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2009-09-11 | weblog

田中清玄自伝

田中清玄 たなか‐きよはる
 
1906‐1993
昭和-平成時代の実業家。
明治39年3月5日生まれ。東京帝大在学中に共産党にはいる。昭和4年壊滅した党中央の再建にあたり、武装闘争を指導。5年検挙され、母の割腹自殺で転向。戦後、三幸建設などを経営。電産争議などで労働組合の切り崩しをおこなう一方、六○年安保では全学連に資金を援助。インドネシアのスカルノ政権打倒を支援した。平成5年12月10日死去。87歳。北海道出身。東京帝大中退。

(以上、コトバンクより引用)

知り合いの歯医者さんが田中清玄氏の熱心な信奉者で、上記ハードカバーの本が待合室の書棚に中森明菜「哀しい性」と共に燦然と輝いて置かれている。歯の治療で少しでも痛がると「ハイハイ、我慢して、我慢して、清玄先生は銃撃されても少しも痛がりませんでしたよ」とワケのワカラナイことを言う歯医者さんだった。さて、田中清玄氏は戦後、フィクサーとして政財界を中心に幅広い人脈を持ち、欧州の指導者たちとも親交があった。それは清玄氏が絶対主義的天皇制の国家観、反米、大アジア主義の世界観という確たる信念、思想を持ち、先見性があったからだ。そうでないと国内ならともかく外国、とくにヨーロッパの知識人には相手にされない。そして田中清玄氏ほど傑出した人物はもう日本には現れないだろうな。

 

陸自相浦 12日、銃携帯し佐世保市行進 労働団体など中止申し入れ

7日に同駐屯地を訪れた社民党などの代表者は「実弾が入っていなくても事故が起きないとは限らない。わざわざ市中で銃を持って威嚇的なパレードをする必要があるのか」と問いただした。同駐屯地幹部は「市民に自衛隊の真の姿を見てもらうために実施している。申し入れは司令に報告する」と答えた。

社民党などの代表者は同日、市に対してもパレード中止を要請するよう申し入れたが、末竹健志副市長は「安全に配慮され、商店街も協力的であることから、市としては中止を要請する考えはない」と応じた。

(以上、西日本新聞より)

「実弾が入っていなくても事故が起きないとは限らない」

ああ、社民党・・・メマイがする。