ガラパゴス通信リターンズ

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足踏堂さんに答えて2

2007-12-20 08:11:39 | Weblog
 足踏堂さま。おっしゃるとおりで、私の批判はいわば憲法の社会的機能に関するものでした。憲法の条文に内在した批判ではないというのはその通りだと思います。いまパオロ・マッツアーリノ氏の『反社会学講座』を1年生ゼミで読み終え、同氏の『つっこみ力』に入ったところです。彼はこのなかで国民の納税の義務だけ書かれていて、国が国民から徴収した税金を適正に使う義務を負うことが書かれていないと、日本国憲法を批判しています。はっとしました。

 憲法には国民の3大義務が明記されています。教育と納税と勤労です。しかしそれらの義務は日本国民が、「誰に」対して負う義務なのかということが書かれていません。憲法とは国家を成立させる社会契約の宣言です。どんな契約書にも誰が誰に対してどんな権利と義務とを負うのかが明記されています。何故日本国憲法には、「日本国民は日本国家に対して○○の義務を負う」と書かれていないのでしょうか。こんな契約書は無効だと思います。

 そして次に奇妙な点は、マッツアーリノ氏がいうように、国家はこれらの義務を国民に課しながら、それにみあういかなる対価も保証していないことです。まあ教育は、それを受けることじたいが大きな対価ですからよしとしましょう。しかし納税に関してはマッツアーリノ氏のいうとおり。勤労についても「すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負ふ」とありますが、勤労の見返りについては一言も書かれていません。このことと今日の若者の窮境との間には大きなつながりがあるのではないか。

 勤労の義務を謳うのであれば「日本国家は、勤労の義務を果たした日本国民に対して、人間としての尊厳を損なうことのない水準の生活を保証する義務を負う」という条項がなければおかしい。こうした条項があれば、憲法は若者たちが自らの権利主張を行う際の「武器」となりえたでしょう。ワークシェアリングやベーシックインカムの政策を推し進める、強力な根拠ともなったはずです。赤木さんが絶望に陥ることもなかったと思います。