前回、「飽食の戒め」について書きましたが、
修道院ではいきすぎた禁欲、断食はセーブされています。
特に四旬節(注・01)の40日間、修道士たちは
責任者にスケジュールを提出します。
度を超えた断食などのセーブだけではなく、
甘すぎるかどうかチェックされます。
常日頃の労働もチェックされます。
労働が意味あるものとされてしまわないように時間が厳格に区切られ、
労働よりも大事なミサが上位に置かれています。
では労働を軽んじているのではありません。
労働で自給自足の生活が優先されるからです。
むしろ何もしないことは、「魂の敵」とみなされます。
これは修道院の規則のみならず世俗で
生きるクリスチャンの生き方としなければなりません。
仕事が優位ではなく、礼拝を第一としなけばならないのです。
私は25年間、無教会員でしたが、無教会の指導者であり、
東大総長でもあった矢内原忠雄は、
「この世から後ろ指を刺されるようなことをしてはならない」と語り、
礼拝第一とは言いませんでした。
その影響を受けた愛農聖書研究会では、
礼拝ではなく、農業をすること、農村の隣人愛優先を掲げてしまいました。
つまり本末転倒のクリスチャン生活を唱えてしまったのです。
四旬節(注・01)
大斎節(レント)は、カトリック教会および保守的なプロテスタント宗派の典礼暦(教会暦)において、復活祭(日曜日)の46日前の水曜日(灰の水曜日)から復活祭の前日(聖土曜日)までの期間を指す用語である。
「40」という数字は、旧約聖書の中で特別な準備期間を示す数字であった。例えば、モーセは民を率いて40年荒野を彷徨っている。ヨナはニネヴェの人々に40日以内に改心しなければ街が滅びると預言した。イエスは公生活を前に40日間荒野で過ごし、断食した。四旬節の40日間はそのような伝統に従い、キリスト教徒にとってはイエスに倣うという意義のある準備期間となっている。「四旬節」の語源「クアドラゲシマ」(Quadragesima)はラテン語で「40番目」を意味し、元は初代教会で復活祭を前に行っていた「40時間」の断食のことであった。復活徹夜祭には成人の洗礼を行うのが初代教会以来の慣習であり、受洗者たちも初聖体に備えて40時間断食を行っていた。後にこの40時間(聖金曜日から復活祭まで)が6日間に延ばされた。さらに延びて6週間の洗礼準備が行われるようになった。四旬節は本来、復活祭に洗礼を受ける求道者のために設けられた期間であった。(ウィキ)