あれから1年、ということで皆それぞれあの時を振り返っていると思います。
あの時感じなかった怒りが今になって湧き出す、そんな人も。
あれだけ大きな災害が1年できれいになるわけがない。
人間ができる力というのはそんなものだと思います。
ワールドトレードセンターの復興を見た人なら感じるよね?
大阪の震災を経験した人もそう感じているかもしれない。
宇宙に行ける技術があるのに、
最先端な戦闘機を作る技術があるのに、
破壊されたものを片づける技術や能力は劣っている。。。
たぶん、こちらの方が高度で難度の高い能力を要するのだと思います。
今回改めて、こんな大きな災害が起きた時、考え方を切り替えなければいけないのではないだろうか?と思います。
たとえば義捐金の使われ方。
すぐに手元に届いて欲しい思いと裏腹に数か月後にやっと届いたお金。
お金は手元にすぐ届かなかったけど、支援物資が届いてほっとしましたが。
そのすぐに届かないお金なら、その使い方を別のものに使うという案。
赤十字だけでも義援金が二千億円集まった。 全募金を(正しく申告していれば)合わせれば1兆円近くあるのかもしれない。
だけどそれを被災した一人一人に配ってしまえばそのお金が果たせることは限られてしまう。
一時金をもらっても何もできない時間が残り、お金がパチンコに消え、暇つぶしの為に消え、
次につながるものへ使われたお金がどれだけあったのか?
本当は個々に配られるより、まとまったお金を集落ごと移転できる広い新転地を買うことができたのではないだろうか?と思います。
すぐにお金が欲しい人から反発がくるかもしれないけど、
少ないお金を出し大きなお金にしたものからすればそのお金が生きた使われ方をして欲しかったと思うのが正直な気持ち。
ただし、それには非常事態の法令が宣言されなければうまくいかないだろう。
なぜなら今の法律により邪魔され、結局時間だけが無駄に過ぎていくだけ。
資本主義社会は大きな事変には壁となっている。。。
国が短期でまとまった土地を手に入れる事も大変だ。
法律により個人の財産も守られているし、高値で引き取れば限られた予算が底をつく。
まとまった土地を手にできなければ復興だってままならない。
これだけの災害規模が再び起きた時、果たして私たちは冷静でいられるだろうか?
先日TVで見た高台候補地の現状。
それは候補地に遺跡があることが判明し、それにより高台移転ができない事になったというもの。
先祖は子孫繁栄の為にと生き延びたのに、私たちの作った法律によって先祖の意思に反した行動をしている。
ばかげてないだろうか? 一体私たちの社会は何なんだ?
ご先祖様は墓を守って欲しい為に死んだ? 違うよね。
子供達が平和で健やかに人生を過ごして欲しいと願ったんじゃない?
人によっては元の場所に戻りたがる人もいるけど、
多くの人は他にいけないから残るのだと思う。
だけど、ご先祖様が神社等の建設により津波から逃れられる境界線を築いてきたのと同じように、
生き残った人達は今回の津波から逃れられる安全地へ新居を構えるべき。
法律がご先祖様の意思に反するならそれを変えるべきでは。
そうでなければ将来の子孫達にどう説明するのだろう?
数百年前の先祖は安全地帯を教えてくれたのに
平成23年に生きのびた祖先は津波に襲われた場所に再び新居を構え、
何故子孫に再び危険な目に合わせたのだろう?。。。そう思うのではないだろうか?
平成23年の先祖となる私たちが後世に残すものが恥でないものにしてほしいと思います。。。