空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 軍事オタクが読む不思議な証言③

不可解な一致


前回は九十七式手榴弾の操作手順に間違いがあることを指摘しました。

「ネジを締めなきゃいけない」という、本来なら絶対にありえない操作手順であることも説明しましたが、実は似たようなことが書いてある資料というものが唯一存在しますので、それを以下に掲示します。

「(1)九七式(1937年)破片手榴弾(fig.197)は、すべての前線部隊が携行する。基底部に推進付属品の設備がなく、信管の遅延時間が短いことを除けば、九一式とほぼ同一である。擲弾筒からは発射できない。
(2)特性(中略)
(3)作動。(a)安全装置の外し方。安全栓をかけたまま、撃針を行き着くところまで撃針ホルダーにねじ込む。(b)投擲。信管を下向けにして手榴弾を持つ。安全栓を抜き、安全カバーが離れ落ちないことを確認する。手でガス抜き孔を塞がないようにしながら、鉄帽のような固いもので信管の頭を打つ。信管の作動は時として不安定なので、ただちに投擲すること。」

 これはアメリカの陸軍省が1944年に発行した「Handbook On JAPANESE Military Forces」を、日本語訳にして1998年に出版された「日本陸軍便覧 米陸軍省テクニカル・マニュアル:1944」に掲載されたものです。
 日本軍の戦略や戦術、兵器その他をアメリカ側が戦時中に調査・研究して、主に将校へ配布した資料を戦後になって翻訳し、出版したものなのです。

 この中に「安全装置の外し方。安全栓をかけたまま、撃針を行き着くところまで撃針ホルダーにねじ込む。」と書かれておりますが、本来はこのような操作手順がありません。この「Handbook On JAPANESE Military Forces」にも、間違った操作手順が掲載されているということです。

 実のところ「Handbook On JAPANESE Military Forces」には、これ以外にも間違ったものが複数指摘されております。例えば日本軍の手榴弾に関しましては、中国の国民党軍が使っていた手榴弾を日本軍のものとして誤認掲載しております。これについて付言すれば、大量に鹵獲(ろかく)した国民党軍の手榴弾を、日本軍が太平洋方面でも使用していた事実がありますから、日本製だと勘違いしても納得できるものではあります。
 個人的見解ではありますが、たとえ少数の誤認があったとしても、既に1944年以前から日本軍の、膨大かつ詳細な調査・考察・研究がなされていたということを垣間見ることができる資料です。

 話を手榴弾の操作手順に戻します。
 九十七式手榴弾に関して「ネジを締めなきゃいけない」という証言と「ねじ込む」という記載を比較した場合、表現はそれぞれなのですが、行為自体は「ねじる」といった点で一致すると思われます。

 証言をなさった方と「Handbook On JAPANESE Military Forces」の関連性は、本人がその書籍を読んでいるか否かをはじめ、全くの不明です。むしろ関連性はないと断言できるかもしれません。

 しかしそれぞれが「ねじる」行為という偶然の一致が、個人的には腑に落ちません。そこに何かが介在しているのでしょうか。

 手榴弾の操作手順に戻りますと「安全栓を抜く→打ち付ける→投げる」ということなのですが、「ネジを締める」あるいは「ねじ込む」といった誤認は、「Handbook On JAPANESE Military Forces」の場合、ある程度の推測が可能です。

 先述の通り「Handbook On JAPANESE Military Forces」は戦略・戦術・兵器等の様々な角度から日本軍を研究しているのですが、手榴弾についても内部構造や爆薬の成分といった詳細なものまでが掲載されております。

 つまりは手榴弾を分解しているということになります。九十七式手榴弾も例外なく分解し、細部にいたるまで調査研究がなされているはずです。
 その過程において、あるいは再組み立ての過程において、九十七式手榴弾の信管が本体に「ねじ込んである」ということが判明したはずです。そのような仕組みなので操作手順の中に「ねじ込む」という行為が、理由は不明ですが含まれてしまった可能性が非常に高いです。

 手榴弾の製造過程において、信管を本体にねじ込んでいるということにもなりますが、安全面の関係上、軍に納入するときも信管を外していたという事実があります。ただし、一般兵士に支給される時は既に「ねじ込んで」装着されていますから、「撃針ホルダーにねじ込む。」といった操作はしないのです。

 敵のアメリカ側からすれば、日本軍の兵器等に関する資料やマニュアルを所持していないのは当然のことでもありますから、操作等の誤認があってもおかしくはないと思われます。

 それに対して「ネジを締めなきゃいけない」という、あきらかに間違った操作手順の証言は、たとえ手榴弾の操作に不慣れな非軍人であっても非常に不可解であります。しかも「兄貴は軍人だからね、やったけどだめだった」という、当時の軍人なら知らないはずがない操作手順が間違っているといったことも考慮すれば、単なる勘違いや記憶違いとも思えません。内容があまりにも具体的すぎることも腑に落ちません。

 勘違いや記憶違いではないとすれば、どういうことになるのでしょうか。

 このことを考察するうえで手榴弾の操作手順以外の、まったく別の事象を突き合わせてみれば、さらなる別の問題が浮き彫りになっていくことになります。

 次回以降に続きます。


参考文献

米陸軍省編 菅原完訳『日本陸軍便覧 米陸軍省テクニカル・マニュアル1944』(光人社 1998年)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最新の画像もっと見る

最近の「渡嘉敷島の集団自決 その他」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事