ガラパゴス通信リターンズ

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KY

2007-12-27 14:46:52 | Weblog
 今年も「合同ゼミ」が終わった。「正当化される差別」という、とんでもない報告もあったが、自分たちのゼミのものも含めて、研究報告のレベルはなかなかのものであった。とくにさすがヴィジュアル世代で、レジュメのレイアウトやパワーポイントを使ってのプレゼンテーションは、こちらが驚くほどうまい。自分の学生時代にこれほどの発表ができたとは思えない。大学生の学力低下という話も疑わしくなってくる。

 しかし、これが質疑応答になるととたんに低調になってしまう。質問そのものは的を得たものが多かった。ところが立派な報告をした学生が、耳を疑うようなとんちんかんな答えを返してくる。そこでまた質問者がつっこめば、議論も盛り上がっていくのだろう。ところが「ありがとうございました」とか言って、簡単に矛を収めてしまうのだ。質疑によって対象に対する理解が深まっていくということがない。「議論力」は、ぼくらが学生だった頃より、はっきりと低下している。

 フランス人は議論が好きで得意だ。「自由・平等・友愛」という原則がみなに共有されているから、フランス人は安心して議論ができるのだと思う。ところが日本は違う。人々に共有された政治的原則など何もない。若者たちはよく「KY」という。「空気読めない人」の略だ。日本人を支配しているのは原理原則ではなく、「空気」なのである。「空気」に反することをいえばたちまちいじめの対象になる。学生たちは、小さい頃から人と話をする時、頭を働かせるのではなく「空気」を読むことに懸命だったのだろう。これでは「議論力」が育つはずもない。

 山本七平さん(あまり好きな人ではないが)は、帝国軍隊は「空気」に支配された集団だと述べていた。若い学生たちが「KY」という。結局敗戦は日本社会を本質的に変えるものではなかったのだ。そして、ぼくらの時代に比べて若者たちの議論力が衰えているのだとすれば、それはこの国のなかで原理原則の力がいっそう衰え、「空気」の支配力がいっそう強まったことを示してはいないだろうか。