バイクボランティア Bi-Vo

大規模災害時にバイクとIT機器を用いて活動する団体です。

5/2 山田町ボランティア【晴れ】

2011-05-22 21:43:00 | 活動報告
元副代表のBi-Vo@横浜さんの個人ボラの活動報告を掲載しています。
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朝5時に起床。

 本日は最後の活動日です。もともとはGWには多数の人が来るのでそれまでのつなぎと思っていましたが、思いのほか長居してしまいました。

 ということで本日は全力で行くぞと思いきや朝から強風です。テントが壊れそうだったのでピンを抜いて倒しておきました。強力にペグ打ちをしたテントは骨折していました。ファミリーテントでステーが強すぎるのはNG。やはりバランスが大切ですね。

 さて、バイク隊は出動したもののDF@愛知氏とスズキのカブ@滋賀氏が織笠大橋の強風に打ちのめされてしまい、一時間ほどで活動を中止しました。

 活動中に現地である方とお話していると、亡くなられた方は普段から避難訓練に参加しておらず、当時も避難されなかった方とか第一波の津波が小さかったので、自宅にものを取りに戻られた方だったとちょっと棘がある言葉で語られていました。

 賄いをしていた避難所で助かられた方は、普段から津波警報が出ると一応避難していたので助かったと聞いたのでやはりそういうものかなと感じました。ただ、避難はするものの解除されて戻ると当然自宅があるので今回もそのつもりで避難したらなにもかもなくなったので唖然としたそうです。

 戻ったら疲れが出たので寝てしまいましたが、午後になるとほとんど風が収まったので再度ニーズ調査に出発。大浦地区を回りましたが、かなり大工が入っており、あまりボラのニーズはすくなさそうです。総じて、生き残った漁民はなんとか自宅再建くらいのお金は捻出できる見たいで復興は早いと感じました。もともと動かしているお金の額が大きいですからね。それに比べて町の商店等の方や山間のお年寄りの生活再建では大変なようです。ボラもこういった方たちを支援すると良いかと思いました。

本日も2200に就寝です。

5/1 山田町ボランティア【晴れ】

2011-05-22 21:39:00 | 活動報告
元副代表のBi-Vo@横浜さんの個人ボラの活動報告を掲載しています。

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朝6時に起床。

 本日のニーズ-要員マッチングで避難所賄い飯の引継ぎ要員を募集しました。初日のがれき撤去で一緒した北海道の奥様と流しのナース@愛知さんの2人が応募してくれた。北海道の奥様はキャンプサイトでもきっちり夕食を作っているのを拝見しているので期待できそう。

 本日はお2人の能力が期待できるので現地に着いたら食材と要領を伝達して早速調理をしてもらいました。ご飯が大量に余ってこまっているとのことだったので、流しのナース@愛知さんに洋風のおじやを、北海道の奥様にきんぴらゴボウを、男2人は味噌汁の担当です。

 新任の2人がてきぱき仕事をしているのをみていると、ちょっと寂しいものを感じます。スズキのカブ@滋賀氏も同じこと思っているかようでしたが、明日からここの避難所の飯作成がうまく回るようにしてあげるのが私たち前任者の責任だよと話すと納得してもらえたみたい。

 1300ごろからDF@愛知氏、FTR@秋田氏と織笠地区にて合流ボラセンの宣伝ならびにニーズ、浸水域の詳細調査に入ります。ここは川を津波が遡上しており上流まで被害があります。また、他県ナンバーの車が止まっているのが目に付いたのでヒアリングしてみると、GWになってお年寄りを避難させていた遠隔地に住む子供が後片付けに見えているのが目立ちました。

 これらの人たちは山田町役場のホームページを見ていたのですがボランティアの情報は書かれていないのでボラセンの存在をご存知ありませんでした。こういった地元に直接居住していない人たちに周知するためには町役場のホームページが重要だと感じた次第です。

 ちなみに数件のニーズがとれました。バイクは小回りが効いて、狭い道でのすれちがいにも困らず駐車も容易なのでニーズ把握や広報部隊にはよい道具です。ただ、バイクに乗れれば良いと言うものではなくニーズ把握には提案型の営業経験者のスキルが必要です。

 伺った先にもボランティアに来てもらったが、依頼した床下の作業は危険だということで作業せずに帰られたと言うお宅がありました。確かに余震が続く中床下の作業が素人のボランティアに危険という判断は妥当と思いますが、その家を見ると浸水でかなり汚れています。そのばあい、床下作業はだめでも室内清掃をやりますという提案する才覚が必要だと感じました。当然このお宅には清掃を提案して再度依頼を頂きました。

 被災者には何からして良いか分からない方が多数見えます。このような方々に自らボラセンに電話して、この仕事を何人でやって欲しいと依頼できる方がいったいどのくらいいるのでしょうか。

本日も夜は宴会。2200に就寝です。

4/30 山田町ボランティア【晴れ】

2011-05-22 21:35:00 | 活動報告
元副代表のBi-Vo@横浜さんの個人ボラでの活動報告を掲載しています。

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朝6時に起床。

 料理ボラはあまり体を使わず運動不足なので食事前にボラセン周りをを散策します。ボラセンの下の老人ホームがありますが、桜がきれいに咲き出しました。が、その枝には漁具がぶら下がっています。この施設は寝たきりの人が多く避難が間に合わずに職員含めて80人くらいの方が亡くなられたと聞きました。到着から日にちが経ってしまいましたが気になっていたので線香を上げて読経させていただきました。

 某バイク団体の副代表であるDF@愛知氏から三重在住のスバル@三重氏経由で本部要員として来た三重の代表にバイクボラの件と、GWにボラが増えたときに向けてニーズ獲得について話をつないでもらうように依頼する。

 長野の社協から来た本部要員の方に話がつながりバイク屋さんは広報対象ならびに浸水調査隊として活動することが決まった。私とスズキのカブ@滋賀氏は午前は賄いボラとして動き、午後にバイク隊に合流する予定で動くことになった。

 本日のメニューは避難所のお姐さんのリクエストで作ったてんぷらです。至急資材にてんぷら粉があったので、野菜を刻んで揚げるだけなので、作業内容は単純ですが、やはり揚げにはちょっと時間がかかります。いつもより15分ほど遅くなってしまいました。野菜は刻みすぎて大量にあまったので、翌日以降の食材に使うことで対応します。

 本当は海老とか魚があるとよいのだが、船が流されてしまい漁村なのに魚の入手が不可能です。ということで、たまねぎ、ニンジン、シイタケ、しめじの四点での野菜てんぷらにご飯と味噌汁、小松菜おしたしの定食としました。

 1330ごろにバイク隊から連絡が入り、大沢の漁港付近でDF@愛知氏、FTR@秋田氏と合流しました。ボラセンの宣伝ならびにニーズ、浸水域の詳細調査に入ります。が、活動一時間ほどで降雨がはじまり当分気象レーダによりしばらくはあがりそうにないことから、ボラセンに引き上げることにしました。

 ボラセンに近づくと覆面パトや警察系のバンが出てきます。下の老人ホームでご遺体が多数見つかったのかしらと思いきや本部運営をめぐって静岡系と旭川系が以前から対立気味と聞いていましたがいさかいがあって、旭川系が警察を呼んだようです。ちょっとグーが出たかどうか知りませんが、ここまでやるとはやりすぎです。マスコミにでも知れたらボラで内ゲバといいネタになってしまいます。新潟川口町のバイク隊も悪評高いけど、ここまで行ったのは前代未聞です。

 スズキのカブ@滋賀氏を本格的にバイク隊に投入するため避難所の炊き出しは引継ぎ者を見つけて対応してもらうことにするため、避難所の方と握って明日は4名体制でのオーダしてもらうことにしました。

本日も夜は宴会。2200に就寝です。

4/29山田町ボランティア【晴れ】

2011-05-22 21:30:00 | 活動報告
元副代表のBi-Vo@横浜さんの個人ボラでの活動報告を掲載しています。

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朝5時に起床、晴れです。

 ボラセンのある船越半島は岩手船越駅前に幅500mくらいの平らのところで本州とつながっています。地図で見る限りは平地なのですが、津波は南からやってきて半島にぶつかりましたが低地だったこの部分を乗り越えて山田湾内に入り込み北東に開口した湾口から進入した波とぶつかり増幅して市街地や湾内周辺の漁村を襲ったそうです。両方の波がぶつかった地点ではその強烈なエネルギーで50mくらいの水の壁ができたとのこと。

 さて、本日のメニューは賞味期限寸前の生トマトを活かすためにミートスパゲティーにします。ひき肉がありませんが、冷凍の肉を叩いて避難所のお姐さんが作ってもらうことになっています。具はトマト、ニンジン、ジャガイモ、にんにくとひき肉できわめてオーソドックス&シンプルです。

 課題は大量の麺を短時間でゆでること。時間をかけると先に茹でた分が伸びてしまいおいしくないのです。まあ茹でたてパスタが好きな私の趣味が入っていますが。パスタソースを11時までに仕上げてカセットコンロで保温して、麺は台所とグランドにある炊き出し用の五徳の二箇所で同時に茹でることで時間短縮を図ります。火力が弱いので湯を沸かすのに一番時間がかかることから、茹で汁は使いまわすことにします。ただ、麺を引き上げるのが熱かった。

 仕上げは軽くはフライパンでいためてできあがり。めちゃ疲れましたが、我ながらうまくできました。生トマトが爽やかさを出しており胃にもたれません。普通のレシピを見るとトマトの水煮缶を使えことになっていますが、お値段が高く二の足を踏んでいましたが、生トマトを使う技術が開発できたので夏のトマトの安い時期に自宅で作りおきしてします。

 本日は奇数日で楽しみにしていた入浴日です。夕方陸中青年の家に向かって走り始めたところDF@愛知氏が大槌町まで来ているととの連絡がありました。バイクで走っている最中に携帯を受話できる装備が無いので、ヘルメットを取って大忙しです。やはりヘルメットの受話システムを調達することを優先的に考えることにします。

 陸中青年の家はボラセンから大槌町の間のR45にあるので、そこで待ち合わせをすることにしました。青年の家ふもとのR45でバイクを止めて待つこと10分。いやいや大荷物を積んでやってきました。前週に出張できた彼と品川で飲んだときには、岩手に行くかもしれないと聞いていたのですが、本当にDF200で1000Kmを自走してくるとは。お疲れ様です。

 入浴後、道の駅近くのデイリー酒と飯を買ってDF@愛知氏のテントを建て終わると雨です。もう少し入浴が遅かったらずぶ濡れになるとこでした。そういえば、今回はバイクは自走でなかったので雨具は持参しなかったのですが降雨時の屋外ボラ活動とかテント撤去とかを考えるとやはりもっていくべきでした。

 あと、差し入れ等で野菜があったのですが、ろくな調理器具がなかったので、利用できずに残念な思いをしました。やはり包丁とまな板も小型のものでよいので、準備することにしましょう。

4/28  山田町ボランティア【雨→曇】

2011-05-22 21:25:00 | 活動報告
元副代表のBi-Vo@横浜さんの個人ボラでの活動報告を掲載しています。
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 夜半過ぎからの雨音で4時ごろに起床しました。テント内を見ると一部で浸水が始まっていました。雑巾1枚で対処できるくらいだからまだかわいいものです。フライシートをきちんと引っ張っていないのでインナーと接している部分から伝わっての浸水しているのが主な原因でした。キャンプは30年以上やっていましたが、フライシートの紐の意味をようやく理解することができました。帰ったら撥水剤の塗布とフライシートの紐の準備をしなきゃ。

 テントの出入りで濡れそうだったので、雑巾で水を吸いつつTwitterで遊んで時間つぶしをしていると日の出のころに雨が弱まりました。しかし風が嵐のごとく吹き始めテントが翻弄されます。フライシートの紐に続きペグ打ちの必要性が理解できました。風にテントが飛ばされないように中で格闘しているのもいい加減疲れたし雨が弱まったので外に出て、キャンプ場の炊事棟に行くと騒がしい様子で何か異変が起こったようです。

 ありゃ、シャッターがぼこぼこでひどい状態です。事情を聞くと、昨日やってきた町が発注して防災用のテントを建てている業者の若者たちが酔って暴れて破壊したようです。ボランティアで無かったのが不幸中の幸いで、万が一ボランティアが関わっていたら大不祥事です。でも、お金をもらって町を直しに来た業者が、町を壊していくなんてなんかなあ。直接の当事者はどこかに隠れてしまいめちゃかっこ悪いです。結局シャッターはボラとキャンプ場の管理人の方がプラハンで、こつこつ直されて私のような素人目には完全復旧です。すごい技術をお持ちの方がいてよかったですね。

 さて、本日はスズキのカブ@滋賀氏とスイスから来た若者D君と避難所に行きます。D君はヨーヨーがうまくて、ヨーロッパでも指折りの選手で、その華麗なるヨーヨー遣いで被災地の子供たちに一時でも、和んで欲しいとボラセンにやってきましたが、要求されたニーズしか対応しないお役人のようなボラ本部にエンターテイメントのためにボラを派遣するという発想はできません。ここ数日の会話でその雰囲気は分かっていましたので、まともに正面から交渉しても時間の無駄です。そこで、賄い食の量が本日多くて人数が足りないので追加要員が必要との論理でまず切り込んで見ました。が、案の定ニーズ票の人数が2人なので2人しか派遣できないと言って来ますが、そんな回答が来るのは想定の範囲内です。他のニーズが埋まったタイミングだったので、それなら彼はあぶれてしまうので、本部で使いますか。私たちは英語くらいは使えるので彼とうまくやれると思ったのですが、本部で語学が得意な方が見えるならお願いします。と切り返すといきなり手のひらを返してOKがでました。

 本日のレシピは、キムチの消費期限が来ているので、豚キムチとします。キムチチャーハンの要望だったがさすがに30人前を小型フライパンでは時間がかかりすぎて無理なので、ちょっと変えました。あと、3.11から49日にあたるので慰霊祭があり避難民の方のかなりの方が留守で午前は子供向けのエンターテイメントができないのでD君にはスイスの料理を一品作ってもらうことにしました。

 どちらも結構売れて、鍋いっぱい作ることの掟を守らず半分くらいにしたら全員に配る前に売り切れて急遽追加で作ることになってしまいました。やはり鍋いっぱいの掟は守り、後任者にも引き継ぐようにします。厨房の前の廊下には避難民の名簿が掲示されており、仕込みの合間に何気に見ているとお母さんと子供の名前のみの家族が目立ちます。会社が流れたからお父さんは内陸部や他県に出稼ぎにいっているのかなと思っていたのですが、発災後に家族を高台に避難させた後に今度は漁船を守るために沖出しをしている最中に津波に巻き込まれて亡くなったり行方不明になっている方の家族だと聞きました。こんな小さな避難所でこれだけお父さんのいない家ができてしまったなんて。小学生くらいの男の子が、乱暴に絡み付いてくる気持ちが分かりました。オジサンたち気の利いた事はできんけど、まあ、飯食って元気出してくれや。アンパンマンの気分ですね。14:50に防災放送で黙祷の案内が流れ、避難所一同で祈りました。

 さてネット経由で三重の団体が本部要員として明日から多数入られるとの情報が入電です。うまくつないでいけば、一旦切れてしまったバイクボラの仕事が再度つなげるかもなと期待が持てます。あと、新潟中越から特に一緒に活動している愛知の旧知の友人が小型バイクで1000Km自走して岩手に向かっているとの情報が入り、なんか明るい気持ちになりました。

 キャンプ場に戻った後はGW前最後の仕事です。夕方ぎりぎりに5/1からの仕事の伝票が入ってきて最悪と思いきや発注先の外注さんも見積をくれていないので、GW後に見積もりもらって発注ねと電話でネゴして仕事完了。

本日は早起きしすぎで眠いので21時前には就寝です。