コロナ感染拡大禍による人類生存の危機、そして地球温暖化によると思われる自然災害の多発、自民党政権の無責任運営と緩み(元法相夫妻の収賄事件、IR汚職疑惑、前首相の公私混同と説明不足、官僚の隠ぺい・文書改ざんや廃棄など)、コロナ感染防止収束の見通しの無さ、経済情勢の低迷衰退、原発代替エネルギーの開発遅滞、沖縄の基地移設の難航、東日本大震災後の復興、加えて外交面では韓国との関係修復、北方領土帰属交渉や南北朝鮮及び米朝会談の途絶、トランプ前大統領の弾劾裁判のゆくえと米国社会の分断、米中の貿易戦争、欧州から離脱した英国の混迷等々すべて政治情勢と内外経済の先行き不安・不透明感が暗雲の如く覆っている。この不確実な時代に思考の拠り所として司馬遼太郎の『この国のかたち』そして『司馬遼太郎が語る日本』を再読した。◆『近頃、頼りなさそうな、かげろうのような青年が増えてきたような気がします。はたして立派な市民として将来やっていけるのだろうか。日本全体の電圧が低下してるのでしょうか』(1993年)◆『すぐれた人間というのは、金儲けができる人ではありません。よく働くことも結構ですが、そういうことでもない。やはり魂のきれいな人ですね』(1994年)◆『日本の経済力はだんだん衰えていきます。これからは親切が必要ですね。日本は人に親切にする国なんだということ以外に生きていく道はないと、最近よく考えます』(1995年)など、今から26~28年前の語録だが菅内閣による国家運営が進展しない要因等も透けて見える、さらには教育の充実化も予見、司馬遼太郎氏の洞察の凄さに感じ入る。きょうの楽しかったことは、○家人と連れ立ってエトレ(ヘアサロン)でヘアカット、くつろぎタイムがとれたこと、○動画配信『パピヨン』(米2019年 作家A・シャリエールの実体験に基づく小説の映画化リメイク版。孤島に送られた終身刑囚の脱獄劇を描いた作品)過酷なシーンが次々と描かれ実話に基づいているだけに一層の迫真さがあること、○消毒液、3密回避をきっちり区分しているすし萬で会食、美味しかったことだ。(10,550歩)
「まさかそんなことはないだろう」と楽観して運転していると事故を起こす確率が高くなる。「かもしれない」運転はいつも万一に備えて事故を回避できる走り方をするので、他車あるいは他者から「事故られる」あるいは「事故に巻き込まれる」のを防ぐことができる。要するに「自己防衛の心得」と自分が事故を起こす第一当事者にならないようにする「加害回避の心得」の二つを知っておく必要がある。つまり、◆“自己防衛の心得”とは(1)後方からのあおりや、強引な割り込みによる接触事故や追突事故を避ける方法は、絶えずバックミラーとサイドミラーで後方の車の動きを見る。ハザードランプで車間距離を取り暗黙のメッセージを送る、割り込みは許す、喧嘩はしない。(2)直前右折への警戒:地域の特性を考えて、絶対に気をゆるめない。(3)追突されるのを防ぐ策:必ずハザードランプを点けて、後方の車に注意を呼びかけ、もう一車線があれば車線変更をして逃げる。(4)玉突き事故に巻き込まれないための心得:必ず2~3台先の車の動きと後続車との車間距離に注意して走る。そして、◆“加害回避の心得”とは(1)ナビを極力使わない:現実の前方や後方の車への注意力が散漫になる。事前に地図で道順をしっかりと頭に入れて走るほうが適度な注意力を保てる。(2)毎日運転する:毎日使うと神経や筋の機能を高められる。(3)見通しの悪いカーブや角では最徐行あるいは一時停止をして目を前に寄せて安全を確認しながら進む。(4)歩行者、自転車に対する警戒:「想定外」の事態に対する「危険予知」を行なう。想定外を想定するとは絶えず感覚を研ぎ澄ませ「起こるかもしれない」事態を瞬時に予測する想像力・思考力を働かせることだ、肝に銘じておく。きょうの楽しかったことは、○高槻市Sクリニックでの定期健診、無事に終えたこと、○動画配信『シーラーズの9月』(米2015年 革命下のテヘランで富裕なユダヤ人実業家が不条理な中で妻と共に正義と自由のために闘う姿を描く過酷な作品)突然の投獄や激しい拷問を受けても家族のために闘い抜いたこと、○特製餅入り豚汁、おいしかったことだ。(11,260歩)
昨日、読了した司馬遼太郎著「この国のかたち⑤ 1995」に日韓問題を解くカギ?がありそうだ。李氏朝鮮(韓国・北朝鮮)の知識人(姜ハン)の日本滞日記録である『看羊録 1600』を例に挙げて、歴史的に引き継がれている朝鮮の潜在的日本観について記述、以下に記す。「儒教は華夷の差に過敏である。文明(華)の基本は礼で、野蛮には礼がない(朝鮮は文明であり、日本は野蛮)ということだ。朝鮮儒教ではとくにこの差別がきびしく、たとえば人というのは儒教文明圏に所属する者を言い、他はそうではなく一種の人間、ときに動物のようでもある。『看羊録』では、日本人については人とよばず、倭とよぶ。むろん倭とは日本の古い国名・民族名のことながら、『看羊録』で使われているこの用語は蕃という語感で、蕃は人に似て人とは言いがたい。こういう措辞は、18世紀の朝鮮通信使の申維翰の「海游録 1719」にもあり、日本をそのようにみる型はその後も存在、今も韓国・朝鮮の人たちはそう思っているのではないかと。つまり、理屈理論ではなく民族的視点からアプローチする必要がありそうだと。きょうの楽しかったことは、○終日の雨だったが朝と夕のウォーキングで日課歩数を達成したこと、○動画配信『アグネスと幸せのパズル』(米2018年 主婦のアグネスが(ジグソーパズルとパズル王者と出会い)夢中になれるものを見つけたことで 平凡な毎日を送っていた彼女が人生の目的を見いだしてゆく物語)一度っきりの人生、思うがままに生きることだと示唆されたこと、○3日連続の特製豚汁、味わい深くなって美味かったことだ。(10,650歩)
時間の長短観念の体感仮説を考えてみた、以下の通りだ。第1期(誕生~20歳の生育期間)20年間の長短の体感は実質時間の5割増し(20年間×150%)。つまり、30年間相当と長く感じてしまう、時間は永遠と錯覚してしまう時期だ。第2期(21~40歳の経験期間)この20年間は実質時間通りに推移する。つまりは20年=20年間、ただ日々に時間の足りなさを感じてくる、焦ってしまう時期でもある。第3期(41~60歳の成熟期間)の20年間は、前期の八掛け(20年間×80%)の16年で20年間が過ぎ去ってしまう、“光陰矢の如し”的体感だ。そして、第4期(61~80歳の熟成期間)20年間は同じく前期比八掛け(16年間×80%)の約12年間、つまりは1.6倍速(1年間=7カ月程度)の超スピードで過ぎる。まさにあっという間だ。そうすると第5期(81~100歳の達観期間)20年間は倍速(=10年間)かもしれない。当然ながら、時間の長短の感覚は一人ひとり異なる。その人を取り巻く環境や事情及びその時々の心理状態等々によっても大きく異なることは百も承知で仮説を論じた。やはり、Y(やってみよう)A(ありがとう)N(なんとかなる)A(ありのままに)の生き方に徹したい。きょうの楽しかったことは、○「この国のかたち➄」読了したこと、○動画配信『グンジャン・サクセス 夢にはばたいて』(インド2020年 インド空軍初の女性戦闘機パイロットの実話にもとづいた作品)性差別を乗り越えたサクセスストーリーに感動したこと、○リクエストに応じてくれた家人特製の豚汁、おいしかったことだ。(11,510歩)
「伝統と現代」(文化講演会CD講師:山本七平氏)を聴きながらのショッピング・ドライブ、面白い話が語られた。つまり、人間はすべて平等な生き物なんだという。その判断期間は、前世・現世・後世の三世を通しての“平等”なのだと。現世で見えて実感できる現実社会では不平等・不公平なことばかり生じている。が、それは現世の期間のみで見ているからだという。例えば、前世でプラス(よろこび)の出来事と多く出合えば、現世ではマイナス(悲しみ)が多々生じて後世にはそれぞれの行き過ぎた歪みの調整がなされるという訳だ。小生の宗教観は浅く未熟だが、この説には我が意を得たりだ。そうでないと、戦争に巻き込まれた大正~昭和ひとケタ世代の父や母の艱難辛苦だけの生涯を全うした人たちと戦争を知らない子供たちのわれわれ世代の物質的に恵まれた生活との比較においてはあまりにも不公平極まりない。このアンバランスが彼らの前世、あるいは後世で調整されているのだと思えば、なにがしかの罪悪感は消え去る思いだ。きょうの楽しかったことは、○山本七平氏の講演内容でずいぶんと気持ちが楽になったこと、○動画配信『デンジャー・ゾーン』(米2021年 戦争が続く近未来の世界。紛争地帯へと送られたドローン操縦士が軍の最高機密であるAIの上官と核攻撃を阻止するための危険な作戦に挑む空想戦争映画)AIに対する共生有無が人類の課題と暗示されていること、○昼食はカツ丼、うまかったことだ。(11,070歩)