空と無と仮と

自分が聞いた戦争の話

高齢化が進んでいますから、
あの戦争を体験した方々が少なくなっている昨今。
自分は昭和46年生まれですから、
あの戦争を知ってるはずもありません。

しかしながら、
生まれついての飛行機マニア、
軍事オタクが功を奏してか、
あの戦争を体験した人たちの昔話は、
人一倍の興味をもって聞いておりました。

近所のじいちゃんから知り合いのじいちゃんまで、
様々な境遇の話を聞いてきましたので、
ここで少しながら紹介したいと思います。
ま、あくまで自分が聞いた範囲ですので、
たくさんあるってわけでもありませんがね。

「戦艦武蔵の生存者」
そのじいちゃんはあの戦艦武蔵の乗組員で、
しかも何時間も海に漂流して助かったそうです。
ただ、戦艦武蔵の生存者って、
救助されたあとも悲惨な境遇におかれたのですが、
「助かった」ということだけしか、
そのじいちゃんからは聞いていませんでした。
ずいぶん前に話を聞いただけですし、
そのじいちゃんが亡くなってから20年以上もたっています。
もう少し詳しく聞いていればと、
今となっては後悔しております。

「グラマンの機銃掃射」
現在ではローカル線の小さな駅で、
戦争当時も主要な駅ではありませんが、
その駅でいわゆる勤労奉仕をしていたじいちゃん、
ま、その当時は学生だったのですが、
作業中に戦闘機の機銃掃射を受けたそうです。
仲間と一緒に逃げようとしたのですが、
目の前の仲間が撃たれてしまい、
白いシャツが真っ赤な血の色に染まりながら、
そのまま亡くなったそうです。
運やタイミングが悪ければ、
このじいちゃんが撃たれてもおかしくはないですね。
個人的には、さほど重要ではないそんな駅にまで、
攻撃をしてきたという事実が印象深いです。

「三四三空のパイロット」
友達のじいちゃんが「第三四三海軍航空隊」の
パイロットだったそうです。
飛行機マニアの自分としては「あの紫電改か!」と、
ひときわ興味がわきましたが、
この話を聞いた数年前に亡くなっていました。
その点はちょっと残念でしたが、
このじいちゃんは非売品の自伝を出版していて、
それは幸運にも拝読させてもらいました。
しかし、自伝を出版して配っていたのですから、
なんか「普通の人とは違うな」と思って、
その友人から色々話を聞いてみたのですが、
どうやら戦後は農水省の官僚になって、
最終的には事務次官にまでなった人でした。
調べれば特定できるかもしれませんが、
ここではあえていたしません。
それなら自伝を書いて出版してもおかしくはないと、
妙に納得した思い出があります。
できれば直接話を聞きたかったです。

「特攻隊の整備兵」
入れ替わり立ち替わり移動してくる特攻隊の機体を、
とある陸軍航空隊の基地で、
とあるじいちゃんは毎日毎日整備していたそうです。
「気の毒だよなぁ…」
一度だけポツリと言ったこと、
そのことは今でも忘れることができません。
すごく重かったです、その一言が…


今年も8月15日がすぎましたね。

合掌


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最新の画像もっと見る

最近の「いろんな歴史いろんなミリタリー」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事