Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

『アバター』IMAX版を観てきました

2009年12月28日 | 映画
ジェームズ・キャメロン監督の新作3D映画『アバター』を見てきました。
せっかくだからIMAXで見よう・・・と思いついて、わざわざ川崎まで遠征です。

それと、今回は3D映像を存分に楽しむため、字幕のつかない日本語吹替版を選びました。
サム・ワージントンをアテた東地宏樹氏をはじめ、みなさん演技が上手で安心しましたが
中でも一番安定してたのは、シガニー・ウィーバーの弥永和子さんでした(そりゃ当然か)。

それにしてもタイトルが『アバター』なのに、中身は「わが名はジョー」というのが
なんともかんとも・・・まあ、どっちもポール・アンダースンつながりなんですが。
(と思って調べたら、嶋田洋一先生もTwitterで同じネタ書いてますねー。)

内容は予告篇等でもわかるとおり、異星を舞台にした先住民と外来者による交流と
戦いの物語です。

つまりは『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の異星バージョンなんですが、異星人の描き方が
いかにも旧態依然だとか、文明格差が露骨すぎとか、人間側を悪く描きすぎてるとか
戦争観がおざなりとか、ツッコミどころは山のようにあります。
いわゆる「きっちり練られた深みのある物語」を期待すると、たぶん肩透かしかと。

でもこの映画を語るとき、そういうところをあげつらうのは無粋なことでしょう。
この作品は、たとえば古典的SF小説が文章で表現してきた“美しさ”と“驚き”を、
どこまで“体験可能”なレベルにまで近づけられるかという、ムチャクチャ大掛かりな
テストケースなのだと思います。

そういう視点で評価するなら、これはちゃんとした成功作になってました。

ポール・アンダースンにハリイ・ハリスン、ジャック・ヴァンス、アン・マキャフリィ、さらに
オールディスにティプトリーといった作家たちが連綿と紡いできた異境のヴィジョンが、
この『アバター』に凝縮されていると言っても、さほどオーバーにはならないハズ。
それをオリジナリティの欠如と批判するよりは、よくぞここまで具象化したと誉めるのが
SFファンとしての正しい姿勢じゃないのかなー。

そしてキャメロン監督は、3D映像を観客を脅かしたりショックを与えるといった単なる
「コケおどし」の道具ではなく、あくまで“臨場感”を高める最良の手段と考えている様子。
だから火の玉や岩の断片が客席に飛んでくる、といった下品な演出はほとんどありません。
むしろ目立つのは、空間の“奥行き”を強調する3D演出であり、出演者(CG含む)の
皮膚の質感や、駆け回り飛翔する異星の生物たちの躍動感といった部分です。

3Dにおける表現のあり方をマジメに考えながら撮ったんだろうなぁ、キャメロン監督。
「観るのではない、そこにいるのだ」というキャッチコピーは多少ハッタリめいてますが、
監督が造りたかった映像の核心は、まさしくこのコピーに凝縮されていると思いました。

ではその体験をどう感じたかというと・・・「現状ではこれが最高だろう」という納得感と、
「まだまだ技術革新が必要だなぁ」という残念さが、複雑に入り混じったものでした。

納得した部分は、完全にスクリーンへ没入するほどの臨場感までは得られなかったものの、
明らかにこれまでの映像体験とは違う面白さを感じられたこと。
鮮明な映像と奥行きを強調した画面の楽しさは、微妙な違和感を補って余りあるものでした。
そして3Dが予想以上に効果を発揮していたのが、異星生物の体表が持つ質感の表現。
これに関しては、今までのSFXが及ばない表現のレベルへと到達していたように思います。

一方でさらなる技術革新を望みたいのは、やはり3D映像が持つ「不自然さ」の部分。
映像自体の違和感も解消すべき点ですが、それ以上の課題は眼と体に感じる負担感です。
感覚的に楽しめる映画ならともかく、じっくり内容を楽しんだり深く考えさせたりという作品には
この負担感が鑑賞の大きな妨げになるでしょう。
全ての人がストレスフリーに見られる手法が完成するまで、やはり3D映像は実験的レベルに
留まってしまうものだと思います。

しかし、今回の“実験”にかかった時間とコストの大きさを考えると、これを実行できるのは
やっぱりキャメロンやスピルバーグ、ルーカスくらいしかいないでしょうねー。
ある意味ではキャメロン監督による、究極の「道楽映画」と言ってよいかもしれません。
その点を考えると、押井監督が「自分のやりたいことを100%やられてしまった」と
大いに悔しがったのもわかる気がします。
『アバター』にも『立喰師列伝』に似たマニアックさの匂いがしますから(笑)。

そういえばキャメロンの映像への執念って、どことなく「アニメ」や「コミック」における表現を
(CGも使った)実写でやってみたい、という欲望に支えられているように思えるんですよ。
今回も全編に日本のアニメ的なモチーフが多用されてたし、あえてそれを本歌取りにしたと
思われる場面もありました。
特に『風の谷のナウシカ』と『攻殻機動隊』からの影響は、もう決定的じゃないかと。

あとは『未来少年コナン』かなー、なんといってもギガント走りつきなので(笑)。


ただしイマジネーションの奔放さや動きの面白さといった部分に関しては、今でもまだ
アニメのほうに軍配が上がると思います。
だから富野監督が(アニメ作家の立場として)『アバター』を未完成と評した件にも、
ある程度は同感できるところ。
ただし相手は「超弩級(円城流なら超伊級)に手のかかった」書き割りなわけですが・・・。

3Dナシでナンボの映画か確かめるために、今度は通常版を観てきたほうがいいのかな?
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