ばん馬のいる風景-BANEI Photo Gallery -

ばん馬の写真とコラム。2021年夏まではツイートまとめも載せています。

上富良野町へ

2022-09-28 08:31:43 | 2022年
上富良野町には「馬の霊園」がある。そのほかにも馬魂碑があったり馬頭観音が多かったりと馬への思いが強い地域と感じ、この付近の碑や郷土資料館を訪ねることにした。

まず「馬の霊園」。こちらのサイトによると、馬の霊園条例があるのは全国でもここだけとか。
こちらのサイトのおかげで霊園のことを知ることができました。ありがとうございます
https://bellac.web.fc2.com/Resized3/261005.htm



人間の霊園のそば、坂をのぼったところにある。
看板が外れていたので、下に蛇がいないかドキドキしながら持ち上げて置いておいた汗
卒塔婆が倒れていたのか、減っていたよう。雪の影響もあるのだろうか。
花やズッキーニ(?)の置かれた卒塔婆もあったので、長年守られているところもあるようだ。

その前に、何か調べられればと上富良野町郷土館を訪れた。
中心は十勝岳噴火。そこからどのようにして立て直してきたかという三浦綾子の「泥流地帯」の世界。今映画化プロジェクト実施中。まだ映画化されていないんだって印象。ぜひぜひ全世界に上フを。
http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/index.php?id=2137



さて、馬の資料は思ったより少ない。開拓においても火山性の土地でどのように開墾するか、と工夫してきた土地のよう。

駄載の写真や、駄鞍がある。道南のイメージだったので意外。
泥流地帯だからと勝手に意味づけてしまうが、他地区に写真や資料がないだけなのか。

馬耕は稲作が多いのが富良野らしい。
ちなみにこの時期富良野地区は収穫っさかりで、どこも忙しそう。玉ねぎはこんなに獲ってた?ってくらいどこでも見かけた。ほかにはトウキビ、何か豆。稲穂が輝いていた。

資料館では外にある第2資料室も開けてもらった。というか郷土館自体職員は常駐していなくて、近くから公民館の人が来て開けてくれる。

駄鞍はこちらにあり、馬橇も数種類あってちょっと安心。
林業の町のはずなのに、なんで馬搬道具がないのかと思っていた。

Jを寝かせた「柴橇(柴巻橇)」や、丸太の端を載せる「たま橇」など各地の資料館でよく見るもののほか、平面の「ベタ橇」「藪出用バチ」も展示。使い方は同じなんだろうけど、違いはなんなのだろう。

それから、十勝岳爆発横死牛馬「追善記念碑」へ。
農家さんの自宅の一角で写真を撮るのも憚られる…
馬25頭と、牛や豚などの家畜も犠牲になった。
十勝岳はあんなに遠くに見えるのにな。

十勝と名がつくのに十勝からはほとんど見えない十勝岳。
十勝川の源流があるからだそうで。

開拓記念館(こちらも十勝岳噴火関連とのこと)は金曜休みでした。

何か忘れてると思ったら、馬魂碑に行き忘れた!
場所も確認しようと思ったのになぁ。富良野は意外と帯広から近いので、またの機会に。
https://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/2809nakamura.htm


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ブログの在り方

2022-07-23 18:24:36 | 2022年
実はこう見えて、体が弱い。
私体が弱いんですぅ的なかまってちゃんにはなりたくないので絶対ネットでは言わないようにしていた。
子どものころからつらい思いをしてきたんだから。
やりたいことたくさんあるからその弊害になるのもいやだ。

でも結構限界だったり、「自分死ぬかも…」って思うこともあって、
まずは資料や思いだけは、しっかりと残しておこう、と決めた。
なのでこれからのブログは個人的な思いをぶちまけていこうと思います。
そんな変なことは言わないけど(^_^;) どうでもいい自分なりの思いです。
基本インターネットが嫌いで、ネットなんかで正直な思いなんて言いたくなかったんだけど、ここで残すしかないのかなって。

とはいえ、どうやって資料を残していけばいいのかなって試行錯誤中。

楽なのですぐツイッターに流してしまう。
データは残しておきたいからって、以前はブログにツイッターを張り付けて…ってやっていたけど、体力的に無理だ…
ツイッターって一過性なんだよな。あとでも見ないよねぇ。
ということでツイッターのまとめ転載も昨年6月で終了です…

まずは体がもつ生き方をしていこうと思います。

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母として

2022-03-09 22:09:14 | 2022年
私がサラブレッドの競馬を始めたころは、「名馬の子は走らない」というのが通説だった。
牝馬は特にそうだった。「早く引退して繁殖になったほうがいいんだ」、そんなセリフを20代のわたしは悔しく感じていた。
サラブレッドの世界では、もう昔の話。名馬の子たちが次々と活躍している。

ただ、ばんえいはまだ「走った牝馬の子は走らない」と言われる。センゴクエースなんて稀なケース。非科学的な言葉だって当たり前のように聞く。

それでも名馬の子を取り上げたい、そう願う人がいる。昔ながらの考え方に「こんちくしょう」と思ったこともあるのかもしれない。「ほれみたことか」とほくそ笑んだこともあるかもしれない。

日本海を望む牧場で、夢を持って、努力して、試して、我慢して、大切に、大切に、彼女を見守ってきた姿を見させてもらってきた。
引退して2年、ようやく身ごもった。「今ねぇ、これだから!」と奥様は、お腹の前で手で丸みを作って見せた。まるで娘や嫁のように。

出産は命がけ。それは人も馬も同じ。
それにしても、あまりにも無情だ。関係者の心労はいかばかりか。

無事に出産して、競走馬になるのは、当たり前のことではない。奇跡の連続だ。
わかっていても、忘れてしまいがちだけれど。
春に引退した牝馬が、子を産んだ話を聞かないまま、名前を見なくなっていることがある。
知らないところで、悲しみや悔しさが生まれている。
しかし、そこからまた、新しい命に夢をかけているから馬産が続いているのだ。

キクが、少し先に天国へ行ってしまった芦毛のわが子と、連れ添って歩く姿を想像する。
…子どもにえさあげずに自分だけ食べてそうだな!
空でずっと親子の姿のまま、幸せに過ごしていてほしい。お疲れ様、キサラキク。

(気にかけてくれたから、と大変な時期にかかわらず、ご連絡いただきました ありがとうございます)

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HOKKAIDO LIKERSさんに取材していただきました

2022-02-28 22:48:31 | 2022年
先日、HOKKAIDO LIKERSさんに取材していただきました。
楽天競馬の「ばんえい十勝応援企画」のひとつ「ばんえい女子」で、女子!? 私でいいんかい!! と思いつつ、登場させていただきました。
https://hokkaidolikers.com/archives/51229

いつも取材する立場なんだから、わかりやすく、と思いながらもダラダラと雑談……ライターのたてかわさんには、私のこんな話をよくまとめていただきました(泣) すいません……

LIKERSさんは、地元の発信者を増やすべくライター養成講座を開いている。昨年は十勝、ばんえい対象の講座があった。
文中でも触れているが、もっとライターが増えれば、いろいろな視点も増えて、なにより私の力不足を補ってくれるのではと……。
というのもあるし、実際、記者やライターとしては当たり前のことをしていても、ばんえい競馬は取材者の数が少ないからなのか、特殊な行為をしているように思われてるのか?と感じることが多々あり……
でも当たり前か、それ以下なんだよなぁ。優秀な記者ならもっといろいろとできるのかと思うともどかしい。下手くそで、力不足を実感する毎日。
自分しかいないからって忘れてしまうこともあるけど、そうならないようにしなくてはなぁ。

閑話休題。たてかわさんは競馬愛にあふれていて、今後のばんえい取材も安心です。
話をしていると、ばんえいを伝えたいという気持ちがあって、競馬だけではなく乗馬など幅広い馬への知識もある。出会いが嬉しかったです。
LIKERSのライター、という立場だけではなく、さまざまな場面から、ばんえいを発信してくれるファンが増えることを願っています。

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馬にニンジンをあげること

2022-02-21 20:31:47 | 2022年
ちょっと昔の話なのだけど、「にんじんあげ」について思ったこと。(結論出ず)

札幌の大丸で馬搬イベントがあって、厚真町から元ばんえい競走馬のカップが来た。
馬にあげられるようにと、帯広競馬場と同じように、紙コップに細く切られたニンジンを入れて売っていた。
馬とのふれあいのシーンはほのぼのする。しかも札幌。街中のイベントなんて、いつ以来だろう。

怖がってぎゃーぎゃー騒ぎながらニンジンをあげようとする女子高生と、それを見て笑う友人たちがいた。
教室の一角のようでちょっとだけ懐かしさを覚えつつ、カップの気持ちが気になる。
横で世話していた人が心配そうに「こうなっちゃうから…」とつぶやいていた。

ふれあいでも見かける光景だ。
怖がってニンジンを手から落としてしまう。すると馬がにんじんの方に頭を下げるから、襲われたと思って人間が「ぎゃー」と驚く。それに馬も驚く。
馬にしたら、目の前に食べ物があるのになかなか食べさせてもらえないことはストレスだろう。

最初は難しいし、だからやめろっていうのではない。何事もほどほどで、馬とのコミュニケーションの一つとして「にんじんやり」があるのは悪いことではないと思う。

怖がりながらニンジンをあげようとして失敗する子と、堂々と怖がらずにニンジンをあげる子。それを見た家族は、我が子の新しい一面を発見するのだろう。
実は子ども目線で馬を見上げるのは、正面から大人が見るよりも怖く見えてしまう。

ただ、たまに「ニンジンあげ機械みたいだな」と思う。動物という感覚を忘れてしまうのか。
といっても非難したくはない(ニンジンあげ禁止!とかは本末転倒)。
馬が身近にいないんだからそれは仕方がない。それを解消するために、このような馬たちがいる。
とはいえ「にんじんくれくれおじさん」になっている馬の姿を見るのは辛い。

私としては、以下のような認識を持っている。
・にんじんは主食ではなくおやつで、与えすぎは良くない。馬は甘さを好んでいる。
・人間が怖がってあげようとするとかえって馬のストレスになる。
・馬は草食だから人間食わねーよ。っていうかニンジンも根菜だから基本食べないが、最初に誰かが食べて、おいしかったから食べるようになる。

だから、たくさんニンジンをもらっているふれあいの馬たちに、今更あげるのも…と思う。
でも、自分が冷たい人間みたいで思わずニンジンを買ってしまう。それもだめだよな…
というか、動物に食べ物あげるのって楽しいか、と聞かれると自分はそうではない。
最初に好きになった馬が競走馬なので、ニンジンをあげられるという考えが最初からなかったからなのか…ここは感覚なのかな。

でも「ニンジンを与えないで」という馬にこっそりニンジンを与えるのは問題外。
だめだって言ってるのに、馬を病気にさせるつもりか。
これってなんなんだろう……そこまでしてあげたいのか……

昨年亡くなった愛馬は、ニンジンが好きだった。ビニール袋の音に反応して走ってきて、同じ放牧地の馬にあげようとすると耳を絞って追っ払った。
でも、「ニンジンをくれる人」としか自分が認識されていないのかな、と思うとさみしかった。
草を刈ってあげることもあった。目の前に伸びたての青草があるのに、私の手から引きちぎって食べてくれる姿がいとおしかった。
(伸びて大きくなったものより、柔らかい新芽がおいしいらしい)
コミュニケーションの一つだったな、と思う。そこにいる姿を見ているだけでよかった。

アップリケ牧場さんのホームページにある、「おやつルールの徹底について」が乗馬クラブの考え方としてわかりやすいかと思います。
What's Newの2020.12.4から行けます。

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