空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」⑮

 無限に広がる沖タイワールド②

 前回は大田昌秀氏の「沖縄─戦争と平和」(朝日新聞社 1996年)を紹介しましたが、今回はインパクトのある、もう一人の著者として大江健三郎氏の著作を取り上げます。


 ①「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著「沖縄戦史」の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。」

 ②「慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民をはじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長(第三戦隊の赤松大尉──引用者注)が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。」

 ③「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪(大きい罪──引用者注)の巨塊(大きな塊?──引用者注)のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられ罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変にちからをつくす。」


 上記の引用は「沖縄ノート」(大江健三郎 岩波書店 1970年)です。

 大江健三郎氏については特に説明するまでもありませんので省略すると同時に、ここは「文芸評論」の場ではないことも明記します。
 
 まず①についてですが、あきらかに「鉄の暴風」とそれを引用した「沖縄戦史」についてのことですから、孫引きということで特に説明するまでもありません。
 ②と③については、簡潔にいえばこの孫引きに対する大江氏個人の「意見」です。ノーベル賞作家とはいえ、あくまで個人的な意見ですから、その中身を第三者がどう吟味しようとも別段問題はありませんし、大江氏の考え方について個人的にも意見を述べようとは思いません。

 ここで指摘しなければならないのは、このようにして「鉄の暴風」が引用され、なおかつ孫引きされていったということが、いまだにあったかどうかわからない赤松大尉の「悪行三昧」を既成事実化し、歴史学の範疇だけではなく一般的な認識まで広範囲に流布されていき、現在も信じられている部分があるということです。

 前回紹介した大田氏や大江氏が、率先してその「悪行三昧」を世間に広めているというわけではありません。仮にそうであったとしても、その行為を糾弾するつもりは全くありません。
 
 たとえ「ある神話の背景」等の反論があったとしても、全ての出発点が「鉄の暴風」であり、しかもそれが脈々として継続しているという現状がここにはあるのです。特に日本や日本軍の戦争責任を追及する立場をとる方々には、大変わかりやすい好材料となってもいます。

 彼らにとって「鉄の暴風」において訂正も何もないということは、ノンフィクションという体裁である以上、赤松大尉の「悪行三昧」は史実であり事実だということなり、自らの主張を肯定することができる資料として、極論すれば好都合な存在なのです。その中には「鉄の暴風」の出版元である沖縄タイムス社も含まれると思われます。

 これらは文献や書籍においての流布に限りません。
このブログを読んでくださる方の中に、学校での「平和学習」を経験なさったことはあるでしょうか。
 とりわけ1990年代から顕著になってきた学校での「平和学習」。広島や長崎と同じように沖縄も「平和学習」の場として、あるいは修学旅行地として実際に現地へ赴いた経験もあるかと思います。

 そういった場面でも「鉄の暴風」をはじめ、それを引用・孫引きした文献を教材にして「学習」してきた、あるいはさせたことかと思われます。
 特に日教組等の日本や日本軍の戦争責任を追及する立場から、必要以上に「学習」してきたのだろうと思われます。そういう人たちにとって日本軍は渡嘉敷島に限らず、沖縄戦全体の日本軍は「悪人」であると、沖縄戦に興味がない人でもなんとなく思っていることでしょう。

 そのようにして2019年の現在に至るまで、渡嘉敷島の集団自決は一般的常識といっても過言ではないくらいに流布され、しかも現在進行形であるということも言えるのです。

 すべての始まり、全ての出発点は「鉄の暴風」なのです。

 その「鉄の暴風」は、執拗なまでの繰り返しになりますが事実とは違う点があるのです。

 次回以降に続きます。

 なお、大江健三郎氏と「沖縄ノート」に関して、慶良間諸島の元戦隊長や遺族が訴えた名誉棄損裁判がありましたが、名誉棄損か否かについては個人的見解として、渡嘉敷島の集団自決における実像解明とは関係が薄いと判断しましたので、ここでは省略いたします。
 一つだけ私見を述べるならば、判決は妥当だと思っております。「沖縄ノート」の内容はその当時信じられてきたことに対する「意見」なのですから、その当時信じられていたことの原点、すなわち「鉄の暴風」に焦点を当てるべきだと思っております。

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