空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」②

誰もが知ってるはずのに、誰も知らない奇妙な現象

 

 集団自決の実情を明らかにするという過程において、仮に自決命令が出されたと断定するならば、いったいどのような経緯であったかということが重要であることは、特に議論の余地はないと思います。従って指揮官から出された自決命令というべき別掲の箇条書き10と15の文言は、発言者は明らかになっているのですが、聴衆者は誰なのかということも詳細に検証すれば、より実態の解明に近づくことは自明の理であります。

 

 では、自決命令を聞いたのは一体誰なのでしょうか。常識的に考えれば、指揮官の文言が一言一句詳細に、かつ克明に掲載されているのですから、必ず誰かが何かを聞いているはずなのです。そうでもしないと「鉄の暴風」に掲載されるなんて、絶対にありませんから。

 なぜそこまで言い切れるのかといえば、「鉄の暴風」はフィクションを前提とした小説ではなく、様々な生存者の証言を元にした、いわばノンフィクションなのです。「鉄の暴風」にもそういった旨がちゃんと記載されています。当然、渡嘉敷島も例外ではありません。

 

 指揮官が発言したという、その文言を誰が聞いたか否かを確認する効果的な方法は、「鉄の暴風」以外で掲載された証言から探し出すことだと思います。

 これは簡単な作業だと思います。なぜならば、あれだけハッキリとしたものであれば、ハッキリと覚えている人がいて、ハッキリと第三者に伝えていることがハッキリしているからです。その結果が「鉄の暴風」に掲載されたことなのですから。

 そういうことであるならば、他の証言集とかインタビューを掲載するような紙媒体、あるいは音声録音やテレビ番組等の映像の中に、指揮官の文言を聞いた誰かがいる可能性が非常に高いです。

 

 しかし、思わぬ事態に遭遇しました。

 実は指揮官が発言した自決命令の文言を聞いた人がいないのです。指揮官の文言を聞いたという人の証言が、まったく見つからないのです。これはどういうことでしょうか。

 

 「何らかの自決命令」あるいは「自決命令を彷彿とさせるもの」を聞いたという人の証言はあります。しかしあくまで「何らかの自決命令」「自決命令を彷彿とさせるもの」であって、必ずしも指揮官の文言ではないのです。 

 では「何らかの自決命令」あるいは「自決命令を彷彿とさせるもの」に関して、一体どのような証言があるのかと可能な限り確かめましたところ、以下に提示する結果となりました。書籍等の紙媒体だけからの箇条書きで引用しますが、自分自身が調べた限りということをあらためて付言しておきます。

  1. 「だいぶたって、軍からやっと自決命令が下った」(当時16才)
  2. 「三月の下旬とつぜんに西山の上へ集まれという村長の命令がきました」(当時12才)
  3. 「阿波連のに住んでいた私は、渡嘉敷の山にみんな集合せよという村長の命令を受け」(当時17才 防衛隊員)
  4. 「軍本部からの避難命令で山にのぼると」(当時28才 役場軍役事務担当)
  5. 「玉砕という言葉はなかったんですけど、そこで自決した方がいいというような指令が来て」(当時33才 村長)
  6. 「村からの命令で、向こうに集まれというのですね」(当時17才)
  7. 「かねて準備してあった西山陣地の後方、恩納川原の避難小屋めざして出発した。誰の命令だったか知りません」(郵便局長)
  8. 「巡査が恩納川原に来て、今着いたばかりの人たちに、赤松の命令で、村民は全員、直ちに、陣地の裏側の盆地に集合するように」(村長)
  9. 「防衛隊は誰だったかは忘れましたが、住民は早く恩納川原に避難せよと、ふれ歩いていました」(匿名)
  10. 「艦砲射撃されて、敵が上陸するからっといって避難命令がありました」(当時13才)
  11. 「青年団が来て、北山(西山のこと)の軍の防空壕に集まれー、するものだから」(当時29才)
  12. 「防衛隊が「敵が上陸して危険だから移動しろ」と、いう事で」(当時14才)
  13. 「村長命令で“上の本部に全員集結するように”といわれたので」(当時14才)
  14. 「あっちこっちの避難小屋を巡って、「軍ヌ命令ドゥヤンドー、ニシヤマ(北山)ンカイ、避難シイガ、イカントゥナラテンドー、(軍の命令で、北山に避難するよう、行かないと駄目だぞ)」と伝えていた」(当時14才)
  15. 「すると赤松隊長は、「私達も今から陣地構築を始めるところだから、住民はできるだけ部隊の邪魔にならないように、どこか静かで安全な場所に避難し、しばらく情勢を見ていてはどうか」と助言してくれた」(駐在巡査)
  16. 「その時にはニシ御嶽(うたき)の方、北山(にしやま)に集まれと軍命が出ていた」(当時35~36才)
  17. 「「北山(にしやま)へ集まれ」という軍命が伝えられた」(当時15才 防衛隊員)
  18. 「北山(にしやま)へ集まるよう軍命が伝えられた」(当時15才)

 

 ざっと書き出してみました。興味がある方は下記の参考文献を参照してください。ちなみに北山が「にしやま」と記述されているのは間違いではなく、「北」を「ニシ」と発音する沖縄の方言です。地域の差は多少あるみたいなのですが「東=アガリ・西=イリ・南=フェー・北=ニシ」ということになります。

 

 「鉄の暴風」に記載された指揮官の文言を聞いた人がいないということが、上記の箇条書きから簡単に理解できるかと思います。しかも命令(軍命)が「自決しなさい」というものではなく、「集まりなさい」「避難しなさい」といった、場所はともかく移動や集合の号令が多いことに気付くのではないでしょうか。集合・避難した後に「自決しなさい」という命令があった可能性もあり、そういった証言がどこかにありそうなものですが、どういうわけかそれも探し出すことができませんでした。

 また、避難や集合をしなさいといった命令・指示といったものが、どこからきたのかもはっきりしません。勿論「軍命」が多いですから軍から発信されたのは間違いなさそうですが、いわゆる5Wの観点からすると、軍側のWhen(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)が曖昧なのです。もっとも、住民の証言者個人がどういう経緯であったか知らないという状況はあると思います。戦闘中という非常事態でありますし、むしろ知らなくて当然であったろうと思われます。 

 軍側、つまり第三戦隊の状況は非常に重要な要素なので、別の機会に考察します。

 

 しかしながら、箇条書き1と5を読んで頂くとわかるとおり、「何らかの自決命令」「自決命令を彷彿とさせるもの」を聞いた人がおります。当時16才の方と当時33才村長で、つまりは渡嘉敷村の村長さんですね。

 

 実はこの箇条書き1を証言したのは金城重明氏という方で、集団自決においては壮絶な体験をなされたそうです。戦後はキリスト教の牧師になり、大学教授も務めていたとのことです。そして講演会等では自らの体験を語り戦争の悲惨さを訴えている方です。

 自叙伝も出版されておりますので、読んだ方もおられるかもしれませんが、こと「自決命令」の観点だけを取り上げるならば、指揮官の文言については何も書いておりませんでした。そして「自決命令」そのものについては「軍から命令が出たらしいとの情報が伝えられました」ということです。

 

 次に箇条書き5の村長さんは古波蔵惟好氏(戦後は米田に改称)という方で、現在は既に亡くなられております。

 幸運なことに「鉄の暴風」の編集スタッフの一人だった人物が、その古波蔵氏の証言を元に「鉄の暴風」を書いたと証言しております。つまり現代風にいえば元ネタということですし、非常に重要な存在だということが理解していただけるかと思います。ただし他にも複数の方から証言を得たらしいのですが、それが誰であるかは記憶にないそうです。

 では元ネタの一人であり、非常に重要な存在でもある古波蔵氏は、あの指揮官の文言を聞いていたのでしょうか。

 実のところ別のインタビューでは「軍から命令を直接受けることはない」と証言しています。そのことを考慮しますと指揮官の文言は古波蔵氏も、やはり聞いていないということになります。しかも箇条書き5をみるかぎり、どのような経緯で命令がきたかどうかも不明であると言わざるをえない表現です。

 「軍から命令を直接受けることはない」ということですが、それでも自治体の長として立場上、軍側との何らかの接触機会が多かった可能性が高い渡嘉敷村の村長でもあり、「鉄の暴風」の元ネタになった証言をしている古波蔵氏でさえ、指揮官の文言を聞いていないということになるのです。聞いていないどころか、どこから「自決命令」が出されたかさえもわからない状況だったのです。

 となると箇条書き1と5についても、指揮官の文言はもちろんのこと、軍の「自決命令」自体がどこから来たのか全くの不明となってしまいます。

 

 すなわち、誰もが知っているはずなのに、誰も知らないという奇妙な現象が起こっているのです。

 

 ただし2019年2月現在の時点で、ということも付言しておきます。今後はどうなるかわかりませんので。

 「ほかにも資料か何かがあるんじゃないの?」という疑問が、少なからずあるのではないかと思います。でも、これは「ない」ということを断言できるのです。

 なぜかといえば「沖縄タイムス」や「琉球新報」等の新聞に2019年2月現在の時点で掲載されていないからです。軍が強制・命令をしたというスタンスを積極的にとるそれらの新聞が、もし仮に「鉄の暴風」に描写される赤松氏の文言を聞いたという「新資料」「新証言」を発見したというのならば、間髪入れずに必ず発表・掲載するからです。理由は説明するまでもありません。それどころか、スクープとして新聞の第一面の掲載されること間違いなしです。当然インターネットも同様です。むしろリアルタイムで発表できるインターネットのほうが、新聞紙面より早いかもしれませんね。

 新聞を逐一読みこむことはしなくても、インターネットという便利なもので時々検索してみるのですが、それが発表された形跡がありません。

 ご興味がある方はどんな手法でも構いませんから、ご自分で資料・証言を探してみてください。そしてもし発見したのであったなら、できればそういった新聞社に売り込んでいただきたいです。そうすれば新聞紙面はもちろんのこと、インターネット等でこちらにも必ず伝わってくるはずですから。

 ただし「それを匂わす」資料でなく「それを彷彿とさせるようなもの」でもなく、あくまで『「鉄の暴風」に描写される赤松氏の文言を聞いた』という資料・証言ですので、お間違えのないようにお願いします。

 

 

 今回は住民側だけの観点でしたが、次回は軍側からも考察してみたいと思います。

 


参考文献

沖縄県労働組合協議会編『日本軍を告発する』(沖縄県労働組合協議会 1972年)

沖縄県教育委員会編『沖縄県史第10巻各論編9沖縄戦記録2』(国書刊行会 1974年)

創価学会青年部反戦出版委員会『沖縄戦 痛恨の日々』(創価学会青年部反戦出版委員会 1975年)

渡嘉敷村史編集委員会編『渡嘉敷村史 資料編』(渡嘉敷村 1987年)

沖縄県警察史編纂委員会『沖縄県警察史 第二巻(昭和前編)』(警察本部 1993年)

謝花直美『証言 沖縄「集団自決」 慶良間諸島で何が起きたか』(岩波書店 2008年)

金城重明『「集団自決」を心に刻んで』(高文研 1995年)

太田良博「沖縄戦に神話はない「ある神話の背景」反論」『沖縄タイムス』1985年8日~18日

別掲『ある神話の背景』

別掲『鉄の暴風』


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