空と無と仮と

マウンテンバイクでほぼ縦断 その⑨ 那覇へ帰ります

遠くで取材が続いている中、

自分は運転手さんたちに別れを告げて、

再びマウンテンバイクで走りだしました。

県道から米須の国道331号線に戻って、

ひめゆりの塔へ続く道路の反対側、

摩文仁の平和祈念公園方面に向かいます。

 

その時は糸満市→八重瀬町→東風平町→南風原町→那覇市といった、

前日と同じ沿岸部の糸満市街を通らないで、

いわば内陸部を通っていこうと決めていました。

同じルートはなんかつまらないし、

遠回りだとしても大した距離ではありません。

那覇までは2~3時間で到着する距離ですから…

もちろん車じゃなくマウンテンバイクですけどね。

 

その途中にある平和祈念公園で昼食をとります。

現在はありませんが、

当時は公園の敷地内に比較的大きなレストランがありました。

公園入口からみて左側、大型バスの駐車場あたりだったかな?

入口の近くだったと思います。

建物自体は昭和のドライブインみたいな雰囲気ですね。

平和の礎が完成する前の話ですが、

名前がどうも思い出せないんですよね…

「平和食堂」とか「平和園レストラン」だったか、

はたまた全く違う名前だか…まぁ、いいや。

 

どういうわけか、

平和祈念公園で昼食をとろうとした場合、

そこの焼肉定食ばっかり食べていたんです。

今でこそ有名なアグー豚を食材にしていたわけでもなさそうですし、

これといって特別なものでもありませんし、

いたって普通の焼肉定食でしたよ。

ご当地グルメなんか無関心なバカ舌ですけど、

なんか旨かったんですよね。

ちなみに、ひめゆりの塔の向かい側にあるレストランは、

てんぷら定食が旨かった!

ま、超個人的見解だから参考にならないです。

 

食べ物のことを書いていたら思い出した話があります。

今回のマウンテンバイク旅行とは別の機会なんですけど、

沖縄の友人の友人とで夕食をともにすることになりました。

その友人の友人の話によりますと、

食用菊の栽培をしていた関係で農協か何かの研修旅行で東京に行ったとき、

東京の沖縄県人会の人たちと懇親会みたいなものを、

新宿の歌舞伎町で開催したようなのです。

しかし開催場所が沖縄料理店だったみたいで、

「なんで歌舞伎町まで来て沖縄料理を食わなきゃいけね~んだよ!」

と本気で文句を言っていたのを覚えています。

たしかに当時は1軒ほどありましたね。

 

なんか笑っちゃいますけど、

そりゃそうだよなぁ~

東京に来た秋田の人にきりたんぽ出すようなものですし、

栃木だと餃子食わせるようなもんですからねぇ…

ま、よもやま話ということで…

 

さて、お腹いっぱいになったことだし、

あとは一路那覇へ戻るだけの行程です。

平和祈念公園をあとにして、

国道331号線を知念半島方面へと向かいました。

午後3時ぐらいだったと思います。

 

やっぱりメインはひめゆりの塔と平和祈念公園なのでしょうか、

ここら辺に来ると観光バスは少なくなってきますね。

 

具志頭地区まで進むと交差点があり、

国道507号線が那覇方面へと続きますので左折します。

この国道507号線はほとんどまっすぐで、

道なりに行けば必ず那覇市に行くことができますから、

慌てずゆっくりとしたペースで進むことにしました。

それに南部周辺は以前から、

レンタカーや友人の車でグルグル戦跡巡りをしておりましたので、

地図がなくても迷うことはありません。

仮に迷ったとしても、いつかは那覇に着けますね。

 

八重瀬町は当然集落地もあるのですが、

だいたいは畑の中を走っていました。

これといって観光名所もありません。

玉泉洞はあるけど全くの別方向でした。

幹線道路のようだから車はひっきりなしですけど、

それを除けばどことなくのどかな風景でしたね。

それと、沖縄に限らず日本全国のことではあるでしょうが、

今では畑の中を走ったりすると必ず、

作物の代わりに太陽光パネルが設置されていますね。

地元である栃木県もそうです。

でもこの当時はパの字もありませんでした。

 

東風平町に入ると畑より住宅地のほうが多くなります。

どこかはもう忘れてしまいましたが、

高台にあるような普通の公園で休憩し、

その眺めをただただ満喫していたのですが、

犬を連れた地元のおっちゃんと話をしたことだけは覚えています。

宜野湾のちびっこ同様、

やっぱり1990年代の頃は珍しかったのかなぁ…

南部周辺でも、

自分と同じような自転車乗りには一度も出会いませんでしたね。

もちろん、地元の人はチャリンコ乗ってましたよ、

念のため。

「アンタみたいなガッツのある人、好きだから」と声をかけてくださりました。

たとえお世辞であっても嬉しいですね。

 

自分は基本的に人見知りというヤツです。

だから知らない人へ積極的に話しかけることができません。

でも迷ったりとか場所がわからない時なんかは、

だれかれ構わず聞くことにしています。

といっても、みんな大人の人ですけどね。

ヘタに子供たちに声をかけようもんなら、

不審者扱いされてもおかしくはないですからね。

それは今も同じだと思います。

それどころか不審者情報として、

スマホあたりでパァーっと拡散されてしまいますから。

 

でも、声をかけていただいた方には、

ちゃんとした返事というか、

面倒くさがらず交流することを常に心がけております。

今回のような犬を連れたおっちゃんとの会話みたいな時は、

たとえ他愛ないものでも、

同じことを繰り返していても、

知ったこっちゃないその人の身の上話であったとしても、

マシンガントークで倒されそうになっても、

常に聞き役に徹することにしています。

ま、時々合いの手のような返事はしますけどね。

飽きないんですよね、じっくりゆっくり聞いてみると。

これも旅の楽しみの一つなんですよね。

 

自分はよく一人旅をいたしますが「寂しくないの?」って聞かれることがあります。

いやぁ~寂しくなんてありませんよ。

一人がゆえに、

赤の他人と交流しなければならないことがしょっちゅうですからね。

それはそれで楽しいです。

 

南風原町になるとますます住宅地が多くなり、

那覇に近づいていることが実感されます。

実は八重瀬町や東風平町には有名無名の戦跡があり、

ここ南風原町にも「ひめゆり」ゆかりのものがあるのですが、

このマウンテンバイクの旅では立ち寄っていません。

別の機会でブログに載せようと思っています。

 

津嘉山あたりまでくると国道507号は国道329号線と交差しますが、

自分はまっすぐ進みます。 

ここはもう那覇市なんですよね。

 

今日は沖大の近くに住む友人のアパートに、

マウンテンバイクを保管してもらうため、

ここからはとりあえず沖縄大学を目指すルートです。

具体的にどういうルートで行ったかは、

これまた思い出せないんですが、

くねった上り坂が多かったような気がします。

地元の人には当たり前の光景かもしれませんが、

そこから見下ろす景色はよかったですね。

 

そして沖大の近くにあるかの有名な、

いや知る人ぞ知るかな?

24時間営業のやんばる食堂を通り過ぎて、

この旅の最終目的地である友人のアパートへと到着しました。

午後6時ぐらいだと思います。

まだまだ明るい時分でした。

 

二泊三日の行程は異常な日焼けかたをしたけれど、

とりたてて事故もなく怪我もなく病気もなく、

おかげさまで無事に終了することができました。

 

目的地に着いたけど、

もう少しのエピソードがありますので次の機会に…


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