読書で思い出したのがダンナさんの叔母さんお二人の事。
なのでお二人の事を少し書いてみたいと思います。
ややこしいのですが、今住んでいる家は義父の実家ではありません。
義父母が結婚したのは昭和28年だと思うのですが
当時この家は、息子さん達は全員戦死され
娘さんお二人はすでに嫁がれ、家を継ぐ人がいませんでした。
そこで近くに住む親戚筋の義父が結婚と同時にこの家に入ったのです。
なので本当の姉弟ではないけれど、二人の叔母さんは義父の姉になります。
お二人とも旧A町内に住まれていたので出会う機会も多く
私はお二人のことが大好きでした。
結婚してこちらに来て、義母を含めて近所のおばさん達が話すことと言えば
近所の人の噂話か昔の苦労話。
そればかり聞かされて正直うんざりしていたのですが
二人の叔母さんは同じ昔話でも、楽しかった思い出ばかり話されました。
お二人とも人一倍苦労されたはずなのに、そういう話は一切されませんでした。
そして本の話も沢山して下さって、面白かった本を私に貸して下さいました。
お姉さんの方の叔母さんは旧A町の図書館の本を一年間に一番沢山借りた人として
広報誌に載るくらい本が大好きな方で
確か94歳で亡くなられたのですが
「毎晩寝る前に北海道から沖縄まで県の名前を全部言ってから寝るんだ」
っておっしゃってたようなしっかりした方でした。
妹さんの方は控えめで、でもとても強くて
同居されていた息子さんがご自分のお子さんではない遠慮からかもしれませんが
90歳を過ぎて癌になられた後もバスで買い物や病院に出かけ
人に迷惑をかけないようにされていました。
田舎のバスは一日数本しかありません。
私はバス停で叔母さんが待っているのを見かけると
うちまで送って行って
「今度出かける時は電話して、私が送り迎えするから」
と言いましたが
そんなことをしたら家の人が気を悪くされるからできないに決まっているのに
まだ若かった私はそのことに気づいてなかったです。
お亡くなりになる少し前に
「会うのはこれが最後になるかもしれないから」
と、お手紙と一緒にブローチを頂き、それが形見となりました。
お葬式の時にご住職さんが
「強くて凛とした人でした。突っ張って生きた人でした。
もう少し周りを頼っても良かったと思いますが
それが〇〇さんの生き方だったのでしょう」
と話され、叔母さんの事をなんてよく見ておられたんだろうって
私も同じことを思っていたのですごく印象に残っています。
私が結婚した頃のお二人は70代後半位だったのかな?
素敵な人生のお手本を見せてもらったと思っています。
最後にどう話をまとめたら良いかわからなくなってきましたが
ブログを書いているといろんな事を思い出すきっかけになりますね。
台風で一日家で過ごした日に、こんな事を思い出していました。
絵手紙は色紙に描いたヒガンバナ