ガラパゴス通信リターンズ

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一瞬の夏(甲子園・アルプススタンド編)

2008-08-08 08:55:59 | Weblog
亡くなった父はよく、「わしは木更津で除隊した」といっていた。戦争末期に召集された父たちの部隊は、戦地に行こうにも船がなくなっていた。千葉の木更津で足止めをくらって、そのまま終戦を迎えたのである。今回N高が甲子園で対戦したのは、その木更津の高校であった。

 向こう側のアルプススタンドにいる高校生たちの大半は、鳥取がどこにあるか知らないだろうな、などと試合前にぼくは考えていた。まあ、N高生のなかにも千葉県の位置が分からない者は大勢いるだろう。さらに木更津がどこにあるかと聞かれれば、ぼくだって答えられないのだが。


 およそ四半世紀前にN高は、後に全国優勝を果す東京の強豪と対戦している。その学校の選手たちは、抽選会の前、テレビのインタビューに「鳥取の代表とやりたい」と言っていた。N高との対戦が決まった後、彼らは歓喜の叫びをあげていたのである。キャプテンはテレビのマイクを前にこう公言した。「鳥取のしかも進学校になど絶対負けるわけがない!」と。結果はN高が10点を奪って快勝した。

 今回の対戦相手は春の関東大会の優勝校。この高校の監督は試合前に「ロースコアで接戦にもちこみたい」といっていたが、侮る心の裏返しだろう。ところが試合が始まってみると、N高のエースに強力打線は翻弄されっぱなし。三振の山を築いている。最後に疲れの出たエースが打たれ負けてしまったが、中盤、大会第一号ホームランがN高に出た時には4半世紀前の再現かと思った。

 N高のエースについて、「こんなすごい球を投げるピッチャーはみたこともない」と木更津の選手たちは舌をまいていた。どこにあるのかわからないところの高校にすごいピッチャーがいる。世の中は広い。決して誰かを侮ってはならないということを彼らは学んだのだと思う。甲子園に流れる相手校の校歌を聴きながら、「わしは木更津で除隊した」という亡父のことばが、ぼくの頭に浮かんでいた。