食と世界

食と世界についての雑記 菜食・断食の勧め

パウロ書簡を捨てる

2012-02-11 10:57:00 | 焚書/解体


新約の文書は全てナザレ人イエスと道端ですれ違っても気付かない
人々によって書かれている。書き手で唯一真作(著者と著者名が一致する)書簡を持つパウロもイエスに師事した人物ではなかった。

パウロはシリアの教会の後援で宣教活動を行いそこはまだ律法主義的ユダヤ人キリスト教徒の場所でもあった。
律法放棄を訴えたパウロの主張は所属教会からも糾弾されることがあり、手紙の中でパウロは大々的に反論、告発を展開している。

4世紀に新約聖書が綴じられ新生カトリックが始まってからもパウロに反駁する声は止んでおらず、その急進的ユダヤ神学を正統とはしていない教団が存在したことを証言している。



原罪思想:原罪 =全ての人がアダムとイブの過失から受け継いでいる罪・欠陥。人類はイエスの十字架の贖いを信じる事によってのみ原罪が癒され神の恩寵を得られるとしている。

信仰義認: 善行やユダヤ人の誇る律法の遵守は神の前に役に立たず、キリストへの信仰によってのみ人は神に認められるとする。
「なぜなら、律法を実行することによっては、誰一人神の前で義とされないからです」(ローマ3:20)

ユダヤ教では律法(トーラ)の遵守で神に義認されるため、1世紀に『使徒行伝』(パウロを英雄視した伝道物語)を書いたグループにもこの信仰義認の考えは完全に無視されている。


ローマ帝国全体ではせいぜい1~2割の人間しか字を読む事ができず、書く能力のある人間は更に限られた。
「書ける」類稀な強みを活かしてパウロは新体系を成文化し現トルコ・ギリシャ周辺に次々と教会を建てる助勢としていた事情が窺える。

それら新教義は原始教会には完全に忌避されたが、最終的な勝利者となったのは文書を残した側だった。キリスト教の鼻持ちならない独尊が神の顕現がイエスとは関係のないものへ譲渡された所に源泉を持つことはもう語るまでもない。



現在人口爆発を起こしているのは旧被支配国、自国の事を自国で決められなくなった地域である。

貧困国に食料を作らせている日本人の食べ方や買い方も世界の飢餓に影響している(自炊の勧め
参照)。バレンタインデーにチョコレートを贈与する慣習があるのは世界でも日本だけなのはご存知だろうか。

フェアトレード(公正貿易)の機運が高まっているものの、そもそも
不公正な貿易・劣悪な労働を押し付ける差別思想がどこから始まっているのか私達は考える必要がある

画像出典: jesusneverexisted.com World’s Population Graphs

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誰が聖書を書いたのか

2012-02-02 01:33:23 | 焚書/解体


神に感謝しつつ世界中を踏み荒らしていた西洋人も、聖書自体は殆ど読んでいなかったという。(17世紀の欧州の識字率は2割未満) 結局キリスト教が神の前に曝したのはあるキーワードを覚えた人間の霊性がどこまで朽ちて行くのかという事でしかなかった。

現在聖書には鋭い宗教批判のメスが入り、新約27書の大半が
著者名を偽った偽名書という有力説を否定する事は難しくなっている。(使徒マルコもヨハネも文書を書いていない)


考古学研究によれば1世紀のガリラヤ地方はアラム語を話すユダヤ教徒の田舎集落で、イエスが連れ添った貧しい農漁民達に識字と筆記の能力は乏しかったとされる。アラム語が書けないのに流暢な外国語で長編文芸を綴る事など不可能に近い筈だが、キリスト教文書は高い教養を持つギリシャ語を話すキリスト教徒によって記されたというのが現代聖書学の通説だ。

偽書の山
『コリント人への手紙III』 『ペテロの福音書』 『ヨハネ行伝』など驚くほかない大量の偽造文書の主要な発生源は、宗派間闘争にあったと言われる。 外典・偽典群

新約聖書を開くと
「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロから...」(ペテロII 1:1) などとなりすまし犯が白々しく登場し、中途から異端への攻撃が始まる。まず自分自身に省みるべき処があるのでは?と促したくなると同時に、意図的な偽証という破廉恥に属する文書が「聖」の書を名乗っている歪さへの違和感も湧いて来る。

イエスは“預言のメシア”か
ユダの裏切りの銀貨30枚で畑が買われる場面、マタイは満を持して
「こうしてエレミヤの預言が成就した」(マタイ27:9)と宣言する。ところが、エレミヤ書のどこを探してもそのような記述はない。

ユダヤ教の
「旧約は何らイエスという男を預言していない」という主張の検証はせず、キリスト教徒はユダヤ教徒を聖書で殴殺し続けた。これはキリスト教が現実を直視できない、論理や理性から隔たった幻覚の世界であるが故の不条理だろう。

新約が人工の書物群(同時にヤーウェの敵)である事を認識できたら、キリスト教は聖書を返却しより真実の神を求めて独立し出直すのが善かろう。復活如きに重点を置いた哀れな信仰体系がイエスに認められる筈もない。



世界人口の推移
1500年 5億人
1700年 6億人
1900年 16億人
1980年 45億人
2011年 70億人
2050年 93億人


18世紀以降の差別と腐敗に端を発する悪しき支配モデルの継承により
商品作物の集中的栽培(プランテーション)を命ずる奴隷制は現在も隆盛が続いている。強欲を容認する紙屑が神威を放っている限り、この軌道は正せそうにない。

日本人は聖書に馴染みが薄いけれども、無制限の肉食、人権侵害、金銭の勢力という西方の伝統に染まりつつある現状を凝視すれば、その正体を知る事には益もあるはず。問題は根幹部分から修正すべきであって、この国は政治が歪んでいるのではなく人間が歪んでいるのだ。


画像出典: Church of the Flying Spaghetti Monster World’s Population Graphs






 
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聖書を焼く

2012-01-22 07:55:20 | 焚書/解体


伝統的なキリスト教と聖書は、決して天から降ってきた物ではなく、ユダヤ教徒同士の仲違い、競合する様々な思想、文化的要因の中に長い醸造期間が見出される。そして最終的に発展したのはイエス自身が奉じていた宗教からは大きく乖離して成立した、人間の創造物であった事に疑いの余地はない。


出来合いの既製品に対して「懐疑」の勇気を人類が持てていたなら、起きないでいい悲哀史は幾らもあったであろうに。あらゆる不条理も悪徳も神の名で正当化できてしまうキリスト教だけに、激動する暗黒の波動を支え切る一切の観念は登場し得なかったのかもしれない。

第1次大戦後、人種差別撤廃の理想を掲げた日本の提案は既にアジアを
奴隷工場として所有する西欧の警戒で却下された。"戦犯""侵略者"と呼ばれていようとも、異国にたかる差別主義者の帝国主義時代を生きてくれた先人には感謝の念を捧げる事しか私にはできない。たじろがずに書く事ができない歴史の一つが下記サイトに簡潔に記されているので勇気のある方はご覧になっていただきたい。

黒人奴隷クンタの20年間=「世界商品」の生産と黒人奴隷制度=

第1章 襲撃  第2章 奴隷船への「積み込み」  第3章 奴隷船上の反乱  第4章 大西洋の三角貿易  第5章 奴隷船での日常  第6章 奴隷市  第7章 砂糖プランテーション …
「どっちなんだ?人間が神の失敗作なのか、それとも神が人間の失敗作なのか」フリードリヒ・ニーチェ







史上実在した神はさながら史上最大の怨霊であった。ここからは歴史化された神話、呪詛の紙を人類が如何にして捨てる事が出来るのかを模索する事にしたい。直解型キリスト教という汚れの除染が人類の明るい未来への第一歩となる。

例えば
裏切り~十字架刑が異教神話の再現なら、あまりにも有名なキリストを裏切ったユダは実在していたのだろうか。セトの一党がホルスを捕える場面とユダの一党がイエスを逮捕する場面は酷似しているという。

セトの一党がやってきてホルスを捕えると、彼らはホルスの額の王冠を目にして地にうつぶせに倒れる。   ユダとその一党がゲッセマネの園に入って
来る。「イエスを捜している」連中に「それは
私です」とイエスが答えると途端に彼らは
後退りして地に倒れた。 (『ヨハネ』)

ユダの史実性を揺るがせる今一つの論拠はその死に方である。『マタイ』27:5では首吊り、『使徒行伝』1:18では地に落ちて体が裂けた(飛び降り?)と不一致になっている。

イエスの元型の一つである旧約聖書のヨセフにも12人の兄弟がおり、銀貨20枚でイシュマエル商人に売られた(イエスは30枚)。ヨセフを「売ろう」と言ったのは弟のユダだった。(創世記37:27)

既存の書物の改訂版という事実が示すのはそれが歴史上起こった出来事ではないということだ。


中世以降強権を得たローマ教皇が富貴に狂乱しながら人民を残虐政治で痛めつけた痕跡の残る欧州では、キリスト教に対する疲弊感も根強い。

18世紀には遂に欧州人も聖書を焼き払うようになり、 空気の美味しい新天地米国へ競って移住して行った。割と敬虔な仏国でも現在毎週礼拝へ通う信徒は全体の1割強ほど。英国では5%を割っている。

グロテスクな積年の残虐行為の反省もなくキリスト教勝利主義、聖書原理主義へ返り咲くなどはあって良いことではないだろう。イエスが架空か実在かはキリスト教にはあまり関係のないことでもある。ナザレのイエスがこれ以上キリスト教徒の振り回す玩具であってはならないのだから。

画像出典:Sainte Eglise du Monstre en Spaghetti Volant NNDB: Tracking the entire world






 
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聖書原理主義の終焉

2012-01-18 07:20:13 | 焚書/解体


  イエスとマリアの先駆けと目されるエジプトの大地母神イシスと孝行息子ホルス


新約聖書の物語は天体と自然力を中心に回った古代の知識の表現であることを私達は発見できる。実在の人物を登場させた説話が聖書に同化され先祖の記憶が薄れると、古代から頻繁に登場した比喩・象徴は
史上実在した物語へと転換され、この上ない暴虐の歴史の扉を開くことになった。

大陸の侵略
18世紀、豪州へ着いた英国人は先住民アボリジニの掃討を開始。虐殺と人間を
スポーツハンティングの獲物にする娯楽的殺人の結果、百万人いた先住民人口は1割以下に減少した。

欧州人の大陸侵略はキリスト教教理によって推進されるのが常だった。第一にイエズスが信徒の罪を買い取ってくれて晴れて無実の身(殺し放題)であるし、真実の神を植えつける事は無上の宗教的行為に他ならなかったからだ。19世紀のタスマニア島、ニュージーランドでもジェノサイドの末に土地が奪われた。(何が鯨だと憤る人も多いだろう)
実によって木を見分けられるというイエスの言葉が想起される。

「歴史に記録されている世の中で最も極悪で残酷な罪は、宗教という名の下に行われている」 マハトマ・ガンジー
オーストラリア人による人間のスポーツハンティング


史上最大規模の奴隷制
欧米キリスト教徒が近代史において一体何をやってきたのかと言えば、飽くなき殺人と飽くなき人間・自然の換金だった。15世紀にポルトガル人が始めたアフリカ人奴隷の売買は北南米の征服で軌道に乗り、都合
2千万人以上の黒人が新大陸へ連れ出された。航海中の死亡率は20%前後あったと言い、大農園での(砂糖、タバコ、綿花などのプランテーション)過酷な労働で死亡する者も多かった。

日本でも織田信長へ宣教師から黒人奴隷が献上されている。(弥助 - Wikipedia) 教科書には載っていないが耶蘇教徒を優遇し布教を許可していた秀吉が宣教師(伴天連)追放令の発布、鎖国体制確立の第一歩に踏み切った背景は
日本人奴隷の海外流出に恐れと怒りを抱いた事だった。
豊臣秀吉を激怒させた南蛮人の日本人奴隷貿易 - ひろむの一言メモ
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?! - ニッケイ新聞


利益に目が眩んだ集団が自身の行為を人道に照らし合わせて省みる機会は殆どなかった。何故なら唯一正統なる神を奉ずる自分達には精霊の導きがないはずがないからだ。

100年前に世界の8割以上を全面的に支配していた欧米は征服可能地が飽和するにあたっては利権の綱引きから世界大戦を起こした。
「たとえ全世界を手に入れても真の命(=霊的な命)を損じては何の得があろう」というイエスの言葉が思い起こされる。

「不条理なものを信じているものは悪事を犯す」 ヴォルテール



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


古代ローマで神々に熱狂していた人々も、それが歴史上実在した神だなどとはついぞも考えた事はなかった。

おみくじ 破魔矢 厄除は真理か? 宗教は太古から子供の遊び心を以って
空想・憶測を楽しむ物に違いなかった。真剣な顔つきで異教を否定したり “唯一の真理” を触れ回る集団はかつてローマ帝国が睨み付けた、社会の異分子以外の物ではないだろう。

聖書のイエスは人類の罪を背負ったのではなくあくまで自分の責任で死んでいる。それは人間が如何に生きるべきかの手本を示したに過ぎない。

イエスが死んだ時点で「救われた」、「贖われた」と話を打ち切る集団は悪に倒されても最後は神が幕を引くのだという感動のラストへ行き着くことはできない。キリスト教の歴史は十字架が何万本あっても足りない、誰もが目を背けたがる巨悪が勝利して終わるストーリーを代々伝えて来たのだ。塵ホコリの様に散らされて行った無数の人生の為にも、聖書は再解釈されなければならない。


画像出典:L和風素材×フリー和柄素材 ネオジャポニズム






 
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誰がキリスト教を始めたのか

2012-01-11 18:40:42 | 焚書/解体


キリストとミトラスの驚くべき類似性(生活上の出来事、特徴…)は太陽崇拝という同一の発端に裏打ちされていた事が明らかになる。

 
誘惑 好敵手セトによってアメンタの砂漠から山の高みに連れて行かれた。 好敵手サタンによってパレスチナの砂漠から山の高みに連れて行かれた。
誘惑の結果 ホルスはうまく誘惑に抵抗する イエスはうまく誘惑に抵抗する
変身 山頂で変身する 山の高みで変容する
行動 水面を歩く。悪魔を追い払う。病人を治療する。盲目を治す。彼は彼の能力で海を静めた。 水面を歩く。悪魔を追い払う。病人を治療する。盲目を治す。彼は海に『静まれ!動くな!』と命令した。
死者の蘇生 父オシリスを墓場から蘇らせる ラザロを墓場から蘇らせる
(『ヨハネ』)
蘇生が起きた場所 Anu (エジプトの都市) ベタニア (Bethany:文字通りなら「Anu の家」)
大切な演説 山での説教 山での説教 (『マタイ』)
死に方 十字架での死 十字架での死
一緒に死んだのは 2人の泥棒 2人の泥棒
死後の運命 墓場に埋葬され3日後に復活 墓場に埋葬され3日目に復活
復活の報告 女性達によって 女性達によって
未来 千年間の支配 千年間の支配
肩書き Karast (KRST):
油を塗って清められた人
Christ :
油を塗って清められた人
他の名前 良き羊飼い。神の子羊。命の糧。人の子。漁師。選別者。 良き羊飼い。神の子羊。命のパン。(以上『ヨハネ』) 人の子。漁師。選別者。

変身:ペテロ、ヨハネ、ヤコブの前での変容。 演説:『ルカ』では平地の説教。 3人の十字架刑:ホルスも盗人に挟まれ刑死、埋葬、復活する。ローマ法ではイエスと強盗2人は十字架刑にならない。


初めの福音書『マルコ』には処女降誕も復活(16章後半)も記されていなかった。福音書の主眼は順当に"ユダヤ教の改革者人間イエス"で残りの奇跡譚・復活はあくまで付録的に付いて来ただけと考えることができる。

キリストに様々な尾ひれが付いた背景は1~2世紀のローマ世界という、史上最も多彩な神と女神で満たされていた特殊な土壌が影響したのだと思う。新宗教を売り出す際の必要で異教神話から模られ旧約聖書を経由した新たな救世主の偶像(アイドル)が創られた。見切り発車であったのか家系や降誕物語等のプロフィールにはボロが多い。

原始キリスト教とは恐らくキリスト教と呼ばれる事さえ嫌ったはずの、ユダヤ教徒の集団だった。しかし次第に“決別”は不可避になったのだろう。パウロら反ユダヤ的パワーの外部拡散を抑えられなくなり、そして明確に新宗教となるや、彼らは狡猾なレトリックでユダヤ教徒を神の敵に仕立て上げたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/キリスト教の歴史
しかし、ユダヤ教主流派による迫害を契機に各地に離散したヘレニスト(ヘレニスタイ:ギリシア語使用者)が精力的な伝道を展開し…





何者がキリスト教を創ったのか?
4世紀のエウセビオス著『教会史』によれば福音書はエッセネ派の文書だったとある。キリスト教運動は“エッセネ派の逆襲”だったのだろうか・・・? 結局、外部に適応する過程でキリスト教は1世紀から破損を続け、最終的には完全にローマの諸宗教と習合するのである。(「復活」と弟子達の伝道が起点だったとする教会の狂育は現実的観測でない)

数世紀の後に残ったのは元来有していた精神性が破棄された変わり果てた宗教だった。"原罪""契約""メシア" と辛うじてユダヤ教らしい所は残るものの、何れもが的外れな流用である。

ユダヤ教で言う一般的なメシアとはダビデの様な戦う王、漲る力でイスラエルをローマの植民地から解放する厳格な統治者のことだ。当時としてベツレヘムに生まれ、蚊を叩く様にローマ帝国に殺され、挙句墓場から甦る救世主など誰一人求めてはいなかっただろう。


キリスト教が現行の信仰体系を維持したいのなら、「聖書」のカバー+旧約聖書をユダヤ教へ返却してからにすべきだと考える。ユダヤ教から見たキリスト教文書は旧約と何の関連もない神への冒涜、現代まで連錦と続く迫害の種ともなったこの上なく忌まわしい偽典群だからだ。何より、聖書の神に息子はいないらしい。イスラム教でも「アッラーに息子などあるものか」(『コーラン』)と手厳しい。

原理主義者達が何を喚こうと、実数にして百分の一以下の聖書本家の訴えに耳を貸す気がない限り、物事の実相を正しく捉えることはできないだろう。

画像出典:LiveJournal.com

関連記事: 戦神ミトラス





 
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史実ではないキリスト教 2

2011-12-31 02:02:36 | 焚書/解体


スフィンクスは東側を向き何千年も昇る太陽を眺めている。古来最も太陽に畏敬の念を集め無数の太陽神を生み出したのは古代エジプト人だった。天文学と占星術から始まった膨大な伝承説話の一つで、後の時代に誤って一人の男の伝記へ転化されたと目される伝説について少し検証して行きたい。
http://freett.com/wolf_man/mcr/mokuji_eg.htm
>キリスト教ではイエス キリスト教では聖母マリア キリスト教ではヨハネ キリスト教ではラザルス

 
名前 ホルス(Horus:ギリシャ語)
ホル、ヘル、ハル(
Hor, Heru, Har:エジプト語) 
別名:ユー(イウ)
イエズス(ラテン語) イイスス
(ギリシャ語) ジーザス(英語)
イェシュア(ヘブライ語)
父親 オシリス (太陽神、農耕神) ヤーウェ (設定上)
母親 メリ (Meri マリー、マリア (Mary
義父 セブ、ゲブ、Seph=『エジプト死者の書』 ヨセフ (Joseph
養父の血筋 王族の子孫 ダビデの子孫
受胎 処女懐胎。天使による受胎
告知
処女懐胎。天使による受胎
告知
誕生の告知 シリウス星(明けの明星) 東方の星
誕生地 洞窟 馬小屋 (『ルカ』)
誕生日 12月21-22日(冬至点)に出生が賛美された。 12月25日。異教徒の祭日に合わせて定められた。
誕生の目撃者 羊飼い 羊飼い (『ルカ』)
次の目撃者 3人の太陽神 3人の賢者 (『マタイ』)
出生直後の危機 へルートはホルス暗殺を試みた ヘロデはイエス暗殺を試みた
この危機
への対応
神が母親に『女神イシスよ来たれ!汝を汝の御子と共に隠せ!』と伝えた。 天使が父親に『起きなさい!そして幼児と母親を連れてエジプトに逃げなさい!』と伝えた。
(『マタイ』)
成人式の
年齢
12歳 12歳 (『ルカ』)
人生で不明の時期 12歳から30歳 12歳から30歳
洗礼の場所 エリダヌス川 ヨルダン川
洗礼の年齢 30歳 凡そ30歳 (『ルカ』)
洗礼者 アナプ ヨハネ
洗礼者のその後の運命 斬首 斬首

名前:"イエス"は簡略名。 受胎物語:マリアの受胎告知の原画はキリスト教に先行すること1700年、アメンホテプ3世が建設したエジプト・ルクソール神殿の壁画に描かれ現存している。 3人の太陽神:狩人オリオンの締めるベルトの三ツ星。 暗殺の危機:蛇のへルートがホルス暗殺を試みる。ヘロデ王の命令は常識的には考え辛いもので福音書が無責任に実在の人物を神話的脚色に使用している可能性が指摘できる。 成人式:ホルスは12歳の時に闇の化身セト(叔父)に傷付けられていた目が回復した。ホルスの目(ウジャトの目)は叡智と健康の象徴として護符、タロット、米ドル紙幣など様々な場所に刻印されている。数字の12は"完成"を表す。


イエスかキリストか

この話は一体いつ紛れ込んだのか- 原始段階のイエスとは、ヘブライのメシアというよりはほぼモーセ同様の新しい神の言葉を預かった者=預言者―それは確実に人間―だった。

ユダヤ教におけるメシアとはもっと力強い、偉大な政治的指導者を指したので、大した運動も起こさずローマ帝国に虫けらの様に殺されたイエスは決してユダヤのメシアたり得なかっただろう。

キリスト教が
メシア教(ヘブライ語)ではなくキリスト教(ギリシャ語:クリストス)として始まっている点は重要である。これこそ内部の亀裂から生じ、外部(ギリシャ語圏)に拠点を求めた人々がイエスに“救世主”の像と役割を与えながら、新宗教を広めて行った証跡ではないだろうか。パウロは“キリスト”の語句を書簡で200回以上用いながらも、生身の“人間イエス”に関しては全く知らなかったかのような口ぶりである。まるで霊的で精神的な、まだ名も実績もない救世主の像を語らっているかのようでもある。


“キリスト殺しのユダヤ人”
暴君ピラトが、あろう事か一部の宗派では列聖されている。福音書が書かれ始めた頃すでにキリスト教は
帝国の統治を乱す異分子と見なされつつあり、イエスに対し恩赦的にローマの役人を描く必要性はあった(十字架刑は謀反人向けの刑罰でもあったので)。しかしそれ以上にこれは当時の対立状況を反映した描写だと言える。

ピラトでないなら何がイエスを処刑させたのか? ユダヤ人だ。1世紀末→2世紀前半…と福音書が新しくなるにつれピラトは善人になり、ユダヤ人は獰猛さを増していく。

『マルコ』に書き足した『マタイ』ではピラトの妻、『ルカ』ではヘロデを登場させ
畏れ多い神の子殺しのユダヤ人を演出している。最も新しい『ヨハネ』ではピラトはイエスを赦そうと懸命の努力をする。

こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人達は激しく叫んで言った。(ヨハネ19:12)
「その人の血は、私達や子供達の上にかかってもいい。」(マタイ27:25)


こうした不当な脚色は明らかな虚構だが、不幸にも中世以降のユダヤ人大迫害に根拠を与え続けた。農地も定職も持てないユダヤ人はキリスト教で禁止されていた金融業を選択する他はなく、財産没収を兼ねた国外追放・虐殺の横行に苦しめられた。ナチスの暴挙もカトリックの伝統的なユダヤ人嫌悪が結実したものだった。

1世紀に徹頭徹尾ユダヤ教的であった筈の宗教が、何故僅かな期間に激越な反ユダヤ主義へ変貌を遂げたのか? それはイエスを外へ持ち出したキリスト教の発明者達が、反ユダヤ的な力であった事の証左なのだ。彼らがキリストの像を作り、余計な脚色をしたのではなかったろうか。

 

欧米のサイトでは勿論この盗作説を拒絶するキリスト教徒も見られる。だが意外な事に、すぐに白旗を揚げ好意的に受け取る姿勢も目立っている。現代の欧米は聖書を高等批評にかけるなど妥協なき西洋人の真価をもって現実を捉えられているのは好ましい事だと思う。血が流れ過ぎた今、聖書を歴史として解釈する事には何の意義も見出せない。

画像出典:Ancient Egypt Online






 
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史実ではないキリスト教

2011-12-27 02:19:09 | 焚書/解体


近年、ネット上で以下のような情報が出回り目にされた方もいると思う。イエス・キリストの物語は古代の救世主神話の複製だったという怪説である。


エジプトにはBC3000年頃から祭られている「ホルス(HORUS)」がいる。ホルスの生い立ちは次のように伝えられている。
1225日、聖母イシス・メリーから生まれる。ホルスの誕生には東方から星が現れ、3人の王が祝いに駆けつけ新しい救世主として崇拝した。12歳で天才児として教育者となり、30歳でアナブによって洗礼を受け、聖職活動を始めた。12人の使徒と旅を共にし、病を治したり水の上を歩くなどの奇跡をおこした。ホルスは多くの名前で知られていた。真実、光、神の子、よき羊飼いなど。タイフォンに裏切られた後。十字架に張り付けられ埋葬されたが、3
日後に生き返った。
引用元



既にキリスト教が重要な元素の多くをミトラス教から盗み出している事は明らかなので、こんな話はなくて良い気もするがどうやら福音書の物語の「原作」ではないかと信徒の多い外国で盛んに議論されている。



太陽の力が最低になる冬至の3日間太陽は南十字星に重なり、太古から太陽を擬人化した神話に十字架上の死-再生が訳出されていたのだという。

歴史としての新約聖書の神殿を崩壊させるこの話を少し詳しく見て行きたいと思う。各登場人物で洗礼者(キリスト教ではヨハネ)の斬首、救世主と強盗2人の磔刑までが新約聖書と一致するという。ローマ法では
強盗は十字架刑にならないのでこの話を宛がったと考えると話が自然になる部分はあるのだ。




処刑物語が創作だったとするとキリスト教にとって衝撃的ではあるだろう。しかし1~4世紀の教会において復活の扱いは必ずしもメインではなかった。2世紀の高名な複数の教父に
「イエスは普通に死んだ」証言がある事自体、キリスト教が復活云々で全てを済ませる浅はかな宗教ではなかった証だろう。

2世紀の教会がマルキオン派を異端視したのも、それを認めてしまえばキリスト教が現行の如き空虚な迷妄集団になる事が見えていたからだった。前面に出すべきキリスト教の独自性・強みとはやはり旧約聖書(盗品だが)+イエスの教義; 明らかにローマの諸宗教を意識したヨタ話+パウロは控えでなければならなかったのである。


真に想起さるべきはキリスト教の尊大・暴虐の歴史を支えた舞台装置の裏がかようなハリボテであったと納得する事への虚脱感だ。それを受け入れなければならない準備に思いを至らせただけで私は頭を金槌で打たれた様になってしまったが貴方はどうだろうか。

勿論キリスト教程度の精神力で事実を受け止められると思ってもならない。"選民"の蜜で溶け切った左脳と大脳で捉えられるのはサル以下の理解でしかないからだ。真剣に信じ込んでいる人には申し訳ないという気持ちは筆者には少しも無いことを先に述べておきたい。

参考動画

画像出典: 





 
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