上記の画像は1990年代中頃で、
季節は夏だったと思います。
そして自分が初めてこの壕を訪れた時の一枚です。
他の方のブログ等を拝見して比較してみると、
情景は2021年現在とほとんど変わりませんね。
ただ、この頃はまだ階段に手すりがなかったし、
碑の土台に塗装(修復かな?)はされていません。
案内板もまだなかったかもしれません。
いや…あったかな?
いつの間にか設置していたような記憶があります。
階段を登って碑の脇を通り抜けて、
数十メートル歩くと壕の入口があります。
一応撮影したはずなのですけど、
どういうわけか紛失してしまいました。
興味のある方は他の方のブログ等を参照してください。
また、2021年現在は崩落の危険があるため、
入口は立入禁止のロープが張られているみたいです。
いつ頃から立入禁止になったのかわかりませんが、
自分が訪れた1990年代から2000年代初頭は、
そういった制限は全くありませんでしたね。
ですから当然のごとく中へ入っていきました。
自分は立入禁止になった以降、
この八重瀬公園自体に訪れてはいません。
ホントは行きたいんだけどなぁ…
当ブログは「1990年代の沖縄旅行」ですから、
立入禁止を無視して侵入したことではないことを、
あらかじめ明記しておきます。
さてさて、
実際に壕の中へ入ってみると、
普通に立って歩けそうな高さの天井でした。
ま、結果的に最後まで普通に歩けたって感じです。
奥へと進んで数メートルほどでしょうか、
向かって右側には人為的に掘られた空間がポッカリ、
フラッシュライトの明かりで確認できました。
どうやら、この場所が「手術室」だったらしいです。
広さにして…畳にすると6畳あるかないか…
そんな感じでした。
ただ、あくまでもそういう記憶があるだけで、
正確に計測したわけではありません。
文章で説明するよりも、
画像や映像のほうがわかりやすいのですけど、
この場所に限らず、
ガマの内部といった暗闇での撮影は、
ことごとく失敗していました。
その当時持ち歩いていたのは、
望遠レンズ付きで数万円ぐらいの、
一眼レフのオートフォーカスですから、
フラッシュ機能も充実していたのですが、
自分はカメラに関しては、
まったくの全く素人でした。
真っ暗闇の中ですから、
当然のことながらピントが合わなすぎてしまい、
しかもそれをどう修正すればいいかわからず、
さらには大体が独りでの行動でしたので、
誰にも聞くことや手伝ってもらうこともできません。
片手に重たいカメラを持ち、
片手にMAG-LITEのフラッシュライト…
単一電池使用のヤツだから、
これまた片手ではちょっと重たいんだよなぁ…
そうして、何もかもボケてしまった苦い経験があります。
撮影に関してはもっと勉強しとけばよかったなぁ…
そんな思いがこみあがってきます。
あ、ちなみにその頃はスマホなんてありませんよ。
「ゴープロ?何それおいしいの?」てな感じですからね。
そして1990年代といえば「写ルンです」ですね。
さてさてさて、
撮影は全て失敗したけれど、
そのまま内部へと入っていきますと、
元々は採石場だったようですから、
明らかに人工的な掘削の跡がありましたね。
普通に立って歩けるほどの広さが続きます。
地面もゴツゴツしているわけでもなく、
比較的歩きやすかったのを憶えています。
そしてフラッシュライトで照らしてみると、
地面には朽ちた木片がバラついていました。
多分、木製のベッドではないかと思われます。
特にそれが印象に残っていますね。
そのほかにも何らかの「遺品」があった感じがするのですが、
それが本当に「遺品」なのかどうか、
今となってはわかりません。
さらに奥へと入っていくと、
入口からの明かりしかありませんでしたから、
ずっと真っ暗なのです。
「これは結構長いな」
なんて勝手に想像して数十メートル歩くと、
入口から100メートルも行かないぐらいで、
前のほうに別の明かりがひょっこり見えました。
出口が見えなくて真っ暗でしたので、
ここも相当長いトンネルだな…
なんて最初は思って入っていきましたが、
結局は勘違いしていました。
糸数のアブチラガマまではないと思っていましたが、
初めて入った時は出口が見えなかったので、
安易に「相当長いかも」なんて想像していましたよ。
でも、意外と短かったですね。
大体50メートルぐらいでしょうか。
分かりやすくいえば、
途中でL字型に右へ曲がっていましたから、
そのせいで出口の明かりが見えにくかった…
というわけです。
次回以降に続きます。