残照日記

晩節を孤芳に生きる。

議員の実態

2011-06-13 19:15:08 | 日記
≪(九十三翁・新谷道太郎」が)殿様(勝海舟)に呼ばれて出ると、「小僧オレの所に何しに来たか」と問われました。「日本一の知恵者の顔を見たいので」と言いますと「だれがオレを日本一の知恵者と言ったか」と言われます。「世間の人が皆申します」と言うと、勝様は嘆息して「それなら、オレは、日本一の知恵者ではない。日本一の知恵者なら、世間の者には分らぬはずじゃ、我が知恵を人の前に隠すことが出来ぬようでは、オレは、二流の人物ジャ」と言われた。≫(「海舟座談」岩波文庫の付録より)

∇笹川論文に関する昨日の続き。政治「のために」生きる「職業政治家」考から。──先日朝日新聞の「WEBRONZA」に、榊原英資青山学院大学教授が、大震災復興財源捻出に言及して次の提案をしていた。<日本が先進国中飛びぬけて大きいのが国会議員や地方議員の歳費。国会議員の総歳費は180億円と欧米先進国の倍以上。地方議員はもっとひどく都道府県議会議員の平均年収は2千万円以上でアメリカの州議会議員400万円の5倍以上。ヨーロッパでは地方議員は兼職が多くてボランティア的性格が強く、スイスなどでは無償。公務員給与の削減を言う前に、国会議員や地方議員の歳費の削減を実行すべきです。>と。我が国の国会議員や地方議員の歳費が世界各国に比して高額であることは、従来から度々論じられていることであり、国家的課題として歳費総額の削減にメスを入れるべきことや、それに相俟って無償ボランティア議員制度の促進についても考究すべきことは老生も賛成である。たゞ、当ブログでテーマとしている<政治「のために」生きる「職業政治家」>の早期輩出を考える場合、現行の「政党政治に於ける政治実態」を熟知しておく必要があると考える。

∇先ず、笹川論文が「これでいいのか、政治家諸君」と士気作興を促している対象は、主として衆院議員のことである。笹川氏は、昭和15年、日中戦争処理について政府を猛烈批判した“反戦演説”で、衆院議員を除名された斎藤隆夫を例に引いて、時代背景は違うが、政治責任を負う状況は現在と共通している、議員諸君、国家国民のために命を投げ出す覚悟をせよ、と論じた。確かに豪胆な事実ではあるが、それは斎藤隆夫という図抜けた<政治「のために」生き>た、国士無双の一議員の例だ。殆どの議員たちは政府に抗することなく黙した。さて、解散がなく任期を6年とする参議院議員と比較すると、法律上は4年の任期と定められている衆議院議員だが、実態は解散総選挙が頻繁に行なわれるため、生活基盤は不安定にならざるを得ない。例えば、衆議院議員総選挙は、「平成」になってから、第39回(H2)、第40回(H5)、第41回(H8)、第42回(H12)、第43回(H15)、第44回(H17)、第45回(H21)の計7回で、ほゞ3年弱毎に行なわれている。経済的バックボーンに恵まれない議員たちには、3年未満しか生活の保障が得られない厳しい職業だと言える。

∇こうしてみるとヴェーバーではないが、政治家という職業は、本来、経済的側面で拘束されない金持か、さもなくば国家の安寧と発展を人一倍希求する熱い志を持った人物しか選択してはいけない職業だとも言える。もっとも、政治「のために」一身を捧げようとす職業政治家の必要性は、国難が眼前に立ちはだかっている時にのみ希求されるという性格を持っているのかも知れない。日本では、苦渋に満ちた終戦処理を終え、昭和30年代の高度成長期を迎えて、経済的繁栄の道をひたすら走り始めた頃から、骨の髄まで「経済最優先国家」に変貌した。そこでは、国民は皆な中流で平和な社会が実現した。身の危険に及ぶ特別難儀な政治的問題があるわけではないので、政治の素人であっても、地盤や知名度だけあれば議員に担ぎ出され、当選してしまう。政党幹部は「陣取り合戦」に狂奔し、数合わせが政治課題に摺り替ってしまった。議員は質よりも数、それが成功すれば政党・党首は安泰だ。職業政治家という職業は、二世議員や「なりたがり屋」が占める安易なものになり下がった。笹川氏の言う<議員として存在することだけが目的>の議員が増加した所以でもある。

∇さて、3月11日に発生した大震災は、与野党議員にとって、<議員として存在することだけ>さえも許されぬ非常事態を齎している。<経済的バックボーンに恵まれない議員たちには、3年未満しか生活の保障が得られない厳しい職業>ということが、現実化しているからである。古い話だが、かつて大野伴睦という自由党・自由民主党の党人派幹部がいた。名言を吐いた。曰く、<猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちれば たゞの人だ>と。否、たゞの人よりなお惨めだ。失業者に落ちぶれてしまう。こんな最中、笹川氏の「これでいいのか、政治家諸君」の呼びかけは、残念ながら、「笹川さん、ゴメンなさい。今、それどころじゃないんです。」で一件落着することだろう。“大死一番の国難時”とはいえ、自分の身を守らねばならないことにも大死一番の時だ。火中の栗拾うべきか、拾わざるべきか、与野党の幹部たちすら“風見鶏”よろしく、キョロ/\辺りを見回している。──笹川氏は、<政治が劣化>した原因に、如上の如き政治の職業化の弊害を上げたが、<②国民・マスコミを含め社会全体が政治家を育てる努力を怠ってきたこの国の政治風土もある>とも書いていた。次回に、それと関連する結びの<「政治家や政治のレベルは国民のレベルを超えない」との格言があるが、このままでは「国民は一流、政治は三流」の汚名を着ることにもなりかねない。>という部分を併せて検討し、今後の“処方箋”について考察してみたい。今日はこゝまで。