Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

第2回名古屋SF読書会『虎よ、虎よ!』に参加してきました

2015年04月02日 | SF・FT
twitterでお世話になってる舞狂小鬼さんたちが主催する「名古屋SF読書会」に参加してきました。

この読書会、回数はまだ2回目ですが第1回の盛り上がりがすごかったと聞いていて、
さらに小鬼さんを初めとするスタッフの皆さんは10代20代のころににSFファンダム界で
バリバリ活躍していたというツワモノぞろい。
これはいっぺん参加したいなと思っていたところ、第2回で取り上げるのがベスターの歴史的傑作
『虎よ、虎よ!』に決まって、参加したい度がさらにアップしてしまいました。
とはいっても実は読書会とか出たことないんで、どんな感じになるか不安はあったものの、
そこはなんとかなるだろーという勢いで、関東の端っこから名古屋まで駆けつけちゃいました。

当日はお昼ちょっと前に名古屋入りして、舞狂小鬼さんの他に放克軒さんとたこいきおしさん
(このお二人も若いころから鳴らした、SFファンの兄貴分)と合流。
小鬼さんお勧めの店でエスニックな昼食を食べつつ、雑談がてら読書会のウォーミングアップとして
小一時間ほどベスター談義を繰り広げましたが、この時点で早くもミニ読書会の様相を呈することに。

このカレーはさっぱりしてるけどコクもあって、大変おいしくおただきました。

その後は会場に移動し、いよいよ本番の読書会がスタート。
まずは30人ほどの参加者が3班に分かれて『虎よ、虎よ!』について感想を述べ合う形式で進みました。

私の班はSFにあまりなじみがなかったり、ミステリ読書会からの参加という方が比較的多くて、
『虎よ、虎よ!』についてのファーストインプレッションが「あまり好みじゃない」という方が
全体の半分くらいを占めてました。
理由としては「主人公の悪逆非道ぶりに共感できない」というのが多かったのですが、一部の女性からは
「復讐のためにいろいろ学んで努力する姿がだんだん健気に見えてきた」という意外な支持もあったりして、
単なる嫌われ者という見方だけでもない様子。
内容については「サクサク読めるけどなんだかよくわからない」「いろいろ書いてありすぎて読むのが大変」
「勢いに任せて書いてるみたい」という意見もあって、とにかく詰め込みすぎな印象が強かったようです。

ここで班長の小鬼さんから話題のとっかかりとして、元ネタのひとつ『モンテ・クリスト伯』が紹介され、
大筋は元ネタが踏襲されていることや、主人公のガリー・フォイルが刑務所内で知識を得る場面などは
一種の教養小説とも読めるとの説明がありました。
さらに終盤で、フォイルが実現不可能とされていた宇宙へのジョウントを行う一連の場面については、
『2001年宇宙の旅』との相似性に触れつつ、ニーチェの超人思想の影響が現れているとの指摘も。

私のほうは小鬼さんの指摘を受ける形で「ジョウントとは何か」についての解釈を披露しました。
なぜジョウント現象は単にテレポーテーションと呼ばれないのか?というのが最初の疑問ですが、
それは発見者の名前というだけでなく、物語が進むにつれてフォイルの容姿と精神が変容するように、
ジョウントという言葉の持つ意味も変容していくからなのでは…と考えたわけです。

それを解く鍵が物語の序盤にある「ジョウントを成功させる鍵は、何よりも疑念をもたず信じることである」
という説明と、終盤でフォイルが語る「信仰において最も重要なのは、信仰を持つということ自体なんだ」
というセリフだとすれば、すなわちジョウントこそがニーチェの言う「神が死んだ」24世紀における、
新たな信仰のかたちなのではないでしょうか。
そして人間は己の可能性を信じることによって遂に星々の彼方へと跳躍し、人類という種は新たな段階へと
進化できたのではないか…というのが、私なりの読み方です。

でもハードSF派の人から見れば、超能力よりは量子テレポーテーションのほうが納得できるという
厳しい意見もあって、このへんは50年代SFをいま読むことの難しさなのかなーと思いました。

『虎よ、虎よ!』のいささか詰め込みすぎとも見えるアイデアの一部は、後にさまざまな作品へと
転用されており、中でも特に有名なのが『サイボーグ009』の加速装置です。
参加者の多くも、真っ先に思い浮かんだのはこれか『AKIRA』の燃える男だったようですね。
新しめの作品では、うえお久光の『紫色のクオリア』がそのまんまベスターへのオマージュであるとか、
『天元突破グレンラガン』の螺旋界認識転移システムがまさにジョウント能力だといった例が挙げられ、
21世紀になってもベスターの影響力は絶大だということを改めて感じました。
まあベスターもデュマの小説とブレイクの詩にインスパイアされて『虎よ、虎よ!』を書いたわけで、
名作の遺伝子は常に時代を超えて受け継がれるということなのでしょうね。
また、終盤に出てくるタイポグラフィについては「まるで3Dのようだ」という感想もありましたが、
それなら『虎よ、虎よ!』を下敷きにした009を3Dアニメ化した『009 RE:CYBORG』のような作品は、
ベスターの脳内映像に現代の映像表現がようやく追いつきつつある一例なのかもしれません。

感想のあとは、関連書として次に読むオススメ本の紹介へ。
これまで出た作品名のほかには『地球へ…』『スター・レッド』といった往年の名作マンガ、
ワイドスクリーン・バロックつながりでバリントン・J・ベイリーの作品などが挙げられました。
復讐譚として挙がったのが『マルドゥック・スクランブル』で、これは個人的にツボでしたねー。
『虎よ、虎よ!』という作品は主人公が自分を掛金に危険な博打を打ち続ける印象があるのですが、
『マルドゥック・スクランブル』のギャンブルシーンもやはり危険で熱いです。
当日は時間切れで挙げられなかったけど、私のオススメはタイトルの元ネタでもあるブレイクの詩集
『無垢と経験の歌(無心の歌、有心の歌)』。
終盤で赤々と燃えながら時空を翔け抜けるフォイルの姿は、この詩の描き出すイメージそのものです。

班別ディスカッションの後は、各班の板書を見ながらの全体ディスカッションへ。
フォイルの女性への仕打ちは他の班でも不評だったらしく、こういう奴はけしからんという声が多数でした。
あと、放射能男のダーゲンハムはアラン・ムーアの『ウォッチメン』に出てくるドクター・マンハッタンの
元ネタだろうという意見がありましたが、ならばラストに出てくるロールシャッハの手帳と、雑誌編集長の
「みんなお前に任せたからな!」のセリフも、やはり『虎よ、虎よ!』へのオマージュっぽいですね。
(同じムーアの『V フォー ヴェンデッタ』には、収容所から脱獄する燃える男のエピソードも出てきます。)
そのダーゲンハムの発する放射線で狂った給仕ロボットが、突然予言めいた言葉を発するくだりについては、
「まともなことを言ってるけど実は狂ってる」という二重性によって曖昧さを残しているという解釈に加えて、
あれは宗教そのものを皮肉った描写なのではないかという意見も出されました。
そういえばフォイルの新しい名は「NO→MAD」(ノーマッド)ですが、これは遊牧民や放浪者だけでなく、
NOからMADへと至るとも、MADの否定系にも読めますねー。さていったいどっちなんだろ…?
他にもいろいろな意見が飛び交いましたが、さすがに全部は追いきれませんでした。

そんなこんなで、初体験の名古屋SF読書会は終了。
好きな作品について、いろいろな人のいろいろな読み方、楽しみ方に触れられたのは大きな収穫でしたし、
なにより楽しかったです。
参加者の皆さん、そしてこの読書会を主催されたスタッフの皆さんに、改めて感謝いたします。


次回のお題はブラッドベリの名作『華氏451度』とのこと。
これまた盛り上がりそうですし、今の時代こそ読まれるべき作品のひとつだと思います。
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