ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

民族の祭典

2008-08-26 07:14:13 | Weblog
 日本人は異常にオリンピックが好き。時差が7時間あったアテネの時でさえ、ヨーロッパの人たちの2倍オリンピックの中継をみていたそうです。1932年のロサンゼルスオリンピックで日本は、「実感放送」という奇妙なことをやっています。現場からの中継ではなく、スタジオに帰ったアナウンサーがその日の競技の模様を再現したものです。これが海外のラジオ局がオリンピックを中継し最初のケースだそうです。

 何故日本はオリンピックの中継にこの時力を入れたのか。1932年は満州事変の翌年。孤立した日本政府はオリンピックを宣伝材料に使うことを思いつき、選手団の強化につとめます。その結果日本選手団は水泳を中心に華々しい勝利を収めています。馬術のバロン西の金メダルもこの大会。そして文部省は選手にフェアプレーに徹するよう指導します。日本に対する好印象を世界に与えるためです。日本選手のフェアプレー精神はしばしば賞賛の対象となりますが、その起源が邪悪な侵略戦争を糊塗するところにあったというのは皮肉なことです。

 五輪といいますが、戦前のオリンピックは欧州とアメリカのもの。1.5輪でしかありません。つまり五輪は「文明」国の祭典。そこで存在感を誇示して、満州侵略が「文明」的なものであることを当時の日本は世界に訴えたかったのでしょう。東京オリンピックは戦後復興をとげた日本が先進国の仲間入りをしたことを世界に誇示するイベントでした。日本人のオリンピック好きは、様々な国を文明/半開/未開に区別し、本来平等であるはずの諸民族を等級化する意識と深いつながりをもつものであるといえます。

 経済発展をとげ、「半開」から「文明」の段階に参入したことを証するイベントとしてオリンピックを利用した点で、日中韓は共通しています。日本が韓国に負けた時の日本人のヒステリックな反応は、韓国人の手によって日本が「半開」の地位に引きずり下ろされたという恐怖感のあらわれのようにみえます。そして韓国人の過剰な歓喜のなかには、その反対の心理をみることができるでしょう。