マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑥ 3日目──荒崎海岸の「ひめゆり散華の跡」
ひめゆりの塔でのちょっとした休憩を終えて、再び摩文仁方面に向かいます。少し走っただけで米須の信号があり、そこを右折して県道223号線に入ります。道なりに進めば間違いなく荒崎海岸へ行...
マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑦ 荒崎海岸でのちょっとしたハプニング①
「ひめゆり散華の跡」を探し当てご満悦状態でした。観光客は全くおりません。地元の人とかも周囲にはおらず、独りぼっち状態です。右手の喜屋武岬方面から左手の摩文仁方面まで一望できますが、...
マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑧ 荒崎海岸でのちょっとしたハプニング②
女の先生が生き残っていた事実はない、といったお話の続きです。 戦跡の説明について、これまでは簡単にしかしませんでしたが、...
マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑨ 那覇へ帰ります
遠くで取材が続いている中、自分は運転手さんたちに別れを告げて、再びマウンテンバイクで走りだしました。県道から米須の国道331号線に戻って、ひめゆりの塔へ続く道路の反対側、摩文仁の平...
マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑩ 那覇でのプチミラクルな再会
那覇に到着しましたから、マウンテンバイクの旅はこれで終わりです。 友人が住んでいるアパートの前には児童公園というか、...
いいかげんなテレビ番組だなぁと思う瞬間 ニコライ堂と東京大空襲
「林修のニッポンドリル」という番組は見てますか? 関東だとフジテレビ系列で毎週水曜日の夜に放送しているテレビ番組です。2月6日に放送...
1990年代の沖縄旅行 野郎三人瀬底島
沖縄県北部にある瀬底島の瀬底ビーチというところです。1990年代中盤の頃ですから、もう20年以上も前になりますね。自分が20代中盤の頃でもあります。...
渡嘉敷島の集団自決 言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」①
赤松大尉の「自決命令」から「軍の強制」への方針転換 「ふざけたタイトルをつけつけるな!不謹慎だ!訂正しろ!謝罪しろ!」とお怒...
渡嘉敷島の集団自決 言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」②
「日本軍は悪いことをした」という「信念」の弊害 日本の戦争責任を追及する人たち、あるいは組織団体が「具体的なものから抽象的なものへシ...
渡嘉敷島の集団自決 言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」③
「自決命令」から「軍の命令」へシフトした瞬間 前回まで「自決命令」→「軍の命令」→「軍の強制」という...
- 1990年代の沖縄旅行 マウンテンバイクでほぼ縦断編(10)
- 1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り編(15)
- 1990年代の沖縄旅行 「ひめゆり」戦跡巡り編(19)
- 1990年代の沖縄旅行 いろんな場所編(29)
- 渡嘉敷島の集団自決 言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」(6)
- 渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」(17)
- 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い(29)
- 渡嘉敷島の集団自決 公式見解としての「渡嘉敷村史 通史編」(5)
- 渡嘉敷島の集団自決 その他(13)
- いろんな歴史いろんなミリタリー(65)
- 沖縄タイムスの持続化給付金不正受給(11)
- いろんなこと日記(87)
- 新型コロナウイルスについて(43)
- 沖縄の基地問題について(39)