中国とロシアは、この不協和の世界で生き残ることが可能だろうか?
2019年3月12日
Andre Vltchek
New Eastern Outlook
「善である」ことはひきあうのだろうか? 略奪者に支配された、この狂った世界で、k規則に従って公正に勝負することが、まだ可能なのだろうか?
世界中の国々によって、規則が定められ、批准されるのに、(軍事的に)最も強い国々の小集団が、法律を最も奇妙な形で再解釈するためにプロの宣伝屋雇って、それを全く無視したらどうだろう?
世界のことを書きながら、私はしばしば小学校時代に戻ったように感じる。
子供時代、私は不幸にも人種差別主義チェコスロバキアで育った。ソ連で生まれて、半分ロシア、半分アジアの母親がいる私は、7歳から、どのクラスでも、袋叩きにされていた。私はロシア人であることに対し、「アジアの母親」を持っていることに対し、「アジアの耳」を持っていることに対し、少年の一団に組織的に恥をかかせられ、攻撃され、殴られた。冬の間、私の靴は厳寒にさらされ、小便を注がれた。尿は氷に変わった。唯一の慰めは「少なくとも」私がロシア人で中国人であることだった。もし私がジプシー(ロマ)少年だったら、少なくとも片目を潰されるか手を折られずにはすまなかったはずだ。
私は礼儀正しくしようとしていた。私は「ルールに従ってフェアに勝負」するよう最善を尽くしていた。最初私は本腰を入れずに反撃していた。
隣に住んでいた子が空気銃を発砲して、私の目をわずかの差で外れた日までは。ただ突然、あの瞬間、彼はするべきことが他に何もなく、私がロシア人でアジア人だったというだけの理由で。彼はチェコ人で、ヨーロッパ人であることを誇りに思っていたので。私が彼らの言う通りにせず、彼らの「優越」を受け入れず、彼らの前で、私自身に自尊心を傷つけるのを拒否したために。母も私もチェコスロバキアでは惨めで、二人ともレニングラードを夢見ていた。彼女は個人的な失敗をして、「ヨーロッパに戻って」何世紀も世界を支配し圧迫していた国々の一員に再びなるのを望んでいる敵対的な大言壮語の地方社会の中で、我々は立ち往生していた。
空気銃で、すんでの所で目が潰れそうになったことで堪忍袋の緒が切れた。10歳で体重がほぼ100キロあるのが罪だった友人カレルと組んだ。彼の欠陥ではなく、遺伝子の問題だったのだが、子供たちは彼をいじめられ役にして、ちょう笑した。彼は音楽とSF小説が好きな優しい善良な子だった。我々は友達だった。我々は一緒に遠い銀河に向かって宇宙旅行を計画したものだ。だがその時点で、我々は「もう我慢できない」と言ったのだ! 我々は激しく反撃した。二年か三年苦しんだ後、我々に、そして実際「違っていたり」、少なくとも弱く無防備だったりした我々の周囲の全員に対し連中が行っていたのと同じ暴力と野蛮さで、悪がきと戦い始めた。
そして我々は勝った。理屈によってではなく、勇気と力で。戦わずに済んだらよかったと思うが、我々に選択肢はなかった。まもなく自分たちがどれほど強いのか我々は気がついた。一度始めた以上、生き残る唯一の方法は戦いに勝つことだった。そして我々は勝った。我々をひどく悩ませた子供たちは実は臆病者だった。我々が勝って、多少の敬意を勝ち取った途端、我々は、同じように攻撃に悩まされていた「他の連中」、主に同じ学校の弱い少年少女を、「普通の」白人チェコ人の一団から保護し、守り始めた。
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自称世界支配者が存在している。ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドとイスラエル。そして他の2つの集団がある。(インドネシア、タイ、日本、サウジアラビア、ヨルダン、韓国、コロンビアあるいはウガンダのような)欧米に完全協力している国と、欧米の命令を受け入れるのを断固拒否しているロシア、中国、朝鮮民主主義人民共和国、シリア、エリトリア、イラン、南アフリカ、ベネズエラ、キューバやボリビアのような国。
最初の集団は、世界を変えるようなことはほとんど何もしない。時流に従っている。いじめっ子の規則を受け入れている。協力して、そうしながら、ほとんどいつも失敗するのだが、少なくとも多少特典を得ようとする。
二番目の集団は、世界のみじめな状態を十分に意識している。彼らはうまく立ち回り、抵抗し、時々自らの生存、あるいは他の人々の生存のために戦う。彼らは、かつて「普遍的価値」と呼ばれた原則に固執している。
だが彼らは、対決せずに本当に生き残ることができるのだろうか?
欧米は、いかなる反対派も許容しない。何世紀にもわたり、欧米文化は極端に攻撃的で、好戦的で、過激だった。「お前は我々の側、つまり「手下」か、我々の敵だ。もし我々に反対すれば、お前は押しつぶされ、手かせをはめられ、強奪され、強姦され、打ちすえられ、結局何であれ、我々が命じることをするよう強いられるのだ。」
ロシアはおそらく、何千万人もの国民という想像もできない代償を払って、何世紀にもわたり征服されずに生き残った国だ。ロシアは、スカンジナビア、フランス、イギリス、ドイツ、そしてチェコにさえ繰り返し侵略された。奇異な言説に正当化された攻撃が頻繁に起きた。「ロシアは強い」あるいは「ロシアは弱い」。「素晴らしい10月社会主義革命ゆえに」あるいは単に共産主義だったというだけの理由で攻撃された。欧米にとって、いかなる奇怪な「正当化」でもかまわないのだ。ただ抵抗したがゆえに、自立し、自由であるがゆえに、ロシアは侵略され、略奪され、ひどく傷つけられなければならなかった。
偉大な中国さえ欧米による攻撃に耐えることができなかった。中国は打ち負かされ、分断され、屈辱を受けた。首都がフランスとイギリスに略奪された。
欧米の攻撃からは誰も誰も生き残ることができなかった。結局、誇り高く決然としたアフガニスタンでさえ。
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中国人学者李?が「中国人的生活哲学」でこう書いている。
「調和」は伝統的な中国文化の考え方の重要な範疇だ。概念の起源は哲学だが、安定して統合された社会生活を意味している。それは中国人の考え方や世の中への対処の仕方に直接影響を与える。中国の古典では「調和」は、本質的に円満であることと理解される。古代の人々は、宇宙と自然環境の調和、人と自然の調和、なにより人々の間の調和を強調した。伝統的な中国人は、この原理を生き方として捕らえて、友好的な仲の良い関係を維持するために最善を尽くす。「調和」に達するため、人々は誠実、我慢と愛でお互いを扱い、他人に干渉しない。格言が言う通り「井戸水は河川に侵入しない」
絶えざる干渉と、征服と支配の必要に基づく欧米文化の哲学から、これ以上かけ離れたものがあり得るだろうか?
中国やイランやロシアのような国が、攻撃的なヨーロッパ、北アメリカの教義に支配されている世界で、本当に生き残ることができるのだろうか?
あるいはより正確に言えば、彼らは血まみれの対決に引きずり込まれずに、平和に生き残ることができるのだろうか?
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21世紀の始まりは「穏やかな抵抗」は、残忍な欧米の攻撃に対して、明らかに逆効果であることを示している。
国際連合のような場で平和を嘆願しても何の成果もなかった。次から次へと国々が崩壊し、公正に扱われ、国際法に守られる機会はない:ユーゴスラビア、イラク、リビア。
欧米と、サウジアラビアやイスラエルのような同盟国は、常に法を超越する。あるいはより正確に言えば、彼らが法律だ。どんな方法であれ、彼らは法律をねじ曲げ、修正する。彼らの政治的、あるいはビジネス利害関係に合わせて。
調和? いや、連中は絶対に調和のようなことには関心がない。たとえ中国のような巨大な国が関心を持っていても、その国は弱いと見なされ、すぐにつけこまれる。
もし諸国の集団があらゆる規則に全く反して動くなら、細心の注意を払って国際的な法規制に従おうとする世界は生き残ることができるだろうか?
生き残ることは可能だが、我々の世界が実際既にそうなっているように、全くひねくれた、全く変質的な世界になるだろう。それは片や全くおとがめ無しの世界、片や恐れと奴隷制度と盲従の世界だ。
圧制者は常に益々多くを欲するので、とにかく「平和な世界」ではあるまい。惑星全体を絶対的に支配するまで、連中は満足するまい。
専制を受け入れる選選択肢はない。
すると、一体何だろう? それを口にするのは余りにも恐ろしいだろうか?
もし国が攻撃されたら、自身を守って、戦うべきだ。
ロシアが何度もしたように。シリアが今しているように、大変な犠牲で、だが堂々と。ベネズエラが、もし襲撃されたら、するだろうし、そうすべきであるように。
中国とロシアは、ある程度欧米に影響された二つの偉大な文化だ。私が「影響された」と言うのは、無理やり「侵入され」押し入られ、残酷に侵害されたことを意味する。その暴力的行為の間、欧米文化の若干の肯定的要素は、その被害者の脳に吸収された。音楽、食物、都市計画さえ。だが全体的影響は極めて否定的で、中国とロシア両国が苦しんだし、大いに苦しんでいる。
何十年間も、欧米は、両方の国を「封じ込め」彼らの核心にまで壊滅的打撃を与えるため、宣伝と破壊的な力を解き放ってきた。ソ連はアフガニスタンと、財政的に持続不可能な軍備競争へと誘導され、文字通りにバラバラに破壊された。何年かの暗い年月の間、ロシアは屈辱と知的、道義的混乱と社会的混沌に直面していた。中国は極端な「市場原理」で突き刺され、高等教育機関は、ヨーロッパと北アメリカからの反共産主義「知的」戦士の軍団に潜入された。
結果は衝撃的だった。中国とロシアの両国は事実上、攻撃下にあり、生き残りのために戦うことを強いられた。
両国が対応策を特定するのに成功した。彼らは反撃し、再編成し、耐えしのんだ。彼らの文化と彼らのアイデンティティは生き残った。
中国は習近平主席の指導体制下、今自信ある強力な国だ。ウラジーミル・プーチン大統領の下の現代ロシアは知性面、科学的、軍事的のみならず道徳的にも地球上の最強国の一つだ。
これはまさに欧米が「許す」ことができないものだ。中国が、素晴らしい電気自動車を生産するたびに、村々がいわゆる「生態文明」を奉じると、欧米はパニックを起こし、中国を中傷し、不快な状態として描写する。ロシアが益々国際主義化し、シリアであれ、ベネズエラであれ、欧米に破壊された国々を守ろうとすると、欧米は益々その大統領と国民を攻撃するのだ。
建設的である限りは中国もロシアもが外交を駆使しているが、今回、力と対決させられる時には、彼らは自身を守るために力を使うという彼らの自発的意志を示している。
彼らは、これが生き残る唯一の方法だという事実を十分意識している。
中国にとって調和は基本だ。ロシアは同じく国際主義の原則に基づいて世界調和というそれ自身の概念を発展させている。中国とロシアの指導体制の下、我々の世界が直面している最も深遠な問題に取り組むことが可能なことには、ほとんど何の疑いもない。
だが調和が実施できるのは、善意か、少なくとも世界を救おうという決定的献身がある場合に限られる。
もし強力な国の集団が、利益、支配と略奪に取りつかれただけでいるなら、もしそれが何世紀かの間、凶悪犯のように振る舞うなら、人は行動し、世界を守らなければならない。もし他に選択肢がないなら、力によって!
勝利後にのみ、本当の調和を目指すことが可能になる。
このエッセイの初めに、私は、象徴的と思える子供時代の話をした。
人は妥協することができ、外交的であり得るが、決して自分の尊厳と自由が危険な状態にある場合にではない。世界中の何十億という人間を飢えさせ、奴隷にしている連中と無期限に交渉することは決してできない。
ベネズエラ、シリア、アフガニスタンや実に多くの国々が今血を流している。間もなく、イランも試練を受けるかも知れない。そしてニカラグア。そして、おそらく中国とロシア自身も、もう一つの欧米による侵略に直面する可能性がある。
「調和した世界」がやがて築かれなければならない。確かにいつの日か、だがもう少し後だ。
まずは、我々人類が生き残り、欧米ファシズムが、更に何百万もの無辜の人の命を消費することができないことを確認しなければならない。
旧チェコスロバキアの小学校で、私や子供時代の大柄な友だち、カレルのように、ロシアと中国は、再び立ち上がり「不協和の残酷さ」に直面しなければならないかもしれない。彼らは、より大きな大惨事を防ぐために戦わなければならないかもしれない。
彼らはそうすることを望まない。彼らは戦争を防ぐためにあらゆる手段を尽くすだろう。だが戦争は既に荒れ狂っている。欧米植民地政策は戻っている。北アメリカやヨーロッパ諸国の残忍なギャング連中は道路をふさいで、こぶしを固く握り締め、あえて顔を上げて、彼らの視線を受け止める全員に発砲する。「お前には勇気があるか?」と彼らの目が語っている。
「ある、我々はそうするつもりだ!」が唯一正しい答えだ。
Andre Vltchekは哲学者、小説家、映画製作者で調査ジャーナリスト。彼は Vltchek’s World in Word and Imagesの創作者で、China and Ecological Civilizationを含め、多くの本を書いている作家。オンライン誌 「New Eastern Outlook」独占記事。
記事原文のurl:https://journal-neo.org/2019/03/12/can-china-and-russia-survive-in-this-unharmonious-world/
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