3月下旬、スピーカーの修理に、「デノンラボ」から、Sさんがいらっしゃいました。
なんと、Sさんは、私が「ルネッサンス90」購入時に、ショップの方と一緒に自宅に届けて下さった方でした。
近くまで来て、そのときのことを思い出したとのこと。
スピーカーのセッティングがすみ、帰り際に、Sさんに「ショップが修理を受け付けなくなっても、私達の方に連絡をくださいね」との当時の温かい言葉を、私も覚えていました。
今回の修理は10分もかからずにすみました。
さすがに手際が良い!
恐る恐るCDをかけてみる。
アルテュール・グリュミオー弾く、ヘンデルの「ヴァイオリンソナタ」。
一聴なさって「響きがデッドだが良く鳴っている」と仰っていただきました。
さらに、「好みの問題だが、もう少しライブに鳴らすほうが良い。まぁ、それにしても良く鳴っている」とのお言葉で一安心!
最後に、「ルネッサンス90」は、「背面の鉄板とスポンジを取り外して聴くのがデフォルト」とのこと。
また、「可能ならば、もう少しパワーのあるアンプに交換したほうが良い」とのこと。
Sさんは、この3月で、退職なさるとのことでした。
長い間ご苦労様でした。
しかし、Sさんの退職で、今後「デノンラボ」には、古いスピーカーの修理ができる人はいない、ということになります。
さて修理代金は、背面のスポンジ代も含めて8万をちょっと超える程度でした。
修理から三ヵ月半、RCAケーブル交換から約一年。
やっと満足できる音になりました。
思えば、修理後、背面のボードを取り外してからの三ヵ月半、後一歩のところで音が決まらず、精神を消耗する苦難の日々でした。
スピーカーの内ぶりに始まって、仰角あわせ、CDプレイヤーの足回りの調節等々、音の透明度が高まれば、音に実在感がない、実在感を求めれば透明感が失われる。
透明であって実在感のある音色、豊かな音場の広がり、高温の伸びに低音の弾力、どれが欠けても満足できない自分には、ほとほと辟易しました。
自宅にいる時は、睡眠時を除けば、すべてをうっちゃってセッティングに掛かりっきりでした。
いや~、疲れました。
今は、音色にもう少し艶が欲しい気もしますが、何とか満足できる状態まで来ました。
いや~、ほんとに疲れました^_^;
これで、平凡な日常に戻れそうでホッとしております。
***************************************
なんと、Sさんは、私が「ルネッサンス90」購入時に、ショップの方と一緒に自宅に届けて下さった方でした。
近くまで来て、そのときのことを思い出したとのこと。
スピーカーのセッティングがすみ、帰り際に、Sさんに「ショップが修理を受け付けなくなっても、私達の方に連絡をくださいね」との当時の温かい言葉を、私も覚えていました。
今回の修理は10分もかからずにすみました。
さすがに手際が良い!
恐る恐るCDをかけてみる。
アルテュール・グリュミオー弾く、ヘンデルの「ヴァイオリンソナタ」。
一聴なさって「響きがデッドだが良く鳴っている」と仰っていただきました。
さらに、「好みの問題だが、もう少しライブに鳴らすほうが良い。まぁ、それにしても良く鳴っている」とのお言葉で一安心!
最後に、「ルネッサンス90」は、「背面の鉄板とスポンジを取り外して聴くのがデフォルト」とのこと。
また、「可能ならば、もう少しパワーのあるアンプに交換したほうが良い」とのこと。
Sさんは、この3月で、退職なさるとのことでした。
長い間ご苦労様でした。
しかし、Sさんの退職で、今後「デノンラボ」には、古いスピーカーの修理ができる人はいない、ということになります。
さて修理代金は、背面のスポンジ代も含めて8万をちょっと超える程度でした。
修理から三ヵ月半、RCAケーブル交換から約一年。
やっと満足できる音になりました。
思えば、修理後、背面のボードを取り外してからの三ヵ月半、後一歩のところで音が決まらず、精神を消耗する苦難の日々でした。
スピーカーの内ぶりに始まって、仰角あわせ、CDプレイヤーの足回りの調節等々、音の透明度が高まれば、音に実在感がない、実在感を求めれば透明感が失われる。
透明であって実在感のある音色、豊かな音場の広がり、高温の伸びに低音の弾力、どれが欠けても満足できない自分には、ほとほと辟易しました。
自宅にいる時は、睡眠時を除けば、すべてをうっちゃってセッティングに掛かりっきりでした。
いや~、疲れました。
今は、音色にもう少し艶が欲しい気もしますが、何とか満足できる状態まで来ました。
いや~、ほんとに疲れました^_^;
これで、平凡な日常に戻れそうでホッとしております。
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オーディオって、その繰り返し、そんな気がします。
新しいウパニシャッドの訳は、まだ読んでいませんでした。今までの分をときどき読んでいます。他のサイトで別なウパニシャッドを解説しているのを見つけて、それも並行して読んでいます。なんとなく、分かりかけてきたかな、そんな印象です。
それにしても、富や子供で何を得るものがあろうか、という思想が生まれたのは、いったいどういう理由だろうか、なんてそんなことを考えています。
音が決まれば決まったで、今度は、オーディオをいじれないのを寂しく思ったりしています^^;
我ながらあきれてしまいます。
私が翻訳している「イーシャー・ウパニシャッド」は、日本ではマイナーかもしれません。本当は「ブリハッド・アーラーニヤカ・ウパニシャッド」を翻訳したかったのですが、あまりにも長大なので、「イーシャー・ウパニシャッド」にしました。しかし、その短い中にも、シャンカラ独自の思想が見事に説かれていたので、今では結構満足しています。
「富や子供で何を得るものがあろうか」に関しましては、やはり、死が日常に溢れていたからではないでしょうか?
「無常ではない確かなもの」、それを求めざるを得ない敏感な人々が現れてきたのかもしれません。
ブラフマンやアートマンを説いている「イーシャー・ウパニシャッド」の最後(15-18詩句)が、死後の幸福を祈って終わるのも印象的です。
印象深かったのは、妻への遺言というところです。主人公であるヤージュニャヴァルキヤが出家するにあたって、二人の妻に財産分与の話をしたら、そのうちの一人が、もしもどんな富によっても不死性を得ることができないのであるならば、富は私にとって何の用があるでしょうか、それより不死性について、あなたの知っていることを私に教えてください、と懇願するところです。
そこでヤージュニャヴァルキアは、別れる妻に対してアートマンの不死性について説いてきかせる。
不死が最上の価値とされていた時代なんだろうか、不死が可能だと本当に信じていたのだろうか、そんなことを思いました。
死が日常に溢れていた、私もそう思います。
大人がばたばたと死んでしまうような社会。そういうことなら子供はそれ以上に簡単に死んでいったことでしょう。戦、疫病、貧困、そういう過酷な環境下だったら、富も子供も、それほど意味がなくなるのかも、なんて思いました。
だからこそ、不死を求めたと。
釈尊の出家の動機も、それじゃないか、不死を求めたのではないか、と思っています。経典にも、不死の門は開かれた、とかいうのがあったと思います。
ヤージュニャヴァルキアは、釈尊より100年以上前の人ということのようですが、その教えに釈尊も感化されていたのではないか、なんて思いました。
「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」を通読すると、なぜか「ブラフマンのみが実在」と思えてくるから不思議です。
しかし、現世にも引きずられている自分は、「不死」だけではなく「富」も欲しいと、どうしても思ってしまいます^^;
やはりブッダや解脱を求めた人々は、私などよりも、無常の苦を実感していたのでしょうね。
その実感が、彼らを「不死の門」の探究に駆り立てたのでしょう。
今は、そのような必死さを失った自分を残念に思います。
しかし、「不死の門は開かれた」と言う宣言は、静かなブッダが言うからこそのかっこよさであり、説得力ですね。
実は現在、オーディオ販売店はもとより、オーデイオ雑誌やオーディオ評論家と称する人たちに、全くの不審感を抱いてます。
理由はまた。
機会がありましたら、是非、評論家諸氏への不審の理由をお聞かせください。確かに、ショップや評論家の言葉をどこまで信用するかは難しいなぁ、と私も思っております。
自分は素人で彼等は専門家だ、という意識が抜けないもので^^;
以前、彼の発案による「逆回転レコードクリーナー」なるものを購入。しかし構造上全く使い物にならない代物でした。我慢ならずに、それを掲載していた「オーディオ○クセサリー」に投稿。
しばらくしてご本人から一通の手紙が来ました。
しかし、その内容ときたら「そうとも限らない。」の一点張り。理論的な反論は全くありませんでした。
再度、図面をひいて質問しましたが、以後音沙汰なしです。
オーディオ誌
相変わらず、メーカーの息がかかったり、高級品崇拝志向、新製品偏重の記事にうんざりしてます。
ここ数年は、オーディオ誌はほとんど立ち読みです。
いまさら当たり前のことですが、ケーブルを変えて音が変るのは、「癖がある」に他ならないと思います。
これを言い出すと、変える前に癖があったのか、後に癖があったのか、はたまた両方に癖があるのか、またまたジレンマに陥りますが。(汗)
やはり、ケーブルも基準になる「デフォルト」が必要だったんだなと痛感している次第です。
江○氏の件は腹立たしい限りですね。
自分が製作販売したものなら、キチンと責任を取ってもらいたいものです。せめて返金はして頂いたのでしょうか? 今年の「オーディオ○クセサリー 夏号」に江○氏の次のような発言が載っていました。
「かつては、『太くて』短い線が良いと言っていたが、最近は、『細くて』短いオーディオケーブルへと主旨が変わってきた。かつての読者の皆さんには申し訳ないことをしたようだ。」
これを読んだ時には「なんだかなぁ」と思いました。
評論家にも引退は必要ですね。
最近気になっている評論家は「山本浩司」氏でしょうか。あまりにも素人っぽくて、「嘘でもいいからもっと説得力のある文章を書かんかい!」と言いたくなります^^;
>オーディオ誌
私もR90導入以来、オーディオ雑誌はほとんど読まなくなりました。でも、さすがにスピーカーから煙が出たときには、「次」を考えざるを得なくなったので、何冊か購入しました(^.^)
あ、ここ一年近く「HiVi」は購入しています。次世代プレーヤーとHDアンプの情報が欲しいもので。
>ケーブルの癖
もろもろのケーブルの癖がうまくマッチして、自分の好みの音になれば良いのですが、茨の道ですね。
べっつさんは、「デフォルト」となるケーブルが見つかったようで羨ましい限りです(^^)v
80にしました.我が家ではちょうど良い大きさです.
特に弦の響きがクリアーです.