食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

 ◇真の命

2006-09-04 23:24:34 | 宗教

キリストの言葉に次のようなものがある。

「人はたとい全世界を手に入れても、まことの命を損じたら、何の得があるでしょう」

まことの命とは人間の霊的な命である。感謝する心、感激する心、万物を慈しむ心、人間を愛する心、たましいといった物も、含まれるのかもしれない。



 どれだけの財産を得ても、財の有り難味を忘れてしまったら
 どれだけの健康を得ても、健康への感謝を失ってしまったら
 どれだけの能力を得ても、相手を敬う心を失ってしまったら
 どれだけ平和な国でも、国民が平和の価値を見出せなくなってしまったら
 どれだけ美味しい物を食べても、その美味しさを感じられなくなったら



その人間の人生は恐らく空しい。英国では富豪ほどよく自殺するという。
物が豊かになっても、
物を大切にする心を失ったら… 今の日本にグサリと突き刺さる言葉ではないか。



生きてはいても―
全てを手に入れた日本人に無いもの、それは真心 誠心誠意 正義心 団結心 愛国心といったであるように思われる。まず社会に血が通っていない。困った人間に手を差し伸べる人間が居ない為、イジメも虐待も詐欺も傷害も戦争ももうやりたい放題なのだ。

「我々は平和を失うまでその尊さを知る事はできないのか」
人間にはきちんと平和へ
感謝する心が備わってはいるが、如何せん現代には霊の命を葬る障害が多過ぎる。常に命の門を選び続け平和を守り抜いた江戸時代の人間は本当に良くやったと思えるが現代の日本人は心を失い、視れども見えず聴けども聞こえず食えどもその味を知らずの盲目状態に陥っている。

今の日本に真の平和と自由があるだろうか?

あるのは協力し合う事もできず人間と人間が親子同士でさえ解かり合う事のできない無機質で無慈悲な平和と、飲酒運転で一瞬にして他人の幸福を奪って良い自由。己を制し得ない者が自由人を名乗る事などできる筈はない。このまことの命を損じる死(楽)の門の先に、究極の堕落・戦争が待ち受けている。










神は傍観者に過ぎない
神は人間が戦争をしようと平和を築こうとどちらでも良いと考えているのではないだろうか。神の仕事と言えば平和を築いた人間を天国へと迎え、平和を壊した人間をひっ捕らえて地獄の火炎の中へ放り投げる事。各人の信仰の過ちを正す事など職務外。今も昔も平和を壊している某宗教の変わり映えの無さが、それを証明している。





 

 

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