DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

夢(51)

2014-02-20 23:04:38 | ButsuButsu


人生にはいろいろなことがあるものだ。

常に勝ち続けることはできない。

賢い生き方というのは、運が向いているときに大きく飛躍して、不運な時に小さくへこむことだ。

足し算したときにプラスなら良いのだろう。

そう思いながら62年間も生きてきてしまった。

まあ、全体的に見れば今までのところ合格点の部類に入るのだろう。

もちろん個人の能力によるところも大きい。

しかしそれだけでは決まらないところが人生の難しさだ。

長い目で見て勝ちを拾ってほしいと思う。

そう言えば、日米のDissapoint問題が話題になっていた。

相手に何か期待すると失望することがある。

最初から期待しなければ失望はしないが、それも淋しいものだ。

どうも人間というのは、親しくなると相手に何かを無意識に期待してしまう動物のようだ。

ただ、相互に期待する軸がずれていないことが大事だ。

今回の議論は、どうも交わらない軸上での話のようだ。

それはもともと無理な議論だろう。

住んでいる社会や世界が違うと、思い込みだけで判断してはいけない。

最近特にそのことを感じる。

だから少し期待して、あまり大きくは期待しないことにしている。

そうすれば、大きな見返りがあった時に、とてつもなくうれしくなる。

みんなが少しだけ期待してあげればよいのに、と思うのは私だけだろうか。

夢(50)

2014-02-20 01:15:26 | ButsuButsu


2003年8月に撮ったソーラーボート大会の写真だ。

オプテックス社長の小林さんの後方に、板倉先生が写っている。

10年ほど前で、まだみんな若かった。

板倉先生の急逝は、私にとってとても悲しいものだった。

皆がずっと生き続けるわけにはいかないが、永の別れはいつも突然にやってくる。

年を取ってくると、このことを日々思いながら生きていかなければならない。

仕方のないことだ。

2014年5月24日土曜日に、故・板倉安正先生の追悼講演会を行うことになった。

時間は15時から17時で、旧大津市公会堂の大ホールで開催する。

板倉先生と膳所高校からの同窓であった伊藤靖彦先生に話をしていただく。

僭越ながら、私も板倉先生の思い出について話したいと思っている。

無料なので、ぜひ多くの人に参加してほしいと思っている。

琵琶湖の観測や実験、会議、飲み会と実に多くのことで先生とは懇意にしていただいた。

大切なことは、去っていく人の思い出を心の中にとどめておくということだと思う。

人間の歴史はそんな積み重ねの上に成り立っている。

他の動物とは大きく異なる点だ。

佳き日に、佳き人との、佳き思い出がある。

なんと幸せな人生だろうか。

*********

故・板倉安正先生追悼講演会

日時 2014年5月24日(土曜日) 15時00~17時00分

場所 旧大津市公会堂大ホール

式次第

   挨拶 山田能裕(びわ湖トラスト理事長)

   講演 伊藤靖彦(京都大学名誉教授)

   講演 熊谷道夫(立命館大学教授)

   交流会   


2月18日(火)のつぶやき

2014-02-19 09:25:40 | 物語

夢(49)

2014-02-18 23:17:23 | ButsuButsu


日本の団体ジャンプ陣のことを日の丸飛行隊というのだそうである。

聞けば、4人全員が怪我や病気や逆境を抱えていたようだ。

よくまあ銅メダルが取れたものだ。

もちろん、参加した選手それぞれが様々な事情を持っているので、このような話は日本人だけのことではないだろうが。

そういう意味では、日本選手の運が強いのだろう。

まずは祝福したい。



あとは女子のフィギュアスケートだ。

なんとなく金メダルが取れそうな気がする。

負けない心が大切なのだろう。

どれだけ強い心を持てるかが、勝敗を分けるような気がする。

こうやってオリンピックの悲喜こもごもを見ていると、勉強させられることが多い。

私が岩登りをやっていたとき、必死になって練習した。

自然に体が動かないと、危険な岩場は登れない。

努力するということは、どれだけ無意識に動けるかであり、その先に勝利があるのだろう。

あと少しだが、ぜひ頑張ってほしい。

2月17日(月)のつぶやき

2014-02-18 08:55:39 | 物語

夢(48)

2014-02-17 18:27:36 | ButsuButsu


生きている間にもう一度チベットへ行きたいと思っている。

それはカイラス山を訪れるという夢だ。

チベットの西に位置するこの山は、ラマ教の聖地である。

*****

チベット族にカン・リンポチェ峰(大きな氷の宝石)として知られるカイラス山(標高六六五六メートル)は,チベット西部のマナサロワル湖近くの牧草地にそびえ立つ。

雪におおわれた頂をもち,古来ヒンズー教徒,チベットの原始的ボン教徒,また仏教徒にとって聖山である。

チベット族には須弥山と同一視されている。

危険に満ちた有名な巡礼路が山麓一帯をめぐっている。

文革のあと,聖山巡礼は昔日の活況を取り戻している。

巡礼者のうちある者はヤクや羊の群を伴ってチベット高原を流浪しつつ聖地に辿り着き,ある者はラサからトラックの便乗をまじえて聖地に向かう。

いずれにしろ,長期にわたる彼らの道中の多くは,乞食行によって辛うじて支えられている。

そのように,巡礼者の出身地や階層はいろいろでも,彼らが異口同音に語る巡礼の目的は「来世のために徳を積むこと」である。

聖山めぐりの基地であるタルチェンに到着した巡礼者は,昼夜兼行でカイラス山一周を三日に一度くらいのぺ一スで繰り返し,多くはその目標回数を十三回に定めているという。

しかもその十三めぐりのうちの少なくとも一回だけは,全行程を五体投地で進むのを念願とし,そのため衣服の膝や袖の部分をすり切らせ,額に血をにじませた巡礼者を見ることもまれではない。

「三途の脱れ坂」でなされた餓悔滅罪のための行が,この場合には全行程にわたる五体投地という,いわば〈歩く〉ことを極限にまで押しすすめた苦行にグレードアップされるのである。

そればかりではなく,チベット高原の各地では,カイラス山一周の巡礼路にいたる蓬か手前からでも,五体投地を繰り返しながら聖山をめざす巡礼者の姿が少なくないという。

大地に全身を打ちつけながら進む巡礼者の礼拝とは,釈迦牟尼仏の身体に等しいチベットの大地に対し已れの五体をあげて織悔し,滅罪を願うことにほかならない。

キャンチャと呼ばれるこの五体投地の礼拝で,巡礼者はまず両手を頭上で合掌し,「この身体のつくりしこれまでの罪を清めたまえ」と祈り,ついでその両手を顔の前で合わせ,「この口がこれまでにつ一くりし罪を清め
たまえ」と祈り,さらに両手を胸の前で合わせ「この心がこれまでにつくりし罪を清めたまえ」と祈る。

身口意の三業が犯した一切の罪のゆるしのためには,その代償としてこれほどまでに凄まじい肉体的痛苦が必要だと観念されているわけである。

*****



食べ物の少ないチベットでは、ヤギも痩せている。

5000m級の山地には、十分な草がない。

これがモンゴルへ行くと、羊は肥え太っている。

3000mの大地は、それほどに豊かだ。

チベットの人々は犬を大切にする。

これが漢民族との摩擦を引き起こしている。

彼らは、犬を食べるし、魚を食する。

三業の罪科を消滅するために、チベットの民はカイラスを訪れる。

さて、果たしてカイラスを訪ねる日が果たしてくるのだろうか。


2月16日(日)のつぶやき

2014-02-17 10:20:08 | 物語

夢(47)

2014-02-16 20:45:49 | ButsuButsu


だんだん陽が長くなってきた。

季節は順調に変わりつつある。

ただ、今年は太平洋側で降雪が多い。

海面水温の平年値からの偏差を示す。

太平洋沿岸で平年値より水温が高い(赤色)場所が多い。

特に銚子沖の水温は2℃ほど高い。

それだけ海水が温かいのだろう。

冷たい高気圧の張り出しとともに、太平洋で発生した低気圧が発達している。

40ヘクトパスカル以上の気圧差があるので、まるで台風のようだ。

当分このような気象条件は続くのだろう。

注意が必要である。

2月15日(土)のつぶやき

2014-02-16 09:29:14 | 物語

夢(46)

2014-02-15 14:54:24 | ButsuButsu


羽生が最初に4回転をミスした時に、金メダルはだめだかなと思った。

次に手をついた時には、完全にあきらめていた。

この時点では、パトリック・チャンがそれ以上のミスをするとは思わなかった。

結果的には、金メダルは羽生のものとなった。

決してあきらめない、ということの大切さを教えられた場面だった。

運の強さとでもいうのだろうか。

前向きに向かうことによって、彼には運を呼び込む力があるのかもしれない。

昨日は大雪で、家で仕事をしながらテレビを見ていた。

おかげで原稿を一本完成させた。

あいかわらず冬の太平洋低気圧は、台風のような勢いだ。

これからこのような気象が増えるのだろう。

やはり太平洋が熱くなっているのだろうか。

モンゴルにあるフブスグル湖では、氷の張り方が薄いという連絡がきた。

すでに2台の車が湖に落ちたそうだ。

普通なら2m位の厚さの氷が張るのだが、今年はまだ1mだという。

イギリスでは大洪水だそうだ。

地球の気象がバランスを崩している。

何も打つ手はないのだろうか。

あきらめてはいけない。

羽生さんを見倣って、生き残りをかけた手を尽くすべきだろう。

2月14日(金)のつぶやき

2014-02-15 09:45:04 | 物語

夢(45)

2014-02-14 13:20:59 | ButsuButsu


生態系の変化(環境と生物の相互作用)

生態系とは何か。

「生物とそれを取り巻く環境の相互作用」と古典的な教科書では定義されている。

つまり生態系と言う特定の対象があるわけではなく、生物と環境が作り出すある種のバランスを明らかにする学問だということになる。

したがって、生物の種類が変われば環境も変わるし、逆に環境が変わればそこに住む生物も変わることになる。

何がよくて何が悪いのか、という禅問答的なやり取りをするわけではないが、おおよそこの世の中で絶対的に生存が保障されている生物は存在しない。

一億年も地球上で繁栄したあの恐竜でさえ、現在は絶滅している。

人類が不変不滅であるというのは幻想に過ぎない。

当然、終了するときがやってくる。

その時にどう対処するのかと言う問いかけは、SF小説やSF映画の世界でしかない。

なぜならば、我々は現在と言う瞬間(地球の歴史から見れば瞬間)をきわめて真面目に必死になって生きざるを得ないからである。

それが生存するということの意味である。

さて、琵琶湖の話をしよう。

過去50年間で琵琶湖の環境は激変した。

それは日本と言う国の形態が戦後大きく変わったことにも起因している。

経済も発展し、人口も増えた。

生産性を向上させるために、湖岸の埋め立てや養殖や放流など環境を大きく改変してきた。

地域的な変化だけでなく、温暖化と言う地球規模での大きな変化もあった。

それらの一つ一つが、琵琶湖と言う閉鎖性空間を変えてきた。

最も大きな生態系の変化は、アユとイサザの変化だろう。

図1に示したように、1960年代後半からアユの漁獲量が急激に増えてくる。

これは稚魚の養殖や人工河川による産卵などが影響している。

このことに反比例するかのようにイサザの漁獲量が激減する。

アユとイサザは、もともと同じ種類の動物プランクトンを摂取していた。

ヤマトヒゲナガケンミジンコという長い名前の動物プランクトンである。

アユの現存量が増えることで、イサザが食性を変化させたと言われている。

こうしてイサザは琵琶湖の湖底に生息するアナンデールヨコエビを食べるようになる。

この結果1970年代になると、棲み分けが成立したかのように見えた。

しかし1990年代になると、アユもイサザもとれなくなる。

湖岸の改変とかさまざまなことが要因として挙げられているが、最も大きいのは水温の上昇ではないかと私は考えている。

というのは1990年代になると急激にビワオオウズムシが増えてくるからである。

湖底にすむヒルのような形をしたこの生物は、一時期、絶滅危惧種であると言われていた。

ところが、今は大量に存在している。

いったい何が起こったのだろうか。

実は1990年代以降に、琵琶湖の湖底泥中に含まれるカブトミジンコの休眠卵が激減しているという事実がある。

つまり、この頃から冬季にミジンコが休眠卵を作らなくなっているのだ。

これは湖が暖かくなっている証拠でもある。

水の循環や地殻活動の活発化など、さまざまな要因が考えられるが、確かに琵琶湖の生態系はこの100年間で大きく変化し始めている。

1960年代から1980年代にかけての富栄養化と言う人為的ストレスと、1990年代から最近にかけての地球温暖化によるストレスが、湖の環境を大きく変え、そこに住む生物を変えてきた。

このような多くの事実は何かを我々に伝えているが、真実を明らかにするにはまだピースが足りない。

それには緻密な作業と大胆な仮説が必要である。

琵琶湖は人間の生存を映す鏡である。

そこに映る過去から現在に至る変化の写像から学ぶべきことは多い。

***** 



2006年8月25日に自律型潜水ロボット「淡探(たんたん)」が琵琶湖最深部で撮影した湖底生物の写真である。

横40㎝×縦30cmの画像の中に、アナンデールヨコエビが356匹、ビワオオウズムシが24匹映っている。

これらは共に琵琶湖の固有種であり、数十万年生き延びているが、このように高密度で発見されたことはこれまでない。

いったい湖底で何が起こっているのだろうか。

2月13日(木)のつぶやき

2014-02-14 08:49:03 | 物語

夢(44)

2014-02-13 11:56:52 | ButsuButsu


勝負は時の運というが、オリンピックを通じてそれを再認識させられる。

梨沙羅さんの場合、周囲の期待が大きかっただけにこの思いが強い。

考えてみれば、金メダルを取ることは並大抵ではない。

企業でも個人でも、どんな世界においても、トップになる確率は数%に過ぎない。

100人いたら、数人の成功者が出る程度だ。

日本の選手団は113名なので、金メダルをとる人数はせいぜい2~3名だろう。

そう思えば、残念だったね、と励ますしかない。

まだ若いのだから、期待値は高い。

あまり若いときにトップに立つと、後の楽しみがなくなると思えばよい。

それにしても、あの取材の嵐の中で、トップアスリートたちはよくやっていると思う。

現代スポーツの世界では、お互いに持ちつ持たれつの関係だからなのだろう。

彼らはスポーツ選手であって、同時にアイドルでもある。

そのことが収入をもたらすし、結果的にスポーツの振興につながる。

逆に言えば、ある取り組みを成功させるには、いかにマスコミの注目を引き付けるか、が鍵となる。

ただそこに虚偽を持ち込んではいけない。

宣伝をするということと、嘘をつくということは違うのである。

ところが自分に誠実であろうとすると、どうしても地味になってしまう。

そこで、新聞の見出しはセンセーショナルになりがちだ。

受け取り側の知恵としては、話は半分がよいのだ。

熱しやすくて冷めやすい日本人気質の中で、しぶとく生き残っているタレントには敬服している。

2月12日(水)のつぶやき

2014-02-13 08:32:34 | 物語