見ですけどね。

さて特撮とくれば忘れちゃいけないのが、カッコいいメカと謎の施設。
『日本沈没』のメカといえば、まずは潜水艇「わだつみ」なわけですが、
今回の目玉はなんといってもマントル掘削船「ちきゅう」に尽きます。
もう笑っちゃうくらいデカい、ガンバスター並みに圧倒的なデカさ。
あんな冗談みたいなマシンが実在する事自体が、なんだか感動的です。
デカいといえば、世界最大級のシンクロトロンを有する放射光施設
「スプリング8」も、ちょっとだけ出てました。
秘密基地っぽいそのデザインは、特撮者にとってはタマりません。

細かいところでは、笑えるネタがちょこちょこありました。
特に坊さん、杜氏夫婦、自衛隊機に乗り込む謎の夫妻には注目です。
旧作へのオマージュも随所に見られますが、小野寺の実家の場面では
トップに出てきた「あのテロップ」をそのまま孫引きしていますので、
元ネタを知ってる人はぜひご確認を。
写真でちらっと見られる鳶の親方も、旧作のファンはお見逃しなく。

彼氏彼女やご家族と見に行ける特撮大作、それこそが本作の真価だと思います。
さらに見た後でもっともらしい話もできるというオイシサもありますので
話題づくりにはうってつけの作品といえるでしょう。
トップファンにとっては、一種の踏み絵的な楽しみ方もできますよ。
実際に踏んできた私が言うんですから、間違いありません(^^;。
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日本沈没の決めゼリフが・・・

2006年06月12日 | 映画
相変わらず死にそうなほど多忙なため、このBlogもすっかり
放りっぱなしという不本意な状況。
圭介さんのコメントにも返事ができず、大変申し訳ないところです。

そんな中、最近見かけるようになった『日本沈没』の予告CM。
草君の口からあのセリフが飛び出してきたときにには、思わず
顔を覆ってしまいました。
なんでスタッフだった当人が、自分の映画でアレを使うかなぁ。
いいセリフなのは間違いないんですが、自分が関わった作品だから
他のところでも、しかも何のアレンジもなく使っていいという話には
ならないと思うんですが。
やっぱり、新作映画にはその作品独自のフレーズが欲しいじゃないですか。

確かに『トップ』は小松左京のSF小説なくしては生まれなかったし
その影響の大きさはこっちも十二分に理解してるつもりです。
ただ、今の時代に全く新たに『日本沈没』を撮ろうというのなら、
やっぱり新しい言葉、新しいメッセージを生み出して欲しいのです。
トップファンで特撮映画も好きな者としては、ここであのセリフを
また聞くことは、決してうれしい話とは思えません。
…と言いつつも、多分見に行っちゃうと思いますけどね。

去年のSF大会で、庵野氏が「田所博士を誰が演るのか注目したい」
みたいな発言をしてたハズですが、まさかトヨエツとはなぁ。
「弁護士のくず」ならぬ「異端の天才科学者」なわけですが、これは
案外ハマリ役かも知れません。
樋口作品の常連となりそうな國村準の存在感にも期待が持てます。
あとは前作でいろいろ言われたSFX面でのリベンジを望みたいかな。
堅い話も飛び交うでしょうけど、基本的にはエンターテインメント。
あまり肩肘張らないで見に行くつもりです。
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ケルベロスサーガに新展開か?

2005年10月27日 | 映画
今、テレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』を見ていたら、
東京国際映画祭の作品マーケットに関する話題を取り上げていました。
そこで流れたのは「REBELLION:KILLING ISLE」なる企画の映像。

画面に写っていたのは深作欣二監督の子息・深作健太氏と、
かの押井守氏の姿でした。
そして二人の映像の後に浮かび上がってきたのは、明らかに
首都警特機隊のプロテクトギアとわかるシルエット。
これはどうやら、ケルベロスサーガの新作らしいぞ!

さっそくネットで調べたところ、どうやらこれは角川グループによる
「第5回日本エンジェル大賞」なる映画振興賞の企画部門を受賞した
「エルの乱(仮)」を映画化するものらしい。
公式発表はまだ何もないのですが、深作組のHPにあるBBSには
「首都警」の文字がはっきり書かれていますので、まず確実かと。
(しかしこのBBS記事、かなり前に書かれてたみたい。ちとショックです。)

映像のプロテクトギアはイラストでしたが、深作氏がメガホンを取るなら
実写化の可能性が高いと思われます。
押井監督以外のケルベロスは『人狼』以来(ケルベロスサーガ自体がそうですが)、
もし実写ならば、初めてのケースになりますね。
バトル・ロワイアル2を手がけた監督が果たしてどんなケルベロスを撮るのか、
今後の情報が待たれます。

・・・と書いてたら、「野良犬の塒」さんに詳細な記事が出てましたよ。
さすがは本家押井ファンサイト、プレス資料まで紹介されてます。
どうやら実写なのは確実みたいですね。
メガネに続いて「エル」なる少女まで取り込むとは、ケルベロスもいよいよ
押井版バイオレンス・ジャックか、はたまたOVA版ジャイアントロボへと
成長していくのでしょうか。
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結局、ローレライは何を救ったのか?

2005年07月19日 | 映画
さて、HAMACON2のゲスト・オブ・オナー、福井晴敏氏の登場する
トーク企画「ローレライは何を救ったのか」。
会場は1000人が余裕で入る大ホールでしたが、主催者側のPR不足と
同じ時間に押井守氏のトークショーをブッキングするという二重の不手際で
集まった人数はなんと30人程度。
これには福井氏本人も頭を抱える事態になってしまい、参加者のこちらまで
申し訳ない気持ちで一杯でした。

そんな中で始まったこの企画、本当は『ローレライ』を監督した
樋口真嗣氏も参加するはずだったのですが、なんと土壇場で欠席。
その代わりとして進行役の評論家・氷川竜介氏が招き入れたのは、
なんと樋口氏の盟友である庵野秀明氏でした。
というわけで、このお三方により『ローレライ』完成までの裏話と、
樋口監督の人物評を中心にしたトークショーが行われました

「樋口氏が「自分はリアルな作品を撮りたい、ウソはつきたくない」と
言いながら作った『ローレライ』だけど、出来あがった作品は全然
リアルじゃなかった」という話を、庵野氏が潜水艦に関するウンチクを
総動員して解説。
「あれは結局、なんちゃって映画です」と話しておりました。
福井氏によれば、潜水艦映画をどう撮るか悩んでいた樋口氏に
「水の中は三次元だし、潜水艦じゃなくて宇宙戦艦だと思って撮ればいい」
とアドバイスしたら、ああいう映像になったそうです。
ただし、リアルとアニメの表現のバランスをとる中では、大胆な表現をするために
あえてアニメ寄りの演出を選択したという事情もあったとか。
今の日本映画ではその選択は正解だった、というのは、参加した三人とも
意見が一致してました。(私もそう思います。)

庵野氏に言わせると、樋口作品の最高傑作は「ナディア」の25~26話で、
『ローレライ』は経験の積み重ねで撮ってる分がまだまだ甘い、とのご意見。
今撮ってる新作(やっぱり潜水艦が出てくる、某リメイク作品)では、
もっとハジけたところを見せて欲しい、と要望してました。
なおこの映画には、福井氏もチョイ役で出ているそうです。
庵野氏の新作(実写のTVシリーズだそうです)の情報や、某ジ○リや
押井氏に関する逸話も飛び出し、中身の濃い話を聞くことができました。

笑える話が多かった中でも印象に残ったのは、福井氏が語った以下の話。

「同じ料金で日本映画と外国映画が見られるなら、誰だって金の掛かってる
外国映画に行ってしまう。そのあたりを何とかしたいと思った。」
「『ローレライ』については、出版サイドが売るためにものすごく努力して、それが
ベストセラーに繋がった。本が売れない中でも、売る意欲があれば結果は出る。」

これらの言葉には、映画界や出版界に対する危機感と思い入れの強さを感じました。
この作家自身の危機意識こそ、日本のエンターテインメントを救う大きな原動力に
なるのではないか、と思います。

さて結局『ローレライ』は何を救ったのかというと、「ド○え○ん」が公開されなかった
穴埋めとして急遽繰上げ公開になり、見事にその穴を埋めたということで、
「『ローレライ』が救ったのは○宝である」という結論になりました(^^;。
聴衆が少なかったにもかかわらず終始サービス精神を発揮してくれた福井氏と庵野氏、
庵野氏のネタがマニアックになったときにすかさずフォローに入ってくれた氷川氏に
改めて感謝したいと思います。
それにしても、時間は短すぎ、会場は大きすぎだったのが残念でした。
もっとじっくりと話が聞きたかったです。
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