アフリカ大陸の真ん中の国
コンゴ民主共和国
その国の4人の子のお母さん
アナタシアさん(30)は
BBCのインタビューで次のように語っている
「突然、わたしの家のそばで、
戦闘が始まりました。
午前3時ころのことでした。
銃弾が行きかい、あちこちで爆発が起こり、
人々が死んでいるのを見ました。
それを見て、わたしは確信しました。
今すぐ逃げなければ、
わたしたちも死んでしまう。
夫とわたしは子どもたちを抱いて、
家から逃げました。
まったく時間はありませんでした。
なんの仕度もできず、
わたしたちは、すべてを置いて逃げ出しました。
真っ暗な中、ゴツゴツした路を、
夜通し歩いて、キャンプにたどり着きました。
何一つ持ち出せなかったけど、
家族がみんな無事だったので、
神様に感謝しました。
でも、それからの暮らしは、とても過酷でした。
わたしたちは、雨の中、外で寝泊りし、
援助隊の人たちは、
『もうすぐ食料が届く』と、いつも言っていましたが、
結局、一度も届いていません。
それで、夫は、街まで働きに行きました。
そこで稼いだお金で、わたしや子どもたちに、
食べ物を買って来てくれるはずですが、
いまだに帰ってきません。
もう、本当に何もないのです。
すべてを置いて来てしまいました。
わたしは、仕立て屋をしていて、ドレスを作っていました。
でも、もう、そんなのは過去の話です。
とても大切なミシンも、家に置いてきました。
それも、盗まれてしまっては、
もう、「仕立て屋」などとは言えません。
今、わたしが、怖いのは、病気です。
ここでは、みんなが、とても近くで、密集して暮らしていますから。
もう一つは、レイプです。
兵士は、女性たちをレイプします。
そして、ほかの男たちも、
わたしたちをレイプします。
もし、わたしが、誰かにお願いできるとしたら、
平和の仲介をお願いします。
まず、平和です。
今すぐにでも、ここを出て、
自分たちの家で、子どもを育てたいのです。
まず、平和なんです。」
1994年
4月からの100日間に
80万人ものツチ族とフツ族の穏健派が
フツ族過激派に虐殺された
その後
ツチ族を中心に結成されたルワンダ愛国戦線は
ルワンダを奪還
制圧に成功
ルワンダに平和をもたらした
さらに
ルワンダ愛国戦線は
ルワンダとツチ族の治安を守るため
国外へと逃げたフツ族過激派を追撃
隣の国
コンゴ民主共和国へと軍隊を送る
それをきっかけの一つとして
石炭
鉄
銅
ダイヤモンド
マグネシウム
タングステン
コバルト
ウラン
その他
現在の先進国社会を支えている
タンタル・コルタンなどの希少金属を有する
世界トップクラスの資源大国である
コンゴ民主共和国の富を求めて
周辺各国がコンゴへ派兵
「第一次アフリカ世界大戦」と呼ばれる戦争へと発展
1998年から2002年までの5年間に
戦闘と
それによって引き起こされた飢餓
病気などで
300万人とも400万人とも言われる人々が死んだ
その後
和平が結ばれ
2006年
史上最大級の国連平和維持軍の監視のもと
大統領選挙が行われたが
ルワンダ愛国戦線の幹部で
国連安保理制裁委員会が指定した制裁対象者でもある
ローラン・ンクンダ将軍などは
現在でも
ルワンダ国境付近のコンゴ民主共和国
東部で
コンゴ政府に対して反政府活動を展開
戦闘を繰り広げている
そんな戦闘の中
ウィマナさんも
エマニュエルくんと
その他の子どもたちをつれて
この金曜日に
この難民キャンプにたどり着いた
ウィマナさんにとって
これは
この1年余りの間の
17回目の難民生活だった
エマニュエルくんは
その直前まで
病院に入院していたが
危険は
そこにも迫ってきた
ウィマナさんは仕方なく
エマニュエルくんを連れ出し
安全を求めて
このキャンプへたどり着いた
だが
たどり着いたこの場所には
住む場所も
食べ物も
そして
水さえなかった
今でも
ウィマナさんたちは毎夜
野外で眠る
ウィマナさんには
エマニュエルくんを含めて
5人の子どもがいる・・・はずだった
しかし
この朝
エマニュエルくんは
1年
お母さんやお姉さんたちと生き
そして
食べ物がないために死んだ
子どもの埋葬のために掘られた小さな穴に
エマニュエルくんは
お母さんに見守られて
葬られた
その場所には
小枝とバナナの葉で作られた
小さな十字架がたてられた
今
コンゴ民主共和国では
戦闘
暴力
貧困
栄養失調
そして
医療の不足により
毎月
4万人以上が死んでいる
その半数が
5歳未満の子どもたちだ。
-------------------
関連リンク
BBC
Congo eyewitness: 'I saw them die'
4 November 2008
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7708329.stm
BBC
Photojournal: Tragedy in DR Congo
http://news.bbc.co.uk/1/shared/spl/hi/picture_gallery/08/africa_tragedy_in_dr_congo/html/1.stm
日本・外務省
国連安保理制裁委員会が指定した制裁対象者リスト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/congomin/taisho_list.html
-------------------
mixi内『世界の肖像』コミュニティの内容に
若干の編集を加えて転載しています
http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&id=36909910&comm_id=1808806
無知は罪だと思う
コンゴ民主共和国
その国の4人の子のお母さん
アナタシアさん(30)は
BBCのインタビューで次のように語っている
「突然、わたしの家のそばで、
戦闘が始まりました。
午前3時ころのことでした。
銃弾が行きかい、あちこちで爆発が起こり、
人々が死んでいるのを見ました。
それを見て、わたしは確信しました。
今すぐ逃げなければ、
わたしたちも死んでしまう。
夫とわたしは子どもたちを抱いて、
家から逃げました。
まったく時間はありませんでした。
なんの仕度もできず、
わたしたちは、すべてを置いて逃げ出しました。
真っ暗な中、ゴツゴツした路を、
夜通し歩いて、キャンプにたどり着きました。
何一つ持ち出せなかったけど、
家族がみんな無事だったので、
神様に感謝しました。
でも、それからの暮らしは、とても過酷でした。
わたしたちは、雨の中、外で寝泊りし、
援助隊の人たちは、
『もうすぐ食料が届く』と、いつも言っていましたが、
結局、一度も届いていません。
それで、夫は、街まで働きに行きました。
そこで稼いだお金で、わたしや子どもたちに、
食べ物を買って来てくれるはずですが、
いまだに帰ってきません。
もう、本当に何もないのです。
すべてを置いて来てしまいました。
わたしは、仕立て屋をしていて、ドレスを作っていました。
でも、もう、そんなのは過去の話です。
とても大切なミシンも、家に置いてきました。
それも、盗まれてしまっては、
もう、「仕立て屋」などとは言えません。
今、わたしが、怖いのは、病気です。
ここでは、みんなが、とても近くで、密集して暮らしていますから。
もう一つは、レイプです。
兵士は、女性たちをレイプします。
そして、ほかの男たちも、
わたしたちをレイプします。
もし、わたしが、誰かにお願いできるとしたら、
平和の仲介をお願いします。
まず、平和です。
今すぐにでも、ここを出て、
自分たちの家で、子どもを育てたいのです。
まず、平和なんです。」
1994年
4月からの100日間に
80万人ものツチ族とフツ族の穏健派が
フツ族過激派に虐殺された
その後
ツチ族を中心に結成されたルワンダ愛国戦線は
ルワンダを奪還
制圧に成功
ルワンダに平和をもたらした
さらに
ルワンダ愛国戦線は
ルワンダとツチ族の治安を守るため
国外へと逃げたフツ族過激派を追撃
隣の国
コンゴ民主共和国へと軍隊を送る
それをきっかけの一つとして
石炭
鉄
銅
ダイヤモンド
マグネシウム
タングステン
コバルト
ウラン
その他
現在の先進国社会を支えている
タンタル・コルタンなどの希少金属を有する
世界トップクラスの資源大国である
コンゴ民主共和国の富を求めて
周辺各国がコンゴへ派兵
「第一次アフリカ世界大戦」と呼ばれる戦争へと発展
1998年から2002年までの5年間に
戦闘と
それによって引き起こされた飢餓
病気などで
300万人とも400万人とも言われる人々が死んだ
その後
和平が結ばれ
2006年
史上最大級の国連平和維持軍の監視のもと
大統領選挙が行われたが
ルワンダ愛国戦線の幹部で
国連安保理制裁委員会が指定した制裁対象者でもある
ローラン・ンクンダ将軍などは
現在でも
ルワンダ国境付近のコンゴ民主共和国
東部で
コンゴ政府に対して反政府活動を展開
戦闘を繰り広げている
そんな戦闘の中
ウィマナさんも
エマニュエルくんと
その他の子どもたちをつれて
この金曜日に
この難民キャンプにたどり着いた
ウィマナさんにとって
これは
この1年余りの間の
17回目の難民生活だった
エマニュエルくんは
その直前まで
病院に入院していたが
危険は
そこにも迫ってきた
ウィマナさんは仕方なく
エマニュエルくんを連れ出し
安全を求めて
このキャンプへたどり着いた
だが
たどり着いたこの場所には
住む場所も
食べ物も
そして
水さえなかった
今でも
ウィマナさんたちは毎夜
野外で眠る
ウィマナさんには
エマニュエルくんを含めて
5人の子どもがいる・・・はずだった
しかし
この朝
エマニュエルくんは
1年
お母さんやお姉さんたちと生き
そして
食べ物がないために死んだ
子どもの埋葬のために掘られた小さな穴に
エマニュエルくんは
お母さんに見守られて
葬られた
その場所には
小枝とバナナの葉で作られた
小さな十字架がたてられた
今
コンゴ民主共和国では
戦闘
暴力
貧困
栄養失調
そして
医療の不足により
毎月
4万人以上が死んでいる
その半数が
5歳未満の子どもたちだ。
-------------------
関連リンク
BBC
Congo eyewitness: 'I saw them die'
4 November 2008
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7708329.stm
BBC
Photojournal: Tragedy in DR Congo
http://news.bbc.co.uk/1/shared/spl/hi/picture_gallery/08/africa_tragedy_in_dr_congo/html/1.stm
日本・外務省
国連安保理制裁委員会が指定した制裁対象者リスト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/congomin/taisho_list.html
-------------------
mixi内『世界の肖像』コミュニティの内容に
若干の編集を加えて転載しています
http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&id=36909910&comm_id=1808806
無知は罪だと思う
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます