Nyancoin Bakery / 江都屋

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ワイシャツ

2009年03月16日 02時09分09秒 | ヨタ話/写真
 ワイシャツは何ゆえにあれだけ細かい寸法分けがなされているのだろうか。

 ワイシャツを買おうと売場に向かっても、あの種類の多さにウンザリする。首周りと袖丈をぴったりとさせたいというのがその理由ではあろうがしかし、店で採寸してもらい、その通りの寸法のシャツを購入しても、それが実用的であったためしがない。人は、気ヲツケの姿勢のままで一日過ごすものではないのだ。

 あなたにはこのサイズ、と差し出されたシャツは、ただ気ヲツケしているぶんには申し分ないものだったろう。しかし人は普通、荷物を抱えて歩いたり、知り合いに挨拶したり、満員電車で吊革に手を伸ばしたり、タメイキをつきうなだれたり、笑ったり、パソコンの画面を食い入るように見つめつつ肩肘はりムムムと唸ってみたり…つまるところ様々な動作をするものだ。

 動く度に窮屈さを感じさせるようならば、あの細かい寸法分けは、仕事着としてのワイシャツにはまったくの無意味だ。あるいはこれは、売る側の想像力の欠如とも言えるのではなかろうか。その反動が、宴席においてネクタイで鉢巻をしてシャツのボタンを二つ三つ外したりするサラリーマンを生み出しているのかもしれない(ちがうかもしれない)。

 花粉症対策用のマスク、なんてのも同じような問題があるように見える。いかにも顔面にぴったりフィットして快適であるかのように見せてはいるが、それはマスクの下で無表情に徹し、誰とも言葉を交わさぬ場合に限ってのことである。もっとも、最近のものはぴったりフィットしつつ伸び縮みするものもあるようだが。

 どこやらの国では、日本式に腕を垂らした状態ではなく、両の腕を水平に挙げ、肘を直角に曲げ指先を前方に向けた(平泳ぎの途中みたいな)状態で採寸するのだと、何かの本で読んだことがある。なるほどそれならば、ある程度の動きにも対応しよう。ちょっとした想像力が生み出す差というものは案外大きいのだ。

 そんなわけでワイシャツを新調するのについつい臆病に(?)なっていたのだが、意外で簡単しかも安価な解決策があった。首周りも何も気にせず、単にユニクロでXLサイズのワイシャツを買ってきて、袋から出して着る。それだけでよかったのだ。襟は苦しくなく、袖の長さも充分で、柔らかめの生地は着心地も悪くない。しかも安い。サイズはS、M、L、XLというのみ。かしこまった場で着るわけでもなし、一種の作業服と割り切るならばこれでいいのだ。

 

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