空と無と仮と

1990年代の沖縄旅行 「白梅」戦跡巡り⑤ 劇的変化のヌヌマチガマ④






ヌヌマチガマは巨大なガマです。
1990年代当時の入口とともに、
わかりやすいようにと再掲載しました。

アブチラガマ(糸数壕)も大きかったけど、
ここはさらに長大でした。
ヌヌマチやガラビというように入口によって名称が違うのは、
その大きさゆえのことではないでしょうか。

このヌヌマチガマの中へ初めて入ったのは、
1990年代の中盤でした。
いつものことではありますが、
ここもたった一人で訪れていました。

この場所がどういったものなのかは、
それなりの史料で知ってはいましたが、
実際に中へ入ってみるとなると、
ちょっとためらいました。

というのも、このヌヌマチガマへ入る前に、
アブチラガマ(糸数壕)に入っておりました。

1990年代中盤のアブチラガマは、
現在ほどではありませんが、
それなりにある程度整備されておりまして、
階段や通路や案内板が設置されていましたから、
ほとんど迷う心配がなかったです。

そういったわけですので、
おぼろげながらヌヌマチガマも、
アブチラガマみたいな感じなのかな…
なんて思っていました。

でも実際に入ってみると、
当然といえば当然なのですが、
一面の暗闇しかありません。
足元もぬかるんでいました。
立って歩けるような空間でもありましたね。

それに引用図や画像ではわかりませんが、
ヌヌマチガマは基本的に下っています。
奥へ進めば進むほど降りるような感じですね。

自分はその当時…ま、現在もそうなのですが、
「洞窟」というものに関しては全くの素人でしたし、
正直言って自然洞窟自体にはあまり興味がありません。

そこが「戦跡だからこそ」「戦跡がゆえに」
ガマの中へ入っていったまでで、
洞窟に関する知識や装備は持っていませんでした。

そうでありますから右手にはマグライト、
左手にはシェアファイアのフラッシュライトを持って、
時には一眼レフのAFを振りかざして撮影するような、
今となっては非効率的な行動でしたね。

カメラに関しても素人でしたので、
暗闇でしかないガマの中では、
非常に後悔することになるのですが、
かなりの確率で失敗しております。

ちなみに1990年代のお話ですから、
スマホみたいな便利なものなんてありません。
携帯電話は通話だけしかできない時代です。

…あれ?メールはできたかな?
携帯電話からメールを送った記憶がありませんから、
やっぱり通話だけだと思います。
ま、それでも当時は超便利でしたけどね。

それにヌヌマチガマ全体の詳細なもの、
例えば引用図みたいなものも当時はありません。

そんな素人丸出しでロクな準備もしないでいても、
その奥には何があるのかという好奇心だけが頼りの、
正に行き当たりばったりな感じでした。

ただ、不謹慎ではございますが、
それが何よりも面白かった…

次回以降に続きます。

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