空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 修学旅行と平和学習を横目で見た感想

東京で知り合った友人や知人が、
修学旅行で沖縄へ行ったことを何度が聞きましたが、
自分は北関東の小中高でしたから、
修学旅行で沖縄に行くことはありませんでした。

さて、
1990年代の戦跡巡りの時も、
あきらかに修学旅行か平和学習の、
児童さんや生徒さんたちの集団に出くわしたことが、
何度も何度もありました。

やっぱり一番多かったのはひめゆりの塔かな。
あそこは別格だと思いますけどね。

ひめゆりの塔以外でも、
たとえば白梅の塔とか、
そういった比較的有名な場所だと、
先生に引率された集団がボランティアの人の話を聞いている、
というようなことがありましたね。
多分、これは現在でも変わらないと思いますよ。

一クラス単位での集団行動はしょっちゅう出会いましたし、
小グループ単位での自由行動というか、
数人の生徒さんたちとも時々出会っていましたね。

ちょっと印象に残っているのは、
ひめゆりの塔に近くにある、
第一外科壕跡での出来事です。

自分も駐車場にレンタカーを止め、
ひめゆりの塔から第一外科壕まで歩いて向かっていました。
歩いてもそんなに遠くないんですよね。

そこにはおそろいのジャージを着た生徒さんたちが、
男女数人だと思いましたけど、
なんかワイワイとして楽しそうでした。

自分はカメラを持っていましたし、
初めて来たわけでもないのですが、
生徒さんたちを写さないように、
少し待っていました。

勿論、追い出す気は全くなかったし、
特に声をかけたりもしません。
慰霊碑の前で騒いでいるとしても、
少なくとも自分は不謹慎だなんて、
思ったりは絶対にしませんよ。

それにこのご時世…当時は1990年代でしたけど、
ヘタに声をかけると不審者扱いになりそうですからね…
それは現在でも変わらないでしょう。
もっとも、相手が明らかに困った様子をみせてたら、
それはそれで別の話ですけどね。

だから第一外科壕跡の周りを少しグルグルとしていました。
ま、自分は胡散臭そうでも普通の観光客ですから、
当たり前のように周辺をブラブラしていました。

ただ、生徒さんたちの会話は聞こえるんですよね。
向こうも全くこっちのことを気にしていないようでした。
盗み聞きとはいわないまでも、
それとなく生徒さんたちの会話を聞いていました。

どのような会話かというと、
「海がキレイ」とかマリンスポーツとか、
ま、一言でいえば「沖縄戦」の沖縄ではなく、
「リゾート地の沖縄」でしたね。

生徒さんたちは平和教育、
あるいは平和学習で訪れた沖縄だと思うのですが、
先生がいないから本音が出たのか、
第一外科壕跡の前でそのようなことを、
楽しそうにしゃべっていましたね。

先生やボランティアの前では、
みんな神妙な面持ちで話を聞いていたのを見ていたから、
その落差というものが印象に残っていて、
なんだかちょっとだけ笑っちゃいました。

ただし、ここで勘違いしてほしくないのは、
その生徒さんたちを責めるつもりは全くないこと、
むしろ微笑ましかったということを強調したいです。

自分の経験上、
修学旅行なんてそんなもんだと思いますよ。
「沖縄戦」より「リゾート」のほうに興味がわくというのは、
ごくごく自然な現象ではないかと思います。

なぜかというと、
学校教育における平和教育・平和学習というのは、
自分からすれば「沖縄戦の一面的な側面の押し付け」
だと思っているからです。

平和教育・平和学習そのものを否定する気は全くありません。
問題はそのやり方というか、
手段にあるのではないかと思うのです。


戦争=悪という考え方は間違ってはないかと思います。

しかし、しかしですね、
戦争=悪だからといって、
その戦争をした日本・日本軍・挙句の果ては兵士一人一人までも、
すべて悪という考え方は納得できません。

沖縄戦を考察する場合、
必ずといっていいほど日本軍=悪というイメージで、
いかにその日本軍によってウチナンチュが虐げられたか、
という側面しか取り上げないんですよね。
特に学校教育に関してはね。
ボランティアで沖縄戦を語る人たちもそんな感じです。

あくまでも自分の経験上なのですが、
死に物狂いで日本軍と一緒に戦ったというような、
一体感というか連帯感を誇りに思うような、
そんな思い出話を語ってくれたオジィもいましたよ。
しかもコソコソじゃなくて堂々とね。
1990年代の頃の話ですけど…

だから日本軍=極悪という構図しか取り上げないような、
左翼的な思考には物凄い違和感を持っております。
結局、一面的にしか物事を捉えられないような、
視野の狭い狭い考え方だと思うのです。
これは右翼的思考も同じです。
見る視点が違うだけですね。

沖縄戦の一面的な側面の押し付けによって、
平和教育・平和学習をするということは、
これはつまり、多面的・多角的な視野を否定すること、
あるいは、
物事を一面的にしか捉えることができない人を育てる…
そのようなことになってしまうと思います。

学校教育として、
これはふさわしいというのでしょうか?
少なくとも自分はそうは思いません。

第一外科壕跡で出会った生徒さんたちは、
どのような平和教育・平和学習を受けたか知りませんが、
一面的な沖縄戦を押し付けられたんでしょうね…
押し付け=強要=強制だから、
沖縄戦についても特に興味ないって感じがするんです。
ま、「やらされている感」っていうんですかね…

繰り返しになりますが、
平和教育・平和学習そのものを否定しているわけではありません。
その方法・手段が懐疑的だということを強調しておきます。

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