ガラパゴス通信リターンズ

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蒼ざめた馬をみよ

2007-12-08 01:14:48 | Weblog
エドワード・ラジンスキーの『アレクサンドルⅡ世暗殺』(NHK出版)を読んだ。面白い!このロシア皇帝は何度も何度も襲撃された末、テロに倒れた。アレクサンドルⅡ世は農奴解放を行ったが、それ以上は何もしなかった。反動派を慮ったためである。進歩派と反動派の双方に顔を向ける皇帝の「ヤヌス性」が彼をテロの標的にした。進歩派だけでなく反動派も裏切られたと感じていた。その結果、誰しもが皇帝の死を望むようになったとラジンスキーはいう。

 アレクサンドルⅡ世治下のロシアは工業化を進めるためにたくさんの大学を作った。しかし工業化は成就せず、大学生たちの未来は閉ざされていた。自分の能力を生かす道が保証されていれば、ラスコリニコフは老婆殺しを正当化するおかしな理論を編み出したりはしなかっただろう。『悪霊』のモデルとなった事件を起こした大学生たちも、そのエネルギーをもっとましなことに使ったはずだ。なんだか高学歴フリーターが街にあふれるいまの日本とそっくりだ。

 この時代のロシアには、しかし理想はあふれていた。西欧から進歩主義的な理念が押し寄せてくる。当時の若者たちは、ロシア農民に伝統的な四海同胞的な平等主義を発見していった。ところがロシアの現実は、無能と不正とに覆われていた。この理想と現実の落差がテロを生み出す温床となった。テロリストたちには大義があった。ロシアの世論がテロリストに同情的だったのはこのためである。ドストエフスキーも例外ではない。そうでなければアリョーシャが、皇帝暗殺を謀るテロリストになるという『カラマーゾフの兄弟』の続編の構想が生まれるはずなどなかっただろう。

 暴徒にも大義が必要だとひろのさんは言っていた。この国には大義も理想も何もない。日本の若者たちが海外の識者もいぶかしむほど大人しいのはこのためである。理想と現実の落差が大きかったかの時代のロシアは、テロと偉大な文学とを生みだした。理想などまったく存在しないいまの日本では、表面的な平穏の陰に絶望に押しひしがれたもの言わぬ若者たちの大群がいる。どちらの時代がより不幸なのだろうか。私には分からない。