Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

「闘争の季節」ふたたび-スカイ・クロラを見て

2008年08月20日 | 映画
完全な平和と引き換えに、ショーとしての戦争が確立した世界。
そこで戦うのは、永遠の子供であることを定められた「キルドレ」たち。
平和な日常を意味あるものと感じさせるため、観衆に提供される「戦争」は
キルドレたちにとっては唯一「生」と「死」を感じ取れる場所でもある。
「スカイ・クロラ」は、そんなキルドレたちの生きる日々を綴った物語。

「静謐な画面に緊張感を漂わせてる」とも「神経質で無機質な画面」とも
形容できるこの映画ですが、私にはやっぱり「闘争の季節」の恋愛模様に
見えてしまいました。
固定観念かもしれないけど、押井さんの作品には常に全共闘や安保世代の
体験した「原風景」が刷り込まれているように思えます。
私もリアルに体験した世代ではないのですが、あの当時の昂揚や挫折感、
そして行き場のなさなどといった感覚が残響のように残っているかのよう。
ユーイチとスイトの関係も、まるで「バリケードの中の恋」みたいです。

言い換えると、その当時と現在って、実はあんまり変わっちゃいないのかも。
青春像なんて根本的には普遍のものだし、世界全体は冷戦中もその後でも
形は変われど緊張感を孕み続けてますし。
遠くの戦争を眺めつつ変わりない日常を過ごすという構図も、朝鮮戦争以後
中東戦争やベトナム、そして湾岸戦争から9.11を経て今に至るまで、なんら
変わっていないものだということもできるでしょう。
そんな世界、特に日本の現状を写し取りつつ、生を実感できる「闘争の場」である
「空中戦」を組み込んだのが、「スカイ・クロラ」の世界観なのではと感じました。

あとやっぱり、基地を中心とした登場人物の生活は、どこか学校を思わせますね。
基地の閉塞感とゆるくもピリピリした雰囲気などに、そういう気配を感じます。
連れ立っての外出やボウリングの生き生きした描写なども、同じように見てました。
学園生活とくると、必ず「ビューティフル・ドリーマー」が引き合いに出されますが
それを差っ引いて見たとしても、たぶん同じ感想を持ったでしょう。
ならば最大の、そして倒せない「大人」の敵の名が「ティーチャー」であることも、
むしろ当然だと言えます。

でもこういう感覚って、たとえばリアルタイムで学生をやってる人たちに対して
ある程度でも伝わるのでしょうか?
その手の観客層に訴えるには作りが抑制されすぎ、レトロすぎだと思うのです。
はっきり言えば、押井さんの(もしくは原作者の?)趣味が強すぎるんですよ。
作風も空戦以外は地味だし、その空戦場面も映像テクニックはすばらしいものの
パイロットであることの悲壮感などの「客受けしそうな」部分は見せないし。
(というか、スイト自身がそれを否定しちゃってますしね。)
あえて劇的な演出を押さえて、情緒に流されないように作ったのかもしれないけど
よっぽど食い下がってくる層でないと、いろいろ拾って来れないのでは?

押井さんはテンション上げちゃうと饒舌になるので、客に引かれるのをためらって
色々ガマンしたんでしょうか?
でもそういう押井作品って、個人的にはイマイチ退屈でもあります。
そんな私にはやっぱり「立喰師列伝」のほうが口に合うのでした。

基本設定や種明かしについては省略。この手のネタには他で慣れてるので
あえて取り上げなくてもいいかな~、ということで。
個人的には娼館の話やあいまいな記憶という部分に、ジーン・ウルフの諸作
連想させられたというくらいにとどめておきます。


こんなのとか・・・


あと、こんなのとか。

ちなみに「崖の上のポニョ」では「アバイアの女奴隷」が見られますよ(笑)。
以上、SFマニア向けの私信でした。

・・・以下、気づいた点をだらだら書いてみます。

タバコを吸う、酒を飲む、愛し合う。
大人にしかできないはずのことをやっても、大人になれない「キルドレ」。
彼らはチルドレンで、キル+奴隷、だから大人にならないし、なる必要もない。
そしてスイトはユーイチが還らなかった時、「本当に何かを変える」ため、
あえてタバコをやめたように見えました。

アンティーク調の室内に繰り返しディスプレイされている、伊万里や染付の数々。
最初は骨董趣味かと思いましたが、あれはたぶん模作ではないかと思います。
模作に囲まれた世界は、そこで過ごす存在もまた模作であることの暗喩かと。
ブレードランナーにおける「写真」が、スカイ・クロラの世界では「骨董」へと
置き換えられているのでしょうか。

押井さんが上映前から「身体回帰」と語っていたのは、フィジカルな部分よりも
むしろセクシャルな部分への言及だったのかな、と映画を見た後に思いました。
さらに性的な関係の延長としての「子供」と、それを永遠の子供である「キルドレ」が
求めたという矛盾性を、ミドリのセリフがうまく突いています。
こういう感覚って、実は「イノセンス」の頃も感じていたのだけれど、あの頃は
押井さんもそのまわりも「性」や「身体性」に言及する方向からは遠かったし、
作品自体もベクトルが逆のものだったので、こちらも深くは考えませんでした。
今回「スカイ・クロラ」を見て、そのへんがなんとなく腑に落ちたという気分です。

結論・押井守はやっぱり押井守である、以上。(なんのこっちゃ)
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4 コメント

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うんうん (shamon)
2008-08-22 20:46:56
と頷きながらレビュー拝見しました。

みごっとに賛否両論ですよね。
原作知らない人も知ってる人も真っ二つ。
青の零号さん仰るとおり趣味が強すぎたのかもしれない。
合う人は合う、合わない人は合わない。

ただ原作を読む限り一度説明をつけだすと膨大になるのであえて今回は見切ったのかもしれない。
ロストック、ラウンテルって名前もアニメになって初めて知りましたよ。
原作にはそんな名前出てこないのに。

ともあれ
>押井守はやっぱり押井守である
ですよね。
でもこれでいいと思います。
芯がころころ変るようじゃ売れてもクリエイターとしては終るから。
押井さんはこれでいいんですよ (青の零号)
2008-08-22 21:58:39
shamonさん、まいどありがとうございます。
こちらからもコメ&TBしておきました。

『スカイ・クロラ』は何よりも「極めて押井守」な映画だと
強く感じた作品です。
『攻殻』や『イノセンス』以上に、押井色満開。
ムリヤリこじつけるなら、攻めの『立喰師列伝』に対し
守りの『スカイ・クロラ』という作風の違いかと。
私の好みは「攻め」なので、つい立喰師を押してしまいますが
実は根っこの部分が同じ、ということも承知してるつもりです。

>芯がころころ変るようじゃ売れてもクリエイターとしては終るから。
そうですねー。
少なくとも押井さんに(本気で)注目してる人たちは
その「芯」の部分を見てるわけだし。
やっぱり押井さんは押井さんのままでいいんですよ(笑)。
ですよね (shamon)
2008-08-23 20:16:52
こんばんは。

>実は根っこの部分が同じ、ということも承知し>てるつもりです。
そうそうまったく一緒。

>その「芯」の部分を見てるわけだし。
リンチもですが「芯」がある映画監督って
がなんだかんだで生き残りますしね。
人に合わせても絶対に自分の部分なんて消えないし。

ノラネコさんのブログでは
http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-247.html#comment
「ツィゴイネル・ワイゼン」に似ていると回答いただきました。
かなり高評価されてます。この方、点数だけならポニョより上につけてます。
とはいうものの (青の零号)
2008-08-24 18:43:35
shamonさん、こんばんわー。

>「芯」がある映画監督ってなんだかんだで生き残りますしね。
とはいえ、そういう監督はみんな資金面で苦労してますよね。
リンチとか押井さんとかテリー・ギリアムとか・・・。
まあこの人たちの場合、本気で作りたいもの作ったら
金がいくらかかるかわかんない、という根本的な問題が
ありますけどね(^^;。

>「ツィゴイネル・ワイゼン」に似ていると回答いただきました。
面目ない。日本映画には疎いもので、清順作品は見たことなくて。
原作が内田百間らしいので、一度は見てみたいです。

「ポニョ」は映画としての良し悪しを評価するより
まずアニメとしてのすばらしさを称えたいです。
見る時は初心に還って、「絵が動くことの喜び」を
純粋に楽しむのがよろしいかと。
あえて例えるなら、トトロよりもパンコパに近いかな。

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