『不信任案否決後』
タイジン恐怖症です──菅首相
(上尾・あの爺…朝日新聞「かたえくぼ」より)
∇今日は昨日に続き産経記事について。先ずは④公明党の山口那津男代表は「大山鳴動して(ネズ一匹)という感じだ。云々」。──≪事前の騒ぎばかりが大きくて、実際の結果が小さいことをいう、西洋のことわざ。「大山」は「泰山」とも書く。≫(「大辞泉」) 「ギリシャ・ローマ名言集」(岩波文庫)に、山々が陣痛を起こして、あほな鼠が生まれるんだろう、というのが原文で、ホラティウスの「詩論」にある、とし、≪多少漫画めいた原文を、「大山鳴動して……」という堂々とした漢文調の日本語にしたのは名訳だが、その訳者がだれであるかはわからない≫とある。「岩波ことわざ辞典」に、≪日本では、「大山鳴動して一鼠(いっそ)出づ」という形が『日本俚諺大全』(1908年)に見える。この書は、読者が投書で参加でき、当時普通に言い慣わされていたことわざを内外の区別なく日本のことわざとして収録しているものなので、これ以前に西諺として紹介した文献があったかと推測されるが、まだ追究しきれていない。≫とある。ホラティウスの原文の≪あほな鼠が生まれるんだろう≫から、現在ならこう訳す人もいるに違いない。「大山鳴動して、政界の碩鼠(せきそ)ばかりなるを知る」と。碩鼠は「阿呆ネズミ」又は「腹黒大ネズミ」。
∇次に、産経記事②の≪不信任案否決後は謀略説まで流れた。ある自民幹部は小沢氏周辺にこう打ち明けられて絶句した。「もともと菅首相に鈴を付けるのが目的だった。これが小沢さんのシナリオだったんだ…」≫について。これは一寸考え過ぎだ。現在の小沢氏にそんな大策略を打つ器量と余裕は無い。小沢氏の本音はたゞ一つ、「菅降ろし」だったに相違ない。党員資格停止事件以来の菅氏に対する屈辱・憎悪・私怨はそう簡単には消えない。民主党内を鳩山グループとも携え、数で揺さぶって、菅首相退陣の泣き面が見たかった。西岡参院議長と同程度の幼稚な動機だった。たゞ、小沢グループが内閣不信任決議案に賛成しても、自民党はマニフェスト遵守に固執し、「政治とカネ」の古傷を持つ小沢氏と手を組む愚を犯す可能性は低いし、万が一クーデターに失敗して、民主党除籍処分を受ければ、子分やチルドレン達が路頭に迷う。「後はオレが総て面倒をみる」と意気込んでみたものゝ、グループ全員がスンナリついて来るとは確信が持てない。ウヤムヤのうちに一夜があけ、“青天の霹靂”が待っていた。菅─鳩山会談だ。急転直下、鳩山グループとのタイアップ策が崩れた。“策士、策に溺れる”──小沢氏は消沈して引籠もった。
∇一方鳩山氏に対しても、6月3日の日経新聞コラム「春秋」は、<もしかすると鳩山由紀夫前首相はすごい政治家なのではないか。ふとそんな思いを抱いてしまった。>として次のように論じた。<「菅直人首相率いる内閣に対する不信任案。衆院本会議で最終的に否決されるまで、鳩山さんが見せたパフォーマンスは印象的だった。まず菅首相に自発的退陣を求めた。断られると、野党が提出した内閣不信任案に賛成する考えを示した。おきて破りの荒技で首相に圧力をかけた格好だ。そのうえで、首相の条件付き退陣表明と引き換えに不信任案への反対を表明した。その結果、小沢一郎元代表を軸とした民主党内の造反ムードは、しぼんだ。何人かは出たが、大量の造反で民主党が大きく割れる事態は免れた。同じ国会の会期中に内閣不信任案を再び提出することはできないため、野党はこの武器を当面使えなくなった。こうした展開を読みきったうえで動いていたのだとすれば、鳩山さんの政治センスは悪くない、と言わなくてはなるまい。もっとも、菅首相の粘り腰までは、鳩山さんの読み切れなかったようにみえる。>と。これも買い過ぎ。丁度一年前、鳩山氏は退陣するに当り、次の衆議院議員選挙には出馬せず、政界を引退する考えを表明していた。口&腰の軽い鳩山氏に<政治センス>などある筈が無い。
∇──以上を書き終えた処で、「今日釣りに行ってきて、アジを20枚上げた。一献やろう」のお誘いが入ったので、「久保田」一本を持参してご馳走になってきた。相手は東北出身の76歳の元気爺様。政局に憤慨して呂律が回らなくなってきたところで退散してきた。珍しく今朝の「天声人語」を盛んに推奨していた。当ブログでも要所を抜粋しておくことにする。≪▼あすが就任1年の記念日なのに、周辺に続投をいさめられ、菅さんも夏に辞める覚悟らしい。これで首相は5人続けて「1年交代」。まるで生徒会長だ。お元気な「元首相」は実に12人に増える▼存命の元大統領や元首相は数人というのが主要国の相場だろう。日本の首相は賞味期限が短く、地位は軽い。吹けば飛ぶから権力争いが絶えない。次もつなぎのようだし、しばらくは連立、分裂、新党、再編といった政局用語が幅を利かせそうだ▼総選挙をやるたびに、約800億円の公費が消える。政治家の使い捨てはもったいないのだが、昨今、国会議員の多くはアタマ数として政局に参じるばかりで、血税に見合う仕事をしていない。大連立にしても、被災地より自党を思ってのことではないか▼ただ、メディアも世論もせっかちは禁物だ。もう誰がやっても同じ、という政治的ニヒリズムが怖い。無力感を突いて妙なリーダーや息苦しい社会が生まれ来ぬよう、憂さ晴らしの暴力を許さぬよう、こんな時こそ目を光らせたい≫。