一杯の水

動物であれ、人間であれ、生命あるものなら誰もが求める「一杯の水」。
この「一杯の水」から物語(人生)は始まります。

インドの絵本『シャンカラ物語』更新!

2006年04月09日 12時20分29秒 | HP更新日記
ヴェーダ諸聖典の祭祀・儀礼の意義を研究する『ミーマーンサー学派』の学匠、クマーリラやマンダナミシュラとの出会いが描かれます。

当ブログのメインサイト「Hinduism & Vedanta」からお入りください。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「荻窪の枝垂桜」 | トップ | 「便造\'sシアター」大公開! »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
出会ったのは分かったけど・・・ (吟遊詩人)
2006-05-03 01:34:31
色々な人と出会いつつ、旅をして回っているのは分かるんですが、あのシヴァが犬を連れて道を塞いでいる場面以外、ほとんど会話とか議論の内容が書かれていないんですけど。

そこが一番知りたいところなんですけど。



クマーリラ、火にあぶられて死んでゆくなんて・・・「もし」って言ったのがそんなに悪いことなの?

熱さを感じない境地に達していたからできたのかな?

それとも、罰って言っているくらいだから、苦しんだのかな?

インドの人は、火を浄化するものって思っているみたいだから、必要なことだったのかな・・・。



「もし」が悪いなら、私なんて、何百回? 何千回? 罰が当たりますね。

そんなの、なんかヤダだなぁ。
返信する
子供向けの絵本なので・・・・・・ (便造)
2006-05-04 10:16:29
議論の内容を簡潔に記すのは、やはり難しいでしょうね。

それに、クマーリラのところで、両者(シャンカラとクマーリラ)の見解の違いについて触れられているので、それを牽いた義論が行われたのでしょう。

詳しい議論は、『バガヴァッド・ギーター シャンカラ註』を読むといいかも。(←宣伝)



>クマーリラ

たぶんクマーリラ本人は誤解しているのだと思うのだけれども^^;、罰は「もし」に対してではなく、偽って仏教教団に潜入したことに対してではないでしょうか。

むしろ、本来死すべき状況が、ヴェーダの力によって軽減された、と私は考えているのですが・・・・・・。



また、火あぶりの件はクマーリラ自身が自分に課しているので、ある意味、問題はないともいえますね(^^)







返信する

コメントを投稿

HP更新日記」カテゴリの最新記事