バイクボランティア Bi-Vo

大規模災害時にバイクとIT機器を用いて活動する団体です。

新潟県中越地震 7-小千谷市BC立ち上げ奮戦記

2004-11-26 22:52:00 | 活動報告
7.今ここで手に入る武器は何なんだ!

 他のリーダと一緒に現在のツールを確認する。

ツール1 地図

 正確な小千谷の地図はたった1枚しかない。この貴重な地図はみんなで共同で使うために、卓球台ほどの机の上にどんと張られている。国土地理院の五万分の一の地図を編集して小千谷市専用としたような地図だ。道路地図では無いので見にくいことこの上ない。

 その地図の上に所狭しと書き込まれている数字が避難所を示すマークだ。数えてみると約80箇所ある。人口数万の町で80箇所の避難所!

 地図の上の道路には至るところに×がマーキングされている。通行止め個所だ。何箇所かは一旦修正液で×を消した上に再度×マークが打たれている。何度も書き直したようで、修正液で盛り上がっており立体地形図のようだ。傍らにいた人に聞いてみる。本震で崩れた後に一旦緊急工事で復旧したのだが、度重なる余震で再び崩れて通行止めとなったようだ。

 バイク隊員に配る地図は小千谷観光マップのガリ版刷りだ。卓球台地図と比べると、一目見ただけで簡易図と言うことが分かる。縮尺はめちゃめちゃ、観光とは関係のなさそうな地区の道路は省略されている。これで走るのか。ため息が出る。

ツール2 ニーズ票

 小千谷VCのニーズ受付係から回ってくる仕事内容が記載された紙がニーズ票だ。ニーズ受付係ではさまざまなルートで入ってくるボランティア要求を受け付けてその中からバイク隊にまわすべき仕事がこの紙に記載されて回ってくる。
 この紙はバイク隊の本部で管理するので、実際に現地に走ってもらうバイク隊員に渡すことはできない。平時だったらコピー機で複写すれば済むことなのだがここは被災地そんなものは無い。せめてカーボンペーパーがあればなあと、またまたため息をつくのであった。

ツール3 その他メモ書き

 前日までの活動を物語るメモ書きが何枚か転がっている。内容は仕事のノウハウ的な走り書き、注意点、断片的であるがまとめれば貴重な情報だ。



新潟県中越地震 6-小千谷市BC立ち上げ奮戦記

2004-11-26 22:51:00 | 活動報告
6.ミーティング

 ボランティア登録をしようと本部の受け付けに行くが閉まっている。少し時間が早かったようだ。付近を見渡すとバイクが数台止まっていて、バイク隊の事務所と思しき場所がある。

 近づいてみると、昨日の活動を物語るようにさまざまな資料が散らばっている。暫くするとNさんからバイク隊のリーダーの一人であると伺っていた日赤のサブリーダーのSさんが現れた。さっそく挨拶を交わし、昼までNさん代理を勤める旨を告げる。
 
 そうこうするうちに朝のミーティングを開始する。全部で20人ほどが集まった。Sさんと他一人が仕事内容・流れを説明する。解散かと思っていたらいきなり私に振られた。「えっ」、 頭の中が白くなりながら昨晩Nさんから聞いた話を思い出し、アドリブ脚色を加えながら何か喋った。時々、言葉の間に妙な間が空くのが自分ではとても気になったが、みんな神妙な顔をして聞いてくれている。(このおっさん何言っとるんだ?!という突っ込みがいつ来るか冷や汗が出ていた)
 

新潟県中越地震 5-小千谷市BC立ち上げ奮戦記

2004-11-26 22:49:00 | 活動報告
5.小千谷に向かう

 朝七時、小千谷ボランティアセンタ(以下小千谷VCと略)に向かうべく長岡市役所を出発した。

小千谷に近づくにつれどんどん景色が変わっていく。

道がうねっている、吹き飛んでいる。

電柱が傾いている、倒れている。

倒壊した家、傾いた家、屋根だけ吹っ飛んだ家。

ガラスがこなごなに崩れているカーディーラー。

ところどころに焚き火、それを囲む人々ののどす黒い頬。

町の至るところにあるブルーシートの青がだけがやたらとまぶしい。

・・・・・・・・・・・・・。

これが大地震なんだ。
 
 信濃川沿いの通り道のちょっと高台から対岸を見ると、対岸で並行して走っている道路は崖崩れでは完全に無くなっている。

 その側に多数の赤色等を灯した消防車の車列が見える。芥子粒のようなオレンジ色の人影が崖にへばりついている。ああ、きっとあそこは親子三人が生き埋めになった現場だ。助かった男の子と同じ年の子を持つ親としてはとても他人事とは思えない。生来涙腺が緩い私のズボンにいくつもの黒い染みが広がっていった。

 長岡から走ること30分。Nさんから聞いた特徴のある形の建物が見えてきた。その建物のとなりにある小さな建物が小千谷のボランティアセンタになっている「サンライク小千谷」に違いない。



新潟県中越地震 4-小千谷市BC立ち上げ奮戦記

2004-11-26 22:46:00 | 活動報告
4.被災地に入る

 現地時間21時。スターレット号よ。あれが長岡の光だ。あれ!長岡は電気が点いているではないか。高速料金無料は無理だよなあと、最初から素直に通行券とハイカを差し出した。料金所の職員に道路状況を聞くと、ひどいもんだと脅かされた。

 料金所を出て国道を走ると道が若干うねうねして乗り心地が悪い。と言ってもわだちの激しい名四国道位なのでまだ耐えられる。町の様子は・・・、ガソリンスタンドが開いている(@@)
値段もレギュラー120円で災害記念特別価格という感じはしない。

飲食店も営業を再開しているではないか(くるまやラーメン、ココ一番カレー等々 打たれ強い人たちだねえ)。ガラス越しに見るコンビニの商品棚も商品が並んでいる。

 長岡は割と無事なんだなあ、というのが被災地に入っての第一の印象でした。

 早速、長岡市在住メンバーに電話すると自宅に来てくれとのこと。Nさんの新築らしいきれいな家は素人目にはダメージは無さそうに見える。しかし、地震当時この家にいたNさんによると「もうだめかも」と覚悟をされた位の揺れだったらしい。

 挨拶もそこそこに水曜日のバイク隊の活動状況・組織運用体制・キーマンについてのレクチャーを受ける。長岡は街に入った第一印象どおり危機状態は脱したようなので、バイク隊は木曜日から小千谷に終結することなっているとのこと。俺の任地は決まった。

 その後、自衛隊のネタで大いに盛り上がったが、突然、Nさんが悪魔の発言をした。「私、明日の朝は仕事をしてからしかいけないので、朝一番のバイク隊の指揮をよろしく」「はあ?」一瞬意識が遠のく私であった。

 その晩はNさんのアドバイスで、長岡市役所駐車場で車中泊をすることにする。どっからどう見てもボランティアの連中の車・がたむろっている。バイク用のインナージャケットを着て、寝袋に包まって眠ったのか、寝ていないのかわからない一夜を明かす。
(Hit-Airのインナーだったのですが、結局アイドリング暖房をすることなく一夜を過ごせました)

 朝が来て洗面のために市役所に入ると足の踏み場のないほどの物資が雑然と詰まれている。
食料に安全靴に・・・・。天井まで達している。
 

新潟県中越地震 3-小千谷市BC立ち上げ奮戦記

2004-11-26 22:45:00 | 活動報告
3.道中

 高速料金が無料に出来るとはそのときは夢にも思わなかったので、なるべく下道を走る方針で行くことにする。まず飯田に向けてR153を走る。
シルクロードでマスターに出動宣言して昼飯食うかなあと思ったがなんと定休日!稲武の道の駅でラーメンを食する。

 道中でも時々携帯電話にBI-VOメーリングリストが入電してくる。
その1 BI-VOが仕切る宣言!なんだこりゃー
     →揉め事は勘弁してくれよ。(T_T)
その2 災害用のFM局が出来たとのこと。ラジオ持っていないよ。
     →ダイソーによってFMラジオ購入。Aさん、情報ありがとう
その3 Pさんも出動する→宴会用の酒とつまみがいるのでスーパーによって購入といろいろ忙しい。(これは余分か)

 結局塩尻から高速にあがり長岡までワープした。どのくらい被災地に近くなるとガソリンが手に入らなくなるのか分からないので150Km走行位を目安にこまめに給油する。最後は上越ジャンクションを過ぎてはじめてのSAで給油し、私も暫くは食べらなれないかもしれない暖かい食事を頂くことにする。