DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

生きる(70)

2015-07-12 05:19:14 | ButsuButsu


テレビのワイドショーなどで、隣国である中国や韓国に対して罵詈雑言を吐く人がいる。
このような番組を見ていると、嫌悪感を催す。
主張は個人の自由だと言うかもしれないが、いわゆるタレントと言われる人々が、日夜画面に登場して根拠のない私見を述べ続けるのもいかがなものか。
わが国の知的レベルや倫理観が問われる気がする。

昔、朱舜水という人がいた。
江戸初期のころである。
中国では明が倒れ、清が覇権を握った頃の話である。

朱舜水(1600―82)は中国の浙江省余姚に生れた明の儒学者
朱は姓 舜水は郷里の河川からとった号 名は之瑜 字は楚嶼・魯璵。
明代末期の官界の腐敗を批判し、12回におよぶ明朝からの仕官のすすめにも応じなかった。
南明復興運動に身を捧げ、中国の舟山を中心に安南や長崎の間の三角貿易に従事して資金調達を図り、あるときは安南に抑留されて死を決意した。
鄭成功の南京攻略に従軍したが、抗清復明の夢破れついに日本に永住の地を求めた。
徳川光圀の知遇をうけて、水戸学の形成に深い影響を与え、江戸で永眠した。

高徳の人とも言えるのだろう。
彼の学風は、実利・実益を説く経世在民だった。
経世済民とも言われる。
後の経済の語源ともなったようだが、原義はもっと広い意味を持ったいた。

ある日、徳川光國(光圀と名乗る前の名)が彼に問うた。

「先生、治道の要諦とはいかなるものでしょうか」

「四つほどあります」

治道とは、政治のしかたや、国を治める道を指す。

朱舜水は、以下のように述べたという。

「政教の分別、税の公平、大学の充実、海」

400年も前の話である。

今の世に、一体、どれほどの進歩があったというのだろうか。

宗教団体に支援された政党が、政権与党となり、国の平和を破壊しようとしている。
政権という権利欲得にまみれ、国の危うきに手を貸している。
今の状況は、幕末の混沌としたセクト主義の再来にも等しいのではないのか。
木を見て森を見ていない。

税にしても、複雑怪奇である。
庶民は、公平感を持っているのだろうか。
2700億円かけて国立競技場を作る大義は、どこにあるのだろうか。
今支払っている東北復興税も、いつまで続くのだろうか。
政治家は猛省すべきである。

大学制度も崩壊寸前である。
競争原理を導入するのはよいが、目先の成果を追うあまり、教育という根本的な道を誤っているのではないのか。

今、私は海の仕事に参画している。
やっとここまで辿り着いた関係者の努力に敬意を表している。
しかし、考えなければならないことが多くある。
国や企業は、あまりにも海を軽視している。

基本的にわかっていない。
海は魅力のある資源であると同時に、恐ろしい存在でもある。
もし、我が国が経世済民を本義とし、世界の大同を目指すのならば、もっと海に目を向けるべきだろう。
そのためには、一部セクト主義や教条主義を排し、海を統合的に扱う省庁を作るべきだろう。

今から2500年前に中国で作られた儒教という教えは、長い年月を経て近隣国家の礎となってきた。
中国でも、韓国でも、日本でも、儒教が国を支えた時代があった。
この辺を軸に、近隣諸国との友好を再構築したらどうだろうか。
過去から学ぶことはたくさんある気がする。


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