太った中年

日本男児たるもの

霊璽簿

2009-09-08 | weblog

 

「(靖国神社は)戦闘で死亡した殉難者だけを祭神とするのが原則なのに、戦犯として処刑された者までも『戦争で倒れた』という解釈で合祇している」

「当時の国家指導者たちは日本国民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。このことを強く訴えたい」

「この人たちは靖国神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英霊に値しないと考えている」

「靖国神社は『一度、合祀した御霊は分祀できない』と主張しているらしいが、霊璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」

(以上、小沢一郎 夕刊フジ「剛腕コラム」2005年10月21日より引用)

上記コラムには書かれていないが、靖国神社は天皇家のために戦って命を落とした者を弔うため明治天皇が始めたものだ。さらに明治憲法下では、先の大戦に至っても、お国のため=天皇家のため、官軍、軍隊=天皇家の私兵といった性格が強い。従ってご親拝(天皇家の参拝のこと)こそが靖国神社の本義である。そして問題は松永宮司の独断でA級戦犯を合祀して以来、ご親拝されなくなったことだ。これは富田メモによって明らかになった。鼻っぱしらの強い小泉さんが靖国参拝をして内外に問題を引き起こしたことからわかるように政治家の靖国参拝は政争の具となるだけで大した意味はない。麻生さんも言っていたが「靖国神社に天皇陛下が参拝できる環境を整えること」が政治家の仕事である。麻生さんは言うだけでなにもしなかった。小沢さんはA級戦犯の霊璽簿の抹消を「政権を取ったらすぐやる」と公言している。単に抹消しただけで再び今上天皇がご親拝するのか定かでない。しかし、なにもしないよりはしたほうがいい。なにもしなければ小沢さんに失望するだけよ。