空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」⑭

無限に広がる沖タイワールド①


 「「鉄の暴風」
沖縄タイムス社が1950年8月に朝日新聞社から出版した沖縄戦記録。50年代当時の沖縄戦記は、日本軍兵士の手によるものが主流。沖縄住民による初めての記録だった。沖縄タイムス社記者の牧港篤三、太田良博が執筆した。再版以降は沖縄タイムス社刊となり、これまで10版を重ねるロングセラーとして、沖縄戦記録の代表作となっている。」

 上記の引用は2008年出版の「挑まれる沖縄戦 「集団自決」・教科書検定問題報道総集」に掲載された脚注です。ちなみに「挑まれる沖縄戦」も沖縄タイムス社から出版されています。

 「鉄の暴風」における渡嘉敷島の描写に事実ではない可能性がある個所があり、そういった意味で自画自賛には何か引っかかるものがありますが、「沖縄戦記録の代表作」ということについては間違いないと思われます。
 渡嘉敷島の集団自決に関しては代表作であると同時に、全ての出発点でもあるという側面も併せもっているともいえるのではないでしょうか。

 そういうことでありますから、「鉄の暴風」以降に考察された沖縄戦、特に渡嘉敷島の集団自決を取り扱った様々な文献には「既成事実」として引用・孫引きされております。ほぼ全てに引用されていると断言しても、必ずしも過言ではないと思います。

 それだけ「鉄の暴風」が信用され、信頼されていたということの証明にもなります。

 具体的にどのように引用されているかについては、正に枚挙にいとまがありませんので、いろいろな意味でインパクトがある著者の文献だけを紹介します。


 「米軍の砲撃でおびえ切っていた住民は、この指示を受けて、「友軍」の特攻隊(第三戦隊──引用者注)が自分たちを保護してくれるのだと思い、大喜びで指示された場所に集まりました。しかし、そこに待ち受けていたものは、友軍の保護どころか、次のような軍命令でした。
「部隊は、これから、米軍を迎えうつ。そして長期戦にはいる。だから住民は、部隊の行動をさまたげないために、また、食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ。(後略)」
 「手投弾が不発で死を逃れた住民が、軍の壕へ近づくと赤松隊長は入口にたちはだかり、軍の壕に入るな、すみやかに立ち去れ、と住民をにらみつけた」


 上記の引用は大田昌秀氏の「沖縄─戦争と平和」(朝日新聞社)で、1982年に日本社会党中央本部機関紙局から単行本として発行され、1996年に朝日文庫として再版されたものです。
 大田昌秀氏は鉄血勤皇隊の生き残りであり、やがては沖縄県知事や国会議員にもなった方で、沖縄戦に関する文献も数多く執筆しておりますから、名前だけは聞いたことがある人も多いでしょう。鉄血勤皇隊等、大田氏に興味がおありならインターネット等で検索してみてください。簡単に見つかるはずです。

 引用文を読めばすぐに気がつくとは思いますが、内容はほぼ「鉄の暴風」と同じです。現に章末では「鉄の暴風」と「沖縄戦史」(上地一史 時事通信社 1959年)からの引用と明記されています。
 上地氏の「沖縄戦史」は発行が1959年です。内容としては「鉄の暴風」の引用ですから、結果的に孫引きの部分もあるということになります。

 「鉄の暴風」と内容がほぼ同じですが、少しだけ違う点も見られます。それは事実関係が相違するということではなく、読む側の印象が若干変化してくるということです。
 上記の引用文だけを読んだら、まるで赤松大尉が住民を前にして演説しているような「印象」が強くなっています。
 「住民をにらみつけた」という部分も同様です。しかもそれらが住民によって語られているというような「印象」も、薄いとは思いますが残るような気がします。

 確認のために同じことを指摘しますが、2019年現在、上記の文言を聞いたという人は全くいません。地下壕もなかった可能性が非常に高いです。

 執筆した当人に意図的なものがあるかどうかはわかりません。
 しかしながら、噂が噂を呼び、あるいはデマがデマを呼ぶといったような行為が、上記のような引用や孫引きによって広がっていき、やがては赤松大尉が非道の大悪人になっていく、というような経緯が見える気がしてなりません。


次回以降に続きます。

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