≪強い組織の原理──「孫子」の七計(計篇)≫
1.主、孰れか有道なる=トップが如何に部下の信望を得
2.将、孰れか有能なる=配下に有能な幹部を如何に揃え
3.天地、孰れか得たる=激変する環境変化に如何に即応し
4.法令、孰れか行わる=組織規律が如何に末端迄徹底され
5.兵衆、孰れか強く =質の良い優れた人材を如何に揃え
6.士卒、孰れか訓練 = 部下の教育訓練がどれ程なされ
7.賞罰、孰れか明らか=賞罰の明確化が如何に出来てるか
我これを以て勝負を知る=以上を見れば、彼我の強弱を知る
∇昨日の続き。結論を先に言えば、八十悟空さんの≪責任を問うならば、会議の席に同席した東電清水社長ではなかったのか?≫や、banriさんの≪私が吉田氏に分があると考えるのは、政党にしろ大会社にしろ、バラバラな形骸化した組織など無用、いやむしろ社会の弊害と思うからです。≫、そして「声」欄への投書氏の≪処分されるべきは所長ではなく、首相官邸など政府の顔色をうかがうばかりで、現場との意思疎通もなく、当事者能力のない東電の社長以下、本店幹部ではないのか。≫には全く同感で、組織としての東電、その社長の清水氏及び経営主脳陣の責任の大きさは、吉田所長の「罪状」に比べれば月とスッポン程雲泥の差がある。福島第一原発事故に於ける一番の責任は、過去に予測され、度々警告もされてきた巨大津波地震対策への軽視、そして安全性を過信してきた国・自治体、企業(東電や利権を貪る関係企業も含め)、それを容認し、安全神話にお墨付きを与えた学者・評論家そしてマスコミ等々が、原発事故に対するAM(アクシデントマネジメント=過酷事故対策)を怠たらせたことにある、と断言していい。
∇それを承知で、老生がこのブログで、<原子力専門家も是とする「冷却し続けることが最重要」とする“科学的に正当と思われる行為”を実施したのだから、吉田所長は何も隠し立てする必要はなかった>と書いたのは、「組織論」としての是非、そしてその裏に潜む「東電経営首脳陣・本店スタッフと福島第一原発の吉田現場所長との対立」という構図が透き見えることに憎悪してのことである。又、吉田所長に同情し過ぎて、所謂“判官贔屓(ほうがんびいき)”に陥らぬように警戒したかったからである。──先ず「組織論」。昨日の東京新聞記事を老生が整理した部分を再録すると、≪<清水正孝社長や吉田所長らがテレビ会議で対応を検討し、官邸の判断を待つために注水の一時中断を決定>した。即ち会議では「海水注入一時中断」が合意された。しかもその会議では、<吉田所長から注水を続けるべきだとの意見は出なかったが、実際は独断で注水を続けた>。即ち吉田所長は、重要な意思決定の場であったTV会議では、社長・副社長・本店幹部たちに「海水注入を続行すべきだ」とは進言しなかった。又、現場責任者へ「海水注入一時中断」を指示しなかった。≫
∇何故吉田所長はTV会議で、現場の超プロとして「現在海水注水をして冷却をしている。再臨界が起こることは考えられないのでこのまゝ継続すべきだ」と進言しなかったのか。又、会議に参加していた本部スタッフも専門家揃いの筈だ。なのに何故、原発専門家の誰しもが「冷却し続けることが最重要だ」と知りながら<官邸の判断を待つために注水の一時中断を決定した>のだろう。そして会議ではウヤムヤのうちに「海水注入一時中断が合意」され、吉田所長はそれを無視して現場責任者へ「海水注入一時中断」を指示しなかった。<(8時20分頃)第一原発から本店に「海水注入を再開」と事実と違う内容を記した文書で連絡が入った>。この一連の報道記事の中に重要な問題が潜んでいる。──結論:①吉田所長はTV会議で、現場責任者として、「海水注入継続」を主張すべきだった。②首脳陣は、<官邸にいる元役員から東電本店に「(菅直人)首相の判断がなければ、海水注入できない雰囲気、空気を伝えてきた」>ことなどに振り回されず、吉田所長や本部スタッフの意見を俎上にあげて討議し、その結論に「合意」すべきだった。
∇そもそもこの一刻を争う危機的状況時、官邸会議の<海水注入できない雰囲気、空気>を窺うことばかりを優先した経営首脳陣の馬鹿さ加減に呆れる! もし記事が事実だとしたら、TV会議での「合意」そのものが「あるまじき犯罪」を引き起こす危険を孕んでいたことになる。経営陣・本部スタッフの責任を後日糾弾する必要がある。そして、それに嘴を差し挟むことをしなかった現場責任者・吉田所長にも、合意責任はある。しかも、TV会議で合意した事項を無視して、海水注入を続行させたことは、組織論上の“ルール違反”である。ましてや海水注入開始の大臣命令が来た午後8時20分以後、<東電本社に発電所長名で注水開始の報告があった>(武藤副社長)とされている。これは虚偽報告として罰せられるべきである。八十悟空さんが意見③で指摘された<重要な会議の前に社内打ち合わせくらいは誰でもしているのが常である>が、少なくとも今回の東電TV会議ではそれがなされなかった。それどころか<それぞれが注水中断に疑問をいだきながら、あいまいに「合意」が形成された>(5/29朝日)のである。
∇──という訳で、経営陣に罰する資格があるかどうかは別として、①合意事項無視の罪、②発電所長名で注水開始の虚偽報告をした罪により吉田所長は何らかの処分を受けるべきである。勿論、経営陣・本部スタッフの責任はより甚大であり、後日糾弾される必要がある。彼らは、IAEAの調査団や政府の独自調査等で明らかにされる事実との関連で、社会的に大きな制裁を受けるべきだと考える。吉田所長の「独断」は、少なくとも「事故の拡大」防止には寄与したとは思われる。たゞくどいようだが、正当な企業や組織体であれば、事後であれキチントした「報・連・相」が為されるべきで、ルール違反を見逃していると、必ず組織全体の統制が崩れ、孰れ大惨事を引き起こす遠因となることを承知しておくべきであろう。尚、巷間言われるように、<清水社長、武藤副社長以下の経営陣や本部スタッフと現場責任者である吉田所長との間の対立>というドス黒い構図も透き見えることは先述した通りである。「親方日の丸」企業に抜本的メスを入れるべき所以である。付録に「孫子」余話。
≪君主と将軍≫
それ将は国の輔(弼)なり。輔、周なれば則ち国必ず強く、輔、隙あれば則ち国必ず弱し。(そもそも将軍とは国家の輔弼(助け役)である。その助け役が周(主君と親密)であれば、国家は必ず強くなるが、助け役が隙(=間隙=主君とすきまがある)であれば、国家は必ず弱くなる。(「孫子」謀攻篇)
≪暖かさと厳しさと≫
将軍が兵士を治めていくに当っては、兵士たちを赤ん坊の如く万事に亘り気を使うべきだ。それだからこそ兵士たちも軍行を共にし、危険な場所にも赴くのだ。そして又、兵士たちを我が子の如く愛すれば、兵士たちは将軍と生死を共にするものだ。だが、兵士を可愛がるのはよいとして、手厚くするばかりで仕事をやらせることができず、又、命令することもできず、乱れてもそれを制することができなければ、譬えてみれば「駄々っ子」のようなもので、ものの役には立たない。≫(「孫子」地形篇)
≪部下の訓練≫ (「史記」孫子伝より)
∇孫子が呉の国の王様にお目見えした。その際、呉王から「貴殿の書いた兵法書を読んだ。実践で軍隊を指揮して見せてくれぬか」と乞われたので孫子は「いいでしょう」と答えた。呉王「女どもで試せるかな」孫子「やってみましょう」。そこで宮中の美女を呼び出し、180人が集った。孫子はそれを二隊に分け、王の寵妃二人をそれぞれの隊長に任命し、皆に武器を持たせて命令した。孫子「お前たちは自分の胸と左右の手、背中を知っているな」女官達「勿論知っています」孫子「私が前と合図をしたら胸を見、左と合図をしたら左手を見、右と合図をしたら右手を見、後と合図をしたら背中を見よ」女官達「分りました」。孫子は前後左右の合図を太鼓の打ち方で取り決め、女官達に何度も訓令し申し伝えた。そしてその後、初めて右の合図の太鼓を打った。女官達はどっと笑った。
∇孫子「取り決めが徹底していなかったようだ。将軍たる私の罪だ」。孫子はそう言って繰り返し訓令し、何度も申し伝えたうえで、左の合図の太鼓を打った。女官達はまたどっと笑った。孫子「先には取り決めが徹底せず、命令が行き届かなかったのは将軍の罪であったが、今度はすっかり徹底しているのに取り決めどおりに従わないのは隊長の監督責任である」。そう言って孫子が王の寵妃である左右の隊長を切り殺そうとした。高台で見物していた呉王は慌てて使いの者をやり、「分った、分った、貴殿が軍隊を指揮する腕前はよく承知した。二人の妃を殺さないでくれ」と伝えさせた。孫子曰く、「私は王の命令を受けて将軍となって隊を統率しています。軍中にあるときは、<君命に受けざる所あり>、です」と。遂に二人の隊長を斬り殺し、次の者を隊長にならせた。こうして太鼓を打つと、今度は女官達は前後左右命令どおり整然と指揮に従った。──王は意気消沈して宿舎に帰ったが、孫子の技量に心服して呉の将軍に取り立てた。
1.主、孰れか有道なる=トップが如何に部下の信望を得
2.将、孰れか有能なる=配下に有能な幹部を如何に揃え
3.天地、孰れか得たる=激変する環境変化に如何に即応し
4.法令、孰れか行わる=組織規律が如何に末端迄徹底され
5.兵衆、孰れか強く =質の良い優れた人材を如何に揃え
6.士卒、孰れか訓練 = 部下の教育訓練がどれ程なされ
7.賞罰、孰れか明らか=賞罰の明確化が如何に出来てるか
我これを以て勝負を知る=以上を見れば、彼我の強弱を知る
∇昨日の続き。結論を先に言えば、八十悟空さんの≪責任を問うならば、会議の席に同席した東電清水社長ではなかったのか?≫や、banriさんの≪私が吉田氏に分があると考えるのは、政党にしろ大会社にしろ、バラバラな形骸化した組織など無用、いやむしろ社会の弊害と思うからです。≫、そして「声」欄への投書氏の≪処分されるべきは所長ではなく、首相官邸など政府の顔色をうかがうばかりで、現場との意思疎通もなく、当事者能力のない東電の社長以下、本店幹部ではないのか。≫には全く同感で、組織としての東電、その社長の清水氏及び経営主脳陣の責任の大きさは、吉田所長の「罪状」に比べれば月とスッポン程雲泥の差がある。福島第一原発事故に於ける一番の責任は、過去に予測され、度々警告もされてきた巨大津波地震対策への軽視、そして安全性を過信してきた国・自治体、企業(東電や利権を貪る関係企業も含め)、それを容認し、安全神話にお墨付きを与えた学者・評論家そしてマスコミ等々が、原発事故に対するAM(アクシデントマネジメント=過酷事故対策)を怠たらせたことにある、と断言していい。
∇それを承知で、老生がこのブログで、<原子力専門家も是とする「冷却し続けることが最重要」とする“科学的に正当と思われる行為”を実施したのだから、吉田所長は何も隠し立てする必要はなかった>と書いたのは、「組織論」としての是非、そしてその裏に潜む「東電経営首脳陣・本店スタッフと福島第一原発の吉田現場所長との対立」という構図が透き見えることに憎悪してのことである。又、吉田所長に同情し過ぎて、所謂“判官贔屓(ほうがんびいき)”に陥らぬように警戒したかったからである。──先ず「組織論」。昨日の東京新聞記事を老生が整理した部分を再録すると、≪<清水正孝社長や吉田所長らがテレビ会議で対応を検討し、官邸の判断を待つために注水の一時中断を決定>した。即ち会議では「海水注入一時中断」が合意された。しかもその会議では、<吉田所長から注水を続けるべきだとの意見は出なかったが、実際は独断で注水を続けた>。即ち吉田所長は、重要な意思決定の場であったTV会議では、社長・副社長・本店幹部たちに「海水注入を続行すべきだ」とは進言しなかった。又、現場責任者へ「海水注入一時中断」を指示しなかった。≫
∇何故吉田所長はTV会議で、現場の超プロとして「現在海水注水をして冷却をしている。再臨界が起こることは考えられないのでこのまゝ継続すべきだ」と進言しなかったのか。又、会議に参加していた本部スタッフも専門家揃いの筈だ。なのに何故、原発専門家の誰しもが「冷却し続けることが最重要だ」と知りながら<官邸の判断を待つために注水の一時中断を決定した>のだろう。そして会議ではウヤムヤのうちに「海水注入一時中断が合意」され、吉田所長はそれを無視して現場責任者へ「海水注入一時中断」を指示しなかった。<(8時20分頃)第一原発から本店に「海水注入を再開」と事実と違う内容を記した文書で連絡が入った>。この一連の報道記事の中に重要な問題が潜んでいる。──結論:①吉田所長はTV会議で、現場責任者として、「海水注入継続」を主張すべきだった。②首脳陣は、<官邸にいる元役員から東電本店に「(菅直人)首相の判断がなければ、海水注入できない雰囲気、空気を伝えてきた」>ことなどに振り回されず、吉田所長や本部スタッフの意見を俎上にあげて討議し、その結論に「合意」すべきだった。
∇そもそもこの一刻を争う危機的状況時、官邸会議の<海水注入できない雰囲気、空気>を窺うことばかりを優先した経営首脳陣の馬鹿さ加減に呆れる! もし記事が事実だとしたら、TV会議での「合意」そのものが「あるまじき犯罪」を引き起こす危険を孕んでいたことになる。経営陣・本部スタッフの責任を後日糾弾する必要がある。そして、それに嘴を差し挟むことをしなかった現場責任者・吉田所長にも、合意責任はある。しかも、TV会議で合意した事項を無視して、海水注入を続行させたことは、組織論上の“ルール違反”である。ましてや海水注入開始の大臣命令が来た午後8時20分以後、<東電本社に発電所長名で注水開始の報告があった>(武藤副社長)とされている。これは虚偽報告として罰せられるべきである。八十悟空さんが意見③で指摘された<重要な会議の前に社内打ち合わせくらいは誰でもしているのが常である>が、少なくとも今回の東電TV会議ではそれがなされなかった。それどころか<それぞれが注水中断に疑問をいだきながら、あいまいに「合意」が形成された>(5/29朝日)のである。
∇──という訳で、経営陣に罰する資格があるかどうかは別として、①合意事項無視の罪、②発電所長名で注水開始の虚偽報告をした罪により吉田所長は何らかの処分を受けるべきである。勿論、経営陣・本部スタッフの責任はより甚大であり、後日糾弾される必要がある。彼らは、IAEAの調査団や政府の独自調査等で明らかにされる事実との関連で、社会的に大きな制裁を受けるべきだと考える。吉田所長の「独断」は、少なくとも「事故の拡大」防止には寄与したとは思われる。たゞくどいようだが、正当な企業や組織体であれば、事後であれキチントした「報・連・相」が為されるべきで、ルール違反を見逃していると、必ず組織全体の統制が崩れ、孰れ大惨事を引き起こす遠因となることを承知しておくべきであろう。尚、巷間言われるように、<清水社長、武藤副社長以下の経営陣や本部スタッフと現場責任者である吉田所長との間の対立>というドス黒い構図も透き見えることは先述した通りである。「親方日の丸」企業に抜本的メスを入れるべき所以である。付録に「孫子」余話。
≪君主と将軍≫
それ将は国の輔(弼)なり。輔、周なれば則ち国必ず強く、輔、隙あれば則ち国必ず弱し。(そもそも将軍とは国家の輔弼(助け役)である。その助け役が周(主君と親密)であれば、国家は必ず強くなるが、助け役が隙(=間隙=主君とすきまがある)であれば、国家は必ず弱くなる。(「孫子」謀攻篇)
≪暖かさと厳しさと≫
将軍が兵士を治めていくに当っては、兵士たちを赤ん坊の如く万事に亘り気を使うべきだ。それだからこそ兵士たちも軍行を共にし、危険な場所にも赴くのだ。そして又、兵士たちを我が子の如く愛すれば、兵士たちは将軍と生死を共にするものだ。だが、兵士を可愛がるのはよいとして、手厚くするばかりで仕事をやらせることができず、又、命令することもできず、乱れてもそれを制することができなければ、譬えてみれば「駄々っ子」のようなもので、ものの役には立たない。≫(「孫子」地形篇)
≪部下の訓練≫ (「史記」孫子伝より)
∇孫子が呉の国の王様にお目見えした。その際、呉王から「貴殿の書いた兵法書を読んだ。実践で軍隊を指揮して見せてくれぬか」と乞われたので孫子は「いいでしょう」と答えた。呉王「女どもで試せるかな」孫子「やってみましょう」。そこで宮中の美女を呼び出し、180人が集った。孫子はそれを二隊に分け、王の寵妃二人をそれぞれの隊長に任命し、皆に武器を持たせて命令した。孫子「お前たちは自分の胸と左右の手、背中を知っているな」女官達「勿論知っています」孫子「私が前と合図をしたら胸を見、左と合図をしたら左手を見、右と合図をしたら右手を見、後と合図をしたら背中を見よ」女官達「分りました」。孫子は前後左右の合図を太鼓の打ち方で取り決め、女官達に何度も訓令し申し伝えた。そしてその後、初めて右の合図の太鼓を打った。女官達はどっと笑った。
∇孫子「取り決めが徹底していなかったようだ。将軍たる私の罪だ」。孫子はそう言って繰り返し訓令し、何度も申し伝えたうえで、左の合図の太鼓を打った。女官達はまたどっと笑った。孫子「先には取り決めが徹底せず、命令が行き届かなかったのは将軍の罪であったが、今度はすっかり徹底しているのに取り決めどおりに従わないのは隊長の監督責任である」。そう言って孫子が王の寵妃である左右の隊長を切り殺そうとした。高台で見物していた呉王は慌てて使いの者をやり、「分った、分った、貴殿が軍隊を指揮する腕前はよく承知した。二人の妃を殺さないでくれ」と伝えさせた。孫子曰く、「私は王の命令を受けて将軍となって隊を統率しています。軍中にあるときは、<君命に受けざる所あり>、です」と。遂に二人の隊長を斬り殺し、次の者を隊長にならせた。こうして太鼓を打つと、今度は女官達は前後左右命令どおり整然と指揮に従った。──王は意気消沈して宿舎に帰ったが、孫子の技量に心服して呉の将軍に取り立てた。