1)修道院では「沈黙と会話」の適切な程度を知ることだと言います。
確かに無駄な会話は霊的なことを台無しにしてしまいます。
私が所属している純福音鯖江教会では、
コロナ禍の中でも一度も礼拝後の食事会は中止にしたことがなく
継続されたのは、教会の交わりや食卓の交わりの重要性を
牧師は重視されておられたからにほかなりません。
反面、昨年の初頭まで礼拝に行っていました湖西教会は真逆で
3年、会食も一度もなく、礼拝後の交わりも全くゼロで
まるで無教会のような無風状態でした。
ゆえに教会の成長はなく、洗礼者は8年間ゼロ行進でした。
まさに沈黙の教会でしたが、鯖江教会は毎年、洗礼者が与えられ、
成長している教会です。
つまり教会員同士で適度な会話が保持されているのです。
2)また修道院では、適切な睡眠を重視しています。
ベネディクトゥスは、「ニワトリを小屋に言える時間にベッドに入り、
ニワトリとともに起きることが最善だ」
としましたが、十分な睡眠を取るように規則を定めていますが、
眠り好きにならないように戒めています。
人間は適切な睡眠ほど健康維持に重要なことはいうまでもありません。
厚生労働省のサイトで「健康づくりのための睡眠指針2023」が記載されています。
それによれば、成人では6~9時間が
適切な 睡眠時間の目安とされています。
また、サイトで
「睡眠は、こども、成人、高齢者の健康増進・維持に不可欠な休養活動です。良い睡眠は、心血管、脳血管、代謝、内分泌、免疫、認知機能、精神健康の増進・維持に重要であり、睡眠が悪化することで、これに関連したさまざまな疾患の発症リスクが増加し、寿命短縮リスクが高まる」
と指摘しています。
実は私たちが福井市に移住して団地に住むようになって
一番感謝なことは、熟睡がよくできることです。
それまでよく眠れなかったのは
1・県道が家の前を走っており、騒音がひっきりなしだったこと
2・寝室の下(1階)に宿泊者が常におられたこと
3・問い合わせの電話、メール、SNSなどが時間を問わずにあったこと
4・経営のことをたえず考えさせられていたこと
等々で睡眠不足でした。
これでは心身とも不健康そのもので、
そこから解放されたのは大変、感謝なことです。
3)考えや感情にも節度を守れと修道院ではすすめます。
それは
・いきすぎた好奇心
・破壊的な野心
・どん欲
・嫉妬
・ねたみ
などは抑えなければならないからです。
そのために修道院では
・共同体形成
・チーム内の労働
・他者へのおもいやり
など配慮されています。
私たち普通のクリスチャンであれば教会での横の交わりは大変、重要なのです。
これがないと一方的な感情、妬み、悪口などが生じ、
教会形成が悪化していきます。
もちろんこのようなことが一切ない教会は最悪の教会なのです。